第13話 動揺する水曜日

『女子 音信不通 なぜ』


 Googleの検索窓に入力してエンターキーを押す。

 十万件を越える記事がヒットし、その心理を解き明かしたと豪語する大きな見出し文が、ずらりと並んだ。

 いくつか選んで開いてみるも、書いてあることは大して変わらない。

 言い寄る男が重すぎるとか、女性が我慢の限度が越えたとか、関係を進展させなかったことが原因だとか……。そんな当たり前のことばかり。つむぎとの関係にピンと来る回答は見つからない。

 私はため息をついて、ブラウザを閉じた。

 会社のパソコンで何をやっているんだろう……。

 力を抜いて背もたれに体重をかけると、昼休みの人がまばらなオフィスが視界に映った。

 社内には食堂が併設されていて、昼休みともなると、さながらヌーの大移動のごとく、ぞろぞろとオフィスを出ていく。私も普段なら食堂へ足を運ぶのだが、どうにも最近食欲が出ず、コンビニのサンドイッチで済ませてしまっていた。

 余った時間が手持ちぶさたになってしまったのもあり、気がついたらずいぶん女々しいことを検索していた。我ながら情けない。

 窓の外に視線を向ける。季節はもう冬だが、雲一つない秋晴れが広がっていた。

 女心と秋の空。今日も変わらずつむぎからの連絡はない。

 つむぎが今何をしているのか考えるたびに、胸が痛んだ。




『女子 ごめんなさい 心情』


 ふと気が付くと、再び検索窓に入力し、エンターキーを押している。

 定時の時間を過ぎ、定時帰りしていく同僚たちが明るい顔をして去っていく。お疲れ様と声を掛け合う姿を恨めしく見つめながら、私は再びブラウザに視線を向けた。

 今回は「ごめんなさい」と言われた男性のお悩み相談がたくさん出てきた。

 結婚を前提に付き合っていた彼女からごめんなさいと言われた。交わされた言葉はそれだけで、男性はその女性の心情が全くわからないと言う。

 何となく似たような状況だと思って、お悩み相談の回答までたどっていくと、とにかく話し合えという意見が大多数のようだった。

 メールやLINEなんてなかった数十年前なら、絶対にそんな曖昧な状態で終わらせはしなかった。電話するなり、直接会いに行くなりして、互いに言葉を交わし話し合った。そんな体験談が綴られている。

 一理あるのかもしれない。

 私とつむぎは壁ひとつ隔てたところに住んでいる。電話だって簡単にできる。

 一方的に遠ざけられた気になっていたけれど、行動を起こしさえすれば、すぐに繋がり会える位置にいる。

 私はスマホを取り出して、LINEの連絡先を開いた。

 『立石つむぎ』の名前を探してプロフィールを開く。通話ボタンはすぐに見つかった。


「……」


 だが、すぐにボタンは押せない。

 電話を掛けたところで何を話すというのだろう。

 つむぎは私と距離をおこうと思っているのかもしれない。会いたくない、話したくないと思っているのかもしれない。つむぎの立場になって考えてみれば、私からの電話ほど苦しいものはないのではないか……。

 途端に弱気な心に支配され、私の親指は震え始めてしまった。

 あと数センチ。タップしてしまえば、距離など関係なくつむぎのスマホと繋がってしまう。

 つむぎが今何を考えているのか知りたいと思う一方で、つむぎのことを考えるならそっとしておいてあげる方が優しさなんじゃないかとも思えてくる。

 答えがでないとき、私はいつも、変わらない方を選んでしまう。

 意気地がないのはわかっている。でも、今より悪くなるなら今のままを維持したいと思う心は、誰にでもあるんじゃないだろうか?

 はぁとため息をついて、私は仕事に戻ろうとした。


「おい、難しい顔してなにやってるんだ」

「おわっ」


 ドンと、背中をこづかれた。私の手からスマホが踊る。

 間一髪、落ちる直前で捕まえて、安堵しながら振り向くと、そこにいたのはひょろり先輩であった。片手に缶コーヒーを持って眼鏡をずらし、休憩モードらしい。


「深刻な顔しちゃって。……さては、彼氏だな?」

「違いますっ! 何で最初に彼氏が出てくるんですか!」

「じゃあ、彼女か?」

「……違います」


 失礼なことを平気で言うひょろり先輩。先輩には悪気しかなく、面白がっているから厄介だ。


「ま、どうでもいいけどよ。それ、繋がってるぞ?」

「え?」


 指差された手元を見てみれば、緑色の画面で電話のマークが踊っていた。背景にはつむぎのアイコン、くたっと垂れた猫の画像が表示されている。


「わっ! ちょ」


 慌てて切断ボタンを押そうとして、直前で踏みとどまった。

 スマホの画面はつむぎを呼び続ける。

 図らずも繋がってしまった事実に、私の覚悟がかちりと動いた。

 スマホを耳に当てると、軽快な電子音が鳴り響いていた。

 ワンコール。ツーコール。

 同じメロディが繰り返し続いていく。握る掌に汗が滲み、鼓動は次第に高まっていった。


「……」


 つむぎは出なかった。

 一分ほどコールしてみたが、コール音が鳴り続けるだけで、快活で調子のいいつむぎの声を聞くことはできなかった。


「やっぱこれなんじゃないかよ」


 落胆した私をにやにやして見つめ、小指を立ててからかうひょろり先輩。

 しっしっと手を払って、横槍を入れる先輩を追い払い、改めてスマホの画面に視線を落とした。

 出てくれないか……。

 固めた覚悟が無残に散っていく。

 だめだ。こんなことしていたら、いつまでたっても仕事が終わらない。

 スマホを触らないようにカバンの中に放り投げ、私は再びキーボードをたたき始めた。




 仕事を終えて電車に乗る。

 今日も遅くなってしまったと肩を落としながらスマホを開くと、新着のメッセージが一件入っていた。

 震える指でロックを外すと、つむぎからだった。


『出れなくてごめんなさい』


 また、ごめんなさいだ。

 つむぎの意図が読めず頭を掻きむしりそうになるも、よくよく見てみるとメッセージには続きがあった。


『電話、ありがとう』


 膨らみかけた不安が途端に霧散していった。張っていた肩が、すとんと落ちる。

 短い言葉だ。けれど、それで十分な気もした。

 私が心配していることは伝わっている。まるで世界の危機を回避できたように、安らかな気持ちになった。

 ただの社交辞令かもしれない。それでもいい。

 ほんの少しでもつむぎとつながれた。その事実が、私を癒してくれた。

 

 

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