第10話 ■■■■■をしよう

 つむぎとの約束を守るため、昨日はチーズケーキ専門店をハシゴした。

 私が好きでたまに買うケーキ屋さんが二軒と、デパ地下に並ぶ有名洋菓子店、ついでにイオンでやっていた北海道フェアのご当地チーズケーキを一箱買い、一人暮らし用の小さな冷蔵庫はお菓子の化粧箱でいっぱいになった。

 コーヒー豆も、行きつけのコーヒー店でチーズケーキに合うものを選んでもらう。

 自分でもおかしいと思うほど、私は今日を楽しみにしていた。まるでサンタさんを待ち望む、子供みたいだ。

 朝日の差し込むリビングで一人苦笑し、時計をちらりと確認する。

 まだ八時半。つむぎが来るまでは三十分もある。

 朝早く目覚めてしまったから、シャワーも済ませてあるし、フォークとお皿を二人分テーブルに並べてある。コーヒーカップも雰囲気を出すためにとっておきを出してきた。以前結婚式の引き出物でもらった美しい一品。今日この日のためにずっと力を温存していたような、そんな気すらしてくる。

 先週、つむぎに看病してもらったことで、これまで張りつめてきた一人前というプライドが崩れてしまったのかもしれない。いいことなのかはわからない。でも、以前の私にはなかった、新しい変化だとは思う。


「ま、急いても時間が早く進むわけじゃないし」


 読みかけの小説を開いて、時間を潰すことにした。




 カチ、カチ、と時計の秒針が時間を刻む。

 短針は9を指して久しく、長身は12を通り越し既に4を指していた。

 午前九時二十分。


「おかしい……」


 インターフォンが鳴らない。

 玄関の縁に座り込んで待っていた私は、読んでいた文庫本を置いて立ち上がった。

 つむぎが時間通りにインターフォンを押さない。この同盟が始まってから、こんなことは一度もなかった。


「まぁ、つむぎだって人間だ。寝坊ぐらいするだろう」


 目覚ましに安眠を妨げられる平日ではない。今日は日曜日、すべてが赦される日。少しの寝坊なんて気に留めるべきではない。

 そもそも、つむぎが律儀過ぎたのだ。時計のように正確に、毎週毎週私の家のインターフォンを押していた。機械のような正確さを求めるのは間違っている。

 つむぎを弄るネタが一つで来た。

 そう思えば、寝坊で待たされるのも悪くない。




 時刻は十時を回った。

 インターフォンは鳴らない。

 流石に寝すぎだろう。これが平日だったら大目玉だ。

 そう思って苦笑した直後、ふと別の可能性に思い至る。

 もしかしたら先週の私のように、風邪をひいて寝込んでしまっているのではないか……。

 起き上がれず助けも呼べない状況で、一人苦しんでいる。……想像したらいてもたってもいられなくなった。


「恩を返せるチャンスじゃないか!」


 防寒対策をばっちりして、手提げの袋に風邪薬などを詰め込み、マスクをつける。

 先週とは立場が逆。つむぎが私に甘えてくる姿を想像して、思わず顔がにやけた。不純な妄想を頭を振って払い退け、勢い勇んで玄関の扉を開け、……けれど、そこで身体が動かなくなった。

 つむぎの家。お隣の102号室。

 玄関を出てひょいと回り込めばそこが入り口だ。遠距離恋愛のような物理的な障害なんて何もない。

 だが、躊躇してしまう自分がいた。

 私はいつもつむぎを迎え入れていたから気にしなかったが、つむぎだって女の子だ。突然家に入られて困ることもあるだろう。ましてや風邪で寝込んでいるなら、碌すっぽ片付けもできない。乙女の花園にみだりに踏み込むのは気が引ける。


「……」


 というのは建前で、つむぎに拒絶される可能性が脳裏によぎって、足が動かなくなった。

 私はつむぎを受け入れている。けれど、つむぎはどうなんだ? 私を受け入れてくれているのだろうか……?


「そうだ。LINEで」


 何のために連絡先を交換したのか。まさにこういう時の為ではないのか。

 一度リビングに戻ってスマホを取り出し、つむぎに向けてメッセージを打つ。真新しい画面に、初めての吹き出しが生まれる。


『風邪か? うつったか?笑 もしそうならすまん笑』


 既読は、つかなかった。

 とりあえず、これで様子を見てみよう。




 正午を過ぎた。

 つむぎからの連絡は来ない。

 だんだんと心に焦りが出て来る。

 もしかしたら、何か事件に巻き込まれたのかもしれない。連絡の取れない状況に陥っているのかもしれない。

 私に今できることはなんだろう?

 そんな妄想ばかりが頭をよぎり、落ち着かない。

 五分も経たず、スマホを開き、そして閉じてまた待つ。

 随分長く繰り返したけれど、つむぎからの連絡は来ない。

 大丈夫だよな、つむぎ……。

 私は祈るようにスマホを握りしめた。




 午後四時。

 昼飯を食べていないことに気が付いた。

 何か食べなくてはと思い至って、キッチンへ行き、冷蔵庫を開けた。

 中には大量のチーズケーキが入っていて、


「……っ」


 思わず涙が出そうになった。

 どうしようもないやるせなさが胸につかえ、上手く呼吸ができなくなる。

 漏らしそうになった嗚咽を必死でこらえ、冷蔵庫を閉めた。

 これは、つむぎと食べないと……。




 午後九時。

 つむぎを待っただけで今日が終わった。

 まったくなんにもしない一日。日曜日なんにもしない同盟も面目躍如だな、なんて自嘲気味に笑う。

 ソファーに身を投げ出し天井を見上げていると、スマホが震えた。期待して引っ掴んで見てみれば、表示されたLINEの通知は母親からの物だった。

 正月は実家に帰ってくるのかと問う、確認事項。


「――っ! どうでもいいよ、そんなこと!」


 感情に任せて腕を振り上げ、投げつける直前、歯を食いしばって何とか思いとどまった。不要な連絡しか告げないスマホを、ベッドに放り投げ背を向ける。


「つむぎ……。どうしたんだよ……」


 喉の奥からひねり出した叫びは、誰に届くこともなく、虚空へと消えた。




 同盟が始まって三カ月。

 つむぎに会えない日曜日は、初めてのことだった……。

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