第25話 イルミネーションを見に行こう 後編
「わぁ!」
「おぉ!」
目の前に現れた光のトンネルを前にして、私たちは同じように感嘆の言葉を漏らした。
視界の限りまで続く色鮮やかな光の流れ。空に光を敷き詰めた。そんな表現がぴったりくるような、幻想的な空間。行き交う人々は降り注ぐアーチを見上げ、言葉少なに思いを馳せている。
「これはすごいな。言葉が出てこない」
「あ、ねぇねぇ、玲くん。この灯り、全部お花の形してるよ」
「あ、ほんとだ! これ全部か……。さすが、死ぬまでに見たい世界の絶景に選ばれただけはある」
「え!? そうなの!?」
「パンフレットに書いてあった」
慌ててポケットからパンフレットを取り出すつむぎを、私はちょっと進んだ先から見つめた。横着しようと手袋をしたまま地図を開こうとして四苦八苦している姿に思わず癒されてしまう。
全長二百メートル。まっすぐに続く光の小道をつむぎと並んで歩く。周りもそうだが、進むにつれて言葉が少なくなるのはどうしてだろう。美しさに見入って言葉はいらないと悟るのか、二人でいるのに言葉はいらないと悟るのか……。
永遠にも思えたトンネルにも終わりが見えた。
途切れた光の先にぽっかり空いた暗闇が、幻想の終わりを告げていた。
「……玲くん」
「つむぎ!」
私とつむぎの声が被った。振り向くとつむぎはまたも難しい顔をしていたので、次の言葉が出てくる前に私は口を開いた。
「トンネルを抜けるとそこは、ってやつだ! メインステージが見えてきたぞ!」
務めて明るく振る舞って、小走りにトンネルを抜けてつむぎを呼ぶ。
走ってきたつむぎの手を取って、全体が見える位置まで行くと、思わず息をのんだ。
視界を覆いつくす光の本流。夜空に映し出されるうたかたの幻想。綿密に作られたプロジェクションによりコロコロと微細に表情を変える桜の風景が、そこに映し出されていた。
「きれい……」
つむぎの口から白い吐息とともにシンプルな感想がこぼれた。
日本の象徴ともいえる桜で一年をめぐる。春の花盛りから始まって、葉桜や月に輝く桜、紅葉する鮮やかな桜を経て、雪を積もらせた桜に落ち着く。風がそよぎ、太陽や月が明るく照らす様子を見事に表現している。
私はふと、つむぎの手を握りっぱなしだったことに気付いて慌てて離した。ぬくもりが指の隙間からこぼれ落ちていく。
「もう。ずっと握っててくれればいいのに」
つむぎの眉が困ったようにゆがむ。
「いい年だろう、私たちだって」
「風邪ひいたときはあんなに甘えてきたのに」
「あれはっ! ……っていうか、からかわないって約束だったじゃないか」
「ふふふ。なんのことかな?」
私の顔を覗き込むつむぎの表情が愛おしくて、思わず顔をそらす。チカチカと移り行く光の幻想を集中するように見つめた。今が夜でよかった。
「ありがとう」
つむぎも日本最大級のイルミネーションを見つめたまま言う。
「なんだよ、藪から棒に」
「お礼、言いたくなって。先週の」
「散々聞いたし、手紙の中でも言っていただろう。私にはそれで十分だ」
「でも、思ったときに口に出しておかないとと思って」
「律儀な奴だ。それに、それを言うなら……」
「それを言うなら?」
また、つむぎが私の顔を覗き込んでくる。好奇心が強い時のつむぎは、いつだって無防備だ。
私は口にしかけた言葉をいったん止め、なんでもないとごまかそうとした。けれどつむぎの澄んだ瞳を見たら、それもできなくなった。
別にごまかす必要なんてないか。
「あの夏の終わり。私を救ってくれて、ありがとう」
「……おぉ。ちょっとびっくり」
つむぎはおどけて一歩下がった。
「まさか、あの時のこと、玲くんからお礼を言われるなんて。あたし、結構自分本位な理由で声かけたんだよ? 完全に変な人だったじゃん」
「変だったのは私の方だろ」
傘もささず、仕事へ行く格好のまま雨に打たれ続ける人なんて、普通話しかけようとは思わない。
「つむぎが声をかけてくれなかったら、今頃私は、先週のつむぎみたいにずっと引きこもって会社も辞めていたかもしれない」
あの時の礼は、確か伝えていない。つむぎが改めて礼を言うというのなら、私もあの時の感謝を返そうと思った。
「そうかな。無茶をした私の教え子たちも、あんなふうになったりするよ」
私は中学生と同じか……。
いや、そういうものかもしれない。人の感情なんて、中学生の頃から何にも成長していないのだろう。
傷ついたり傷つけられたり、好きになったり嫌いになったり。
人に対して抱く感情は、グラウンドを駆けていたあの頃と同じだ。強くなるのは理性だけで、表に出さず自分を制御できるようになった人間が大人なのだ。
私は大人になった。けれど残念ながらそれがよかったことかはわからない。
他人に迷惑を駆けまいと、ため込んで、ため込んで。そして爆発させてしまった。頼ることも、助けを求めることもできず、理性という鎖に縛られて……。
つむぎからしたら手がかかる生徒をあやす程度のことだったのかもしれない。
私を見つけたのだって偶然だろう。
だとしても、手を差し伸べてくれた事実に変わりはない。
「ありがとう」
私はもう一度はっきりと、感謝を伝えた。
イルミネーションは一巡し、辺りに暗闇と静寂が訪れる。観客からは自然と拍手が上がり、私もつられて手を叩いた。盛大な盛り上がりの後の静寂が、今はとても心地が良かった。
「さ、いくか」
つむぎの方を見ると、薄暗闇の中で、また困ったような顔をしていた。今日何度か見たその表情に、私は心がざわつく。
何かを言おうとしている。けれど、言い出す勇気がなくて、喉元でせき止めてしまい、もどかしさに喘いでいる。そんな表情だ。
……大方推測はできている。
つむぎが言おうとしていることなんて、きっと一つしかない。
だが、私はつむぎに、それを言ってほしくはない。
この居心地が良いぬるま湯のような関係が、ずっと続いてほしいから……。
帰りの車は二人とも無言だった。
路面を照らす街灯が断続的に過ぎていくのを一つ二つと数えながら、私たちは帰路に就いた。
疲れて寝てしまったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。先行車がほとんどいない道の先を、つむぎはじっと見つめていた。つむぎが作ってきたクリスマスソングのプレイリストだけが、延々とループして流れ続けていた。
駐車場に着いたのは、午後十時を過ぎた頃だった。エンジンを止めると、忍び寄る冷気が肌を刺す。寒さを覚えて出ようとすると、隣から腕が伸びて来て、私の左手を掴んだ。
「つむぎ? 寝ぼけてるのか? 家に着いたぞ?」
「玲くん……」
ぎゅっと力を込め、爪を立ってて握り込んでいるのがコートの上からでもわかった。私は開いたドアを再び閉める。
「どうした? 今度は私の車に引きこもりか?」
「聞いてほしいことが、あるの……」
つむぎはフロントガラスの向こうをじっと見つめていた。緊張した横顔にただならぬものを感じて、私はつむぎの腕を振りほどいてでも、車を出ようかと思った。
けれど、それは叶わない。つむぎが決意を固める方がが先だった。
「あたしは、玲くんが好きだよ」
しんと静まり返った車内に、透き通った言葉が残響する。はっきりと、確実に。一字一句に心を込めて、つむぎは言葉を吐き出す。
「あたしは、玲くんが好き」
「……」
咄嗟に反応ができなかった。
つむぎの口にした言葉の意味を咀嚼して、頭が理解するまで数秒の時間を要した。そして、それが意味する先も、なんとなくわかった。
しばらく考えて、私は思い描いた筋道通りの答えを返す。
「私も好きだぞ。つむぎと一緒にいると何も気負う必要がなくて気楽で過ごしやすいんだ」
偽りない気持ちではある。けれどどこかで線を引いた回答。
私はつむぎが好きだ。けれど、それは家族や友達という意味合いが強い。
「そういう意味じゃなくて」
案の定、つむぎは首を振る。
「あたしは玲くんが好きなんだよ!」
語調を強めた宣言。
「一緒にいて楽しいし、心を許せるし、素を出してだらけられるし、そういうの見られても、全然嫌じゃない。受け入れているし、受け入れてほしいと思っている。助けてくれた恩もあるけど、先週感じた恩なんて、あたしの想いを気付かせてくれたきっかけに過ぎない」
こちらを振り向き、続ける。
「あたしは一人の女として、玲くんが好きです」
大きく開かれた瞳が潤んでいた。それでも負けじと、言葉を紡ぐ。
「だから」
呼吸を整えて、もう一度きっと私の方を見た。
「だから! 同盟っていう枠組みを超えて、もっと一緒にいたいと思う! 一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒にダラダラして、同じことを共有したい」
つむぎは、鼻息荒く言い切った。
「玲くん。ちゃんとした交際をしてくれませんか? あたしと、お付き合いしてください」
告白というより、懇願だった。
つむぎの顔はぐちゃぐちゃで、それでも必死に涙を流しまいとこらえているようだった。
胸が痛くなる。
今日一日、つむぎが言いだそうと必死に頑張っていた言葉。その重みを実感して、胸を掻き毟りたくなった。
ご飯を食べている途中でも、光のトンネルを歩いているときにも、桜のイルミネーションに感動した後も、帰りの車の中でも……。つむぎはこの言葉を言おうとしていた。
もちろんわかっていた。
つむぎの表情一つ一つが訴えかけて来ていた。
――玲くん聞いて! あたしの話を聞いて!
長い付き合いじゃなくたって、顔に出やすいつむぎの思っていることを読み解くのは容易い。私はつむぎが、今日この日を、この一瞬のためにお膳立てしたこともわかっていた。
けれど、そのすべてのチャンスを、私は知らないふりをして握りつぶした。
答えを言わなければならない現実から、目を背けたかった。
でも……。ここにきて、逃げられなくなった。
侮っていたのかもしれない。出鼻をくじかれ続ければ、つむぎも今日はやめておこうと考え直すんじゃないかと。
甘かった。
それはそうだ。相手はつむぎだ。自分のしたいことをすればいいと、私の教えてくれた人だ。
唇を噛む。私は、諦めたように口を開いた。
「ありがとう」
感謝の言葉と、
「……ごめん」
謝罪の言葉を。
つむぎの表情が崩れていくのが見ていられなくなって、私はつむぎから視線をそらす。
つむぎの気持ちには、応えられない。これは、最初から分かっていたことだ。私が私である限り、私がつむぎと結ばれてはいけない。
「どう、して……」
しんと静まった空間に、悲壮感漂うつむぎの声が響く。
耳を塞いでしまいたかった。
「どうして。ねぇ、どうして、玲くん!」
「……」
「あたし……、あたしは、玲くんのことが大好きだよ。タカヒロくんに使った大好きとは違う。今度は一人の女性として、玲くんが好き」
「……っ」
「楽しかったのに……。ここ三カ月、玲くんといるのが、とてもとても楽しかったのに。そう思っていたのは、あたし、だけだったの……?」
「……ちがう」
絞り出すように、呟いた。
「玲くんは、楽しくなかったの?」
「違う」
「玲くんは、あたしのこと、嫌いだったの……」
「違う!」
違う、違うんだ。
私がつむぎの気持ちに応えられないのは、決して感情的な問題じゃない。
ソファーにへたり込んで脱力している姿も、私のことを巻き込んで意味の分からないゲームを楽しそうに始める姿も、風邪を引いた私を献身的に看病してくれた姿も、自分の教え子のために一生懸命頭を使って空回りしてしまう姿も……。全部全部大好きだ。
私だって、私だって! つむぎが大好きだったんだよ!
……でも、ダメなんだ。私の力では、いや、神様がいたって、きっと。
私たちは結ばれてはいけない。
「じゃあ、」
つむぎが、最後の可能性を口にする。
初めて会ったとき、私のわがままをつむぎが受け入れてくれた時からずっと、私たちの間だけでなかったことにされている事実……。
私たちの終わりを告げる真実を、つむぎが口にする。
「……玲くんが、女の子だから?」
つむぎにだけは言われたくなかった。つむぎだけは、この奇妙な関係のままずっと楽しく過ごしたかった。
でも、つむぎは前に進むことを選択した。
その選択を、私は、受け入れられない。
「……そうだ」
吐き捨てるように言い捨てる。
「つむぎが女で、私も女だからだ……」
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