第24話 イルミネーションを見に行こう 前編
今日は土曜日。新しく始まった土曜日なんでもする同盟の活動日だ。
午後四時。いつもと違う時間にインターフォンが鳴り、止まっていた部屋の空気を震わせた。私は深呼吸を一つして扉を開ける。
「やぁ」
もこもこ手袋を広げて微笑むつむぎがいる。
「よ。中に入ってちょっと待ってろ。今、コート取ってくるから」
「えっ、うそ!? 感想はないの? どーよ、今日のコーデ。褒めて!」
背を向ける私の袖を引っ掴んで振り向かせると、さぁどうだ言わんばかりにと腕を広げて見せる。
毛糸のロングセーターに、黒タイツに包まれた細い脚。アウターは暖かそうな暖色のコート。ニット帽とマフラーと手袋が同じ白で統一感がある。上目遣いで見上げてくるそのしぐさまで含めて、破壊力は抜群だった。
「……ノーコメント」
「鼻の下、伸びてるよ?」
「も、もとからこういう顔だ!」
「ふふ。照れてる照れてる」
からかうつむぎから視線を逃がし、上気する頬を冷たい手で確かめながら、出かける準備をした。コートを羽織り、車のキーをポケットに放り込んで、財布と携帯を確かめた。
「行くか」
「うん!」
連れだって扉を出る。
藍色に染まった空には、一番星が輝いていた。
目的地までは高速を使って三十分ほど。時期も時期なので、一時間はかかるだろうと腹をくくる。
県内でも有数のイルミネーションスポット。普段はフラワーガーデンとなっている大きな公園を、この時期は電飾で飾り付け夜遅くまで営業しているらしい。毎年テーマを決めた演出が凝っていて、今年のテーマは『桜』だと、助手席に座るつむぎが教えてくれる。
「ほら、すごくきれいじゃない!? 見て見て玲くん!」
「高速だぞ。よそ見できるか!」
Youtubeで紹介動画を見ながら、楽しそうにはしゃぐつむぎを、私はハンドルを握ったまま
運転は苦手ではないけれど、普段高速なんて運転する機会がないから緊張する。じんわりと滲む汗でハンドルが滑らないか心配だ。
しばらくは快調に走っていたが、案の定、高速の出口付近で渋滞に巻き込まれた。パークは目前だというのに、楽しみはお預けとでも言うように、長い長い列ができている。
「まぁ、こうなるわな」
ブレーキを踏んだままハンドルから手を放し、腕を伸ばして肩を鳴らした。
「出番だぞ、怠惰先生」
「暇つぶしなら任せて! まずはねー、文字数増加しりとりをやります!」
本当にしりとりのネタを考えてきたらしい。暇を潰すことにかけては一級品な怠惰先生だ。
「二文字からスタートして、次の手番の人は一文字ずつ文字数を増やした単語を言わなければなりません。どんどん文字数が増えて行って、思いつかなくなった人の負けです。用意はいい?」
どうせならさっき見ていた動画を見せてほしかったが、楽しそうなつむぎを見ると言い出せない。チビチビと進む車の行列を気にしつつ、童心に帰ってしりとりで遊んでいるうちに、私の愛車はパークの駐車場に到着していた。
文字数増加しりとりは、私の全勝だった。
「ほわーっ!」
白い息を吐き出しながら、つむぎが駆けていく。
入場口で入園券を見せ、案内のパンフレットを受け取っている私を置いて、正面入り口に飾られていた巨大なもみの木にもう夢中だ。子供のようなキラキラした瞳を向けるつむぎは、ぽかんと口を開けていることにも気が付いていない。
苦笑しつつ近づいて、だらしなく緩んだ頬を軽くつねってやった。
「迷子になるぞ」
「へいふん、ひはひよぉ」
まんじゅうのような頬がうにょんと伸びる。いつまででも触っていたい柔らかさだ。この柔らかさを商品化したら、さぞ売れるだろう。商品名は『もちほっぺ』かな。
十分に柔らかさを堪能したのち、名残惜しいが手を離すと、つむぎはぷくりと頬を膨らませた。
「もう! 伸びてしわになったらどうしてくれるの!」
「ありがとう」
「ありがとうっ!?」
「これが見たかったのか?」
「あ、うん! これも! それから、あっちも! そして、あれも!」
楽しそうに指をさすつむぎを見ていると、こっちまで元気が出てくるから不思議だ。
「時間はたっぷりあることだし。じっくり見ていこ」
私たちは連れだって歩き始めた。
パークは大きな池を取り囲むように順路が組まれていて、各スポットに趣向が凝らされたイルミネーションの展示がある。光を花に見立てた花壇や、全長二百メートルに及ぶ光のトンネル、水面に映る光が美しい水上イルミネーションなどなど。クリスマスツリーのようにもみの木を彩っているだけに留まらない。
順路を巡りながら、幻想的な光景を楽しめるという計らいだ。
当然のように人は多い。人込みが苦手だと言っていたつむぎを心配しながら、先へと進む。綺麗な展示のそばは特に人が多く、つむぎが想定していた映える写真は全く撮れていなかった。
「玲くん、見えない。肩車して……」
「馬鹿を言うな。体重三十キロは減らしてこい」
「がーん」
私が背負えるのなんて、小学生低学年の子供ぐらいまでだ。
よろめくつむぎを支えて、順路を外れ人の少ない小道にいったん退避する。光と喧騒が遠ざかり、代わりに肌を刺す寒さが帰ってきた。
ポケットに手を突っ込み四つ折りにしてしまった園内のマップを広げる。今はちょうど半周したぐらいの位置にいた。
「休憩しよう。近くにレストランがあるみたいだ」
「賛成ー。お腹ぺこりーなだよ」
再びポケットに手を突っ込むと、つむぎがその腕に引っ付いてきた。
「……歩きにくいぞ」
「温かさには代えられない」
ほんのり温まり始めた左半身を意識して、私は無言のままつむぎをエスコートすることにした。
「カップルプランで!」
黒いベストに蝶ネクタイを締めた店員のお姉さんを前に、つむぎが鼻息を荒く宣言する。
どうやら混雑期の臨時営業ということで料理を自由に選べるわけではないようだ。いくつかプランが用意されていて、人数やシチュエーションに合わせて選べるらしい。ありがたいのか余計なお世話なのか判断が難しい営業戦略だった。
つむぎは意気揚々と、プランリストの一番上に書かれた恋人限定のプランを指さす。
店員のお姉さんは困った顔をした。
「失礼ですが、ご友人同士でこのプランは……」
「カップルです! ほら!」
つむぎが私の半身にくっついてくる。振りほどけないこともないが、今は好きにさせてやろう。
「は、はぁ……」
困惑するお姉さんは、救いを求めるように私の方に視線を移す。肩をすくめて苦笑いを返せば、お姉さんも察してくれたらしく、渋々つむぎの要求に応じてくれた。
「まったく。失礼しちゃうよ。玲くんのどこがそんなに気に入らなかったのかなぁ」
「一方的に私のせいにするな。問題はつむぎかもしれないだろ」
「なんですと!?」
「それに付き合ってるわけじゃないしな」
「いいじゃん! 雰囲気出そうよ!」
それが目的なんだし。そう言ってつむぎがはにかむ。私はすぐに答えを返さず、あいまいに微笑む程度で濁しておいた。
白いクロスがかけられた窓際の席に案内される。中央にはキャンドルが置かれ、小さな炎が揺れている。窓の外は光の花壇が広がっていて、まさに特等席だった。
「ふ、ふへへ。勢いで来たはいいけど、こういうとこ慣れてなくて、緊張するね」
暖かな室内に入ったからか、つむぎの顔色も元に戻っている。やはり休憩にしたのは正解だった。
「心配するな。周りを気にするような人はこの席に座らないだろうし。よそ見をしていたらそれこそ相方に怒られるだろ」
「そ、それもそうか。……なんだか玲くん、随分冷静だね」
「実はそうでもないぞ」
私は人差し指を立ててテーブルを叩いた。つむぎが不思議な顔をしたままテーブルクロスをめくり、驚いた声を上げる。
「あ! 足ガクガクだ!」
顔には出さないように頑張っているけれど、私自身心臓が激しいビートを刻んでいた。足は地につかず震えっぱなしだし、背筋は伸びたまま弛緩を許してくれない。
「ふふ」
「初めてのことは誰にだってある。そういうことだ」
「途端に玲くんが見栄っ張りに見えてきちゃったよ」
「言ってろ!」
何も頼まずとも、次々に料理が運ばれてきた。前菜から始まり、サラダ、スープ、魚料理、肉料理と続き、デザートにコーヒーで締める。人気パークのレストランと聞いて、特に稼ぎ時の今は手を抜いたものが出てくるかと思ったけれど、そんなことは全くなかった。どれも贅を尽くした一品で、舌鼓を打ちながら会話にも花が咲いた。
私が食後のコーヒーを味わっていると、思い出したようにつむぎが手を打つ。
「そう言えばね、タカヒロくんのことなんだけど」
ガトーショコラを突いていたフォークを置いて、つむぎがナプキンで口元を拭う。
「今日は元女子バスケ部のキャプテン、吉川さんとショッピングモールでデートだって」
口に含んでいたコーヒーをたまらず吹き出してしまった。被害は大きくはなかったけれど、白いテーブルクロスに真新しいしみができる。
「あー、もう。汚いなぁ」
「つむぎに正式に振られてから一週間しか経ってないじゃないか!」
節操がないにもほどがあるぞ、タカヒロくん。
「もともと吉川さんの方が狙っていたみたい。クリスマス前で焦ってたんだろうね。今週の頭に呼び出されて告白されたって聞いたよ」
「タカヒロくんからか?」
「そう。申し訳なさと照れを混ぜ合わせた顔して、あたしを訪ねて来てそんな相談していくんだよ。告白されちゃったんだけどどうしましょうって」
「つむぎは一体どんな風にその子を振ったんだよ」
振った相手に次の恋愛相談をしに来る中学生男子の気持ちが、私にはさっぱりわからない。その辺の大人よりも怖いもの知らずで、ずっと強かだ。
だが、日曜日のその後も良好な関係を築けているのは喜ばしいことだ。しっかりと中学生の味方をやっているつむぎが少しだけ眩しく見える。
「ショッピングモールってところがかわいらしいよねー」
「そりゃ、こんな食事も雰囲気も、中学生にはもったいないさ。働く苦労を知ってから味わうがいい」
「子供に厳しいんだから」
「大人に甘いんだ、私は」
「幸せな経験をいっぱいいっぱい、してほしいなぁ」
つむぎは彼のことを大好きだと言った。当たり前だと断言した。その言葉に偽りはないのだろう。例え結ばれない相手だったとしても、心配して、慈しむことができる。つむぎのいいところだ。
コーヒーを片手に穏やかな顔をするつむぎを、私も穏やかな気持ちで見つめた。
無言の時間を味わっていると、つむぎの顔が急に曇る。
「あのさ、玲くん……」
ただならぬ気配を感じて、私は視線をスマホに落とした。
「ん? もう時間か? そろそろ出発しないとな」
食事を始めて既に一時間半。テーブルから見える窓の外には、このレストランの順番待ちの行列ができている。
「名残惜しいけど、寒い中待っている人たちにこの席を譲ってやるか」
「……うん」
立ち上がってマフラーを首に巻いていると音もせず店員さんが近寄ってきて、コートを渡してくれる。
「こちら、お会計でございます」
さらに、つむぎに見えないように勘定札を渡してくれる徹底ぶり。
……まぁ、この組み合わせならこっちに渡すか。
作り笑いを浮かべて受け取り、ありがとうございますと言って店員さんを下げた。
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