第7話 苔テラリウムを作ろう

 今週の私は気分がいい。

 何故かというと、昨日の夕方に待ち望んでいた荷物が届いたからだ。

 朝起きて目に入った段ボールにテンションが上がる。つむぎが来る前にシャワーを浴び、朝ご飯を食べて今日一日の予定を妄想する。


 午前九時。律儀なインターフォンが来客を告げた。


「おっはよー。今日も元気なつむぎさんですよー」


 扉を開けると冷たい風が首筋を通り抜けた。つむぎは暖かそうなニットのセーターに包まれていて、寒さをものともしない笑顔を向けて来る。


「おう。入れ入れ」

「ううん? 玲くん、今日は何か機嫌いい?」

「ん? わかるか?」

「そりゃわかるよ。頬が緩んでるもん」


 洗面台の鏡を覗いて確かめてみるも、普段と変わらない精悍な顔つきの私がいた。

 私は感情が表情に出るタイプではないと思っていたんだがな……。

 つむぎの大きな瞳が覗き込んでくる。


「何かいいことあったの?」

「ふっふっふ……」

「……。これは面倒くさいやつかもしれない……」

「まぁ、そう言うな」


 立ち話も何なので、胡散臭いものを見る目で見つめるつむぎの背中を押して、私たちはリビングに入った。




「これだ!」


 ソファーに並んで腰を下ろして、私は昨日届いた荷物を開けた。

 ホールケーキが入りそうな大きさの段ボールから出てきたのは、手のひらサイズのキャニスター、歪な形の溶岩石、粒の荒い土……。そして、緑色のモフモフ。


「苔テラリウム作成キット!?」

「いかにも!」


 中から出てきたものが余程予想外だったのか、つむぎは取扱説明書と書かれた紙を私の手元からひったくり、目をぱちくりした。


「何これ?」

「読んで字のごとく、苔テラリウムを作成するキットだ」

「いやまず、苔テラリウムからわからないんだけど……。え、これ、苔なの?」


 取説を置いて代わりに小さなタッパーを持ち上げる。中に入っている緑色のモフモフを覗き込み思案顔だ。

 整えられた芝生のような美しい緑。タッパーの上部には『ホソバオキナゴケ』と書かれている。


「テラリウムってアレだよね。ガラスの容器の中に植物入れて飾るやつ」

「そうだ。その苔バージョン。土と石と苔で、小さな森や草原を作るんだ」

「はへー」


 取扱説明書には完成予想図も載っている。

 透明なガラスの容器の下層にソイルと呼ばれる土がひかれ、大小まちまちな溶岩石が三つ転がっている。隙間から自然と生命が芽吹いたように毛の長い苔が顔を出していた。歪な形から生まれる明暗に、一つとして同じ景色はない存在しない。まるで太古からずっとそこで息を潜めていた古代樹の森のような世界が表現されている。


「玲くんの家には植物が多いと思っていたけれど、こういうバラエティもあるんだねぇ」

「私も苔に手を出したのは初めてなんだけどな」


 つむぎの視線が窓辺に移る。

 窓辺には四本足のガーデニングラックが設置してあり、カーテンからこぼれる暖かな日差しを一身に浴びる観葉植物たちが飾ってあった。

 背筋を伸ばしたサンセベリア、豪快に手を広げるモンステラ、小さく密集したフィットニア、我先にとツルを伸ばすアイビー……。観葉植物だけでなく、多肉植物も豊富だ。サボテンに至っては十種類くらい育ってている。

 春から秋にかけてはベランダに出して日光浴させているのだが、朝の気温が15度を下回り始めたら室内に取り込む。冬は室内が賑やかになる季節なのだ。


「植物は癒しだろ?」

「……まぁ、インテリアとしてはいいと思うよ。うん」

「まったく思ってもないような姿に成長することもあるんだ。そういうのを見ると、人間の想像力なんてたかが知れてるなぁって、自分の小ささを感じる。子供を見守る親の気持ちなのかもしれない」

「たぶん、違うと思うけど……。あ、でも、あたしも好きだよ。ほら、アレとか」


 つむぎはキッチンの脇に置いてあった陶器の鉢植えを指差す。小さなハート形の葉っぱが密集して垂れ下がる面白い形をしている。


「アジアンタムか。いい趣味してるぞ、つむぎ。あれはな、ああやって綺麗な濃い緑のまま保っておくのはとても難しいんだ。光が好きなくせに葉が薄くて水分を蓄えられないからすぐに乾燥してしまう。高頻度な水やりと、程よい日光。毎日の天気や気温に合わせて育てる場所を選んでやらないと、チリチリになって見栄えが悪くなる」

「お、おう……」

「つむぎが男を選ぶ機会が来たなら、アジアンタムを綺麗に育てられる男を選ぶんだぞ!」


 マメで面倒見がいい素敵な男性に違いない。

 きっと流行る。草食系男子の究極系、草育系男子!


「もう! 余計なお世話! アジアンタム? 育ててるのなんて、玲くんぐらいだよ!」

「なんだと!? 世の中の男どもは見る目がないなぁ」

「植物じゃなくて女の子を見なさい!」


 口を尖らせたつむぎは、玲くんが想像以上に植物オタクだったとぼそぼそ呟いていた。

 私の植物自慢は置いておくとして、なんにもしない同盟の活動である。

 私は一度席を立って、クローゼットにしまってあった工具ケースから、ピンセットとスプーン、割り箸と霧吹きを持って来た。


「キットってことは、これでテラリウムが作れるの?」

「そういうことだな」


 テーブルの上に新聞紙を広げ、その上に道具と材料を並べた。俯瞰してみると自分がテラリウム職人になったような感じがして気分がいい。


「さて」


 キャニスターを手に取る。ガラス製の円筒形の容器で、密封できるようにパッキンが付いた蓋が付いている。コーヒーや紅茶を保存しておくための容器として、生活用品店で売っているようなものだ。

 まずはそこにソイルを入れる。土を焼き固めた直径3ミリほどの粒だ。アクアリウムなど水槽で使われることが多い。苔に根はなく、養分は葉から吸収するだけなので、肥料の練り込んである培養土は不要だ。清潔さと固まりやすさ、それに埋め込みやすい粒度が物を言う。

 百均で買ってきた木のスプーンでソイルを拾い、パラパラと容器の底を埋めていく。どの角度からも見ることができるという特性を活かすなら、傾斜をつけて変化を楽しむのがいいのだろうか……?


「……」


 集中し始めた私の袖の裾が、ピンピンと引っ張られる。


「なんだ、つむぎ? そんなに悲しそうな顔をして」

「……くぅーん」


 捨てられた子犬のように小さくなるつむぎ。

 眉は下がりウルウルした瞳を一心にこちらに向けて来る。その表情を見て、私はもう少しだけ、意地悪したくなった。


「同盟の盟約は守っているぞ。誰かに強制されてはいけないし、強制してもいけない。私は私なりの何にもしないを謳歌している」

「そうだけどぉ」

「私は先週のつむぎのように姑息な手は使わないからなぁ」

「こ、姑息だなんて……! 玲くんも楽しんでたのにぃ!」


 楽しくなかったと言われたら嘘になる。いい頭の体操にはなったと思う。普段使わない脳細胞に刺激を与えられた。

 煮え切らない私の態度に、つむぎがしゅんとなる。


「うぅ……」

「あれ? そう言えばこのキット、もう一セット買ってあったんだった」

「えっ!?」


 これ見よがしに段ボールの中からキットを取り出してつむぎの前に置いてみる。驚きの表情から一転、親指の爪を噛んで恨めし気な視線を私にぶつける。

 つむぎも気付いただろう。いつも振り回される私の心ばかりの意趣返しであることに。


「……」

「さぁ、続き続き。土の次は石の位置を決めるのか」

「んー、もう! わかった。あたしの負けでいいから!」


 作業に取り掛かろうとする私を強い力で引き留めた。


「あたしもやってみたい! その、玲くんがやってる苔テラリウム……」

「おや? つむぎも興味があったとは意外だなぁ」

「白々しい!」

「冗談だ。ほら」


 今度こそつむぎの手にキットを手渡してやる。両手で受け取ったつむぎの表情が、ぱっと明るくなる。思わず見惚れてしまいそうだった。

 私は顔を逸らして言う。


「一人で黙々と作業するより、誰かと話しながらやった方が楽しそだうと思ってたんだ」

「玲くんの意地悪ぅ。性格捻じ曲がってるぅ」


 じっとりと湿った視線が、頬の辺りをチクチクする。

 でも、そう思ったのは本当だ。

 趣味でやってみようと思っていた苔テラリウム。通販のサイトで購入ボタンをぽちっとする直前、つむぎの顔が浮かんだ。私のかなりニッチな趣味につむぎを巻き込むのも悪いかと思ったけれど、好奇心の方が勝ってしまった。


「ほら、やり方教えてよ。今日は玲くんが先生なんでしょ?」


 つむぎが先を促す。

 そんなことは杞憂だった。

 ネタなんてたぶん何でもいいのだ。

 ここにきて一緒の時間を過ごせれば、何でもいいのだ。

 そんな当たり前なことに気が付いて、ホッとしている自分がいる。

 自分の鈍感さ加減に苦笑して、私はつむぎの先生になることにした。




「難しいなぁ」

「難しいねぇ」


 出来上がった二つのキャニスターを並べて、私とつむぎは腕を組んで険しい顔を向けた。

 つむぎが作った四角い容器の中には、こんもりと繁茂する苔がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。鬱蒼とした森どころか、自然全てが植物に負けた未知の惑星のようになっている。

 一方の私が作った円筒形の容器は、どうにも殺伐としていた。傾斜を付けたはずの土は、出来上がったときには平地になっており、苔は根元がしっかり埋まっておらず、茶色く枯れた部分が外から見えて何ともみすぼらしい。センスというより器用さが足りていない。

 途中からYou Tubeで作り方を検索しながらやっていたのだが、ピンセットを使って器用に苔を土に差し込む技を、どうにも真似できなかった。

 一通り作業を終え、一息つきながら、つむぎのスマホで苔テラリウムの画像を検索してみる。画像検索で表示されるのは整ったテラリウムばかりで、完成度の高いものを見ると、どうしてももっときれいな世界を作ってみたいと思ってしまう。


「へぇ、オーナメントとか置くのもあるんだ。この牛のやつ可愛い」

「クリスマスツリーとかに飾る小さなに人形か。ジオラマみたいになって世界が広がるな」


 まるで草原を闊歩する牛の行列のようだ。こっちは山岳地帯をクライミングするワンシーン。こんな世界を苔で表現出来たら楽しいだろうな。


「これ、お世話ってどうするの?」

「換気と霧吹きだけでいいらしい。あとはカーテン越しの光が当たる場所に置いておく」

「お世話大変だね、玲くん」

「自分で作ったのは育てろよ」

「え? いいの、もらって?」


 何故そこで疑問が出る?

 苔だって生命だ。責任を持って世話をしなければいけない。


「えへへ。ありがとう。玲くんだと思って大切にするね」

「それは、なんか、嫌だ」


 大切そうに抱えているけれど、大丈夫だろうか。




 片付けをしているうちにあっという間に辺りが暗くなった。最近は日の入りが早い。

 つむぎは玄関で靴の爪先をトントンとやって靴を履く。


「まったくもって、玲くんが意地悪だということが身に染みた一日だった」

「お互い様だろ?」


 きょとんと可愛い仕草で首を傾げる。私と目が合うと、てへ、と笑った。


「でも、最終的に、というか、最初から私のことを考えてくれる優しい人だということもわかった。じゃなきゃ、キットを二つも買っておかないもんね」


 今度は悪戯っぽく覗き込んでくる。

 その視線は苦手だ。顔を逸らして手を払って帰れと示唆する。


「じゃ、また来週ね」

「あぁ、風邪ひくなよ」

「玲くんじゃあるまいし」


 つむぎの背中が玄関扉に遮られて見えなくなった。

 鼻歌を歌いながらリビングへ戻る。一つ残った苔テラリウムの容器が今日の成果を主張していた。

 手に取り中に広がった世界を覗き込んで、ふふと頬を緩める。

 テレビの隣に置いて遠くから眺めると、今日一日のつむぎのとのやり取りが浮かんできた。

 やっぱり、今週の私は気分がいい。

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