第3話 モンブランを食べよう
「とりっくおあとりーとなのだー!」
午前九時に鳴ったインターホンの液晶画面には、朝からテンションの高い怠惰先生が映っていた。
「恐喝は犯罪です」
「ひどいっ。無垢な子供のささやかないたずらを!」
「子供じゃないだろ」
「にじゅーろくさい」
相変わらず五歳児のイントネーションだった。
「じゃーん。今日は差し入れがありまーす!」
玄関の扉を開くと、つむぎのしたり顔が目に入った。ハロウィンっぽいことを言っているが、仮装しているわけではない。いつものワンピースのつむぎだった。
その手で掲げているのはちょっと太った直方体の紙の箱。ほのかに甘い香りが漂ってくる。
「これは珍しいな。日曜日はなんにもしない日じゃなかったのか?」
「その通り。だから、昨日のうちにケーキ屋さんに行ってきたの! まだ、お店開く時間でもないしねー。さ、お邪魔しまーすっと」
どこまでも同盟に忠実な奴だ。
勝手に入って行ってテーブルに箱を置き、ソファーに寝転ぶ。途端に全身溶けたように柔らかくなった。
この家で、彼女は常にバブルスライムだ。
「今日は何する?」
「なんにもしないよ」
私はいつものようにシャワーを浴び、眠気を吹っ飛ばしてからリビングに戻る。
つむぎは、先週の続きのドラマを再生しようとアプリを開いていた。
今日こそは最後まで見ようと意気込んでいる。
「それより、玲くん。やっぱケーキにはアレだよね? 喉乾いちゃった」
「ん? 牛乳か?」
「ちがうよ! もっと黒くて苦い奴!」
「コーヒーか。欲しいなら欲しいって言えばいいだろ」
「だめだよ。この日曜日では、誰かに命令してはいけないし、命令に従う必要もないんだから。命令に従うってことは、自分の意志に反して何かをするってことだよ? それじゃ、盟約違反になっちゃう」
「よくわからんがややこしいな。ま、丁度私も飲みたかったし。ついでに淹れてやるよ。自発的にな」
「さっすが玲くん! わかってるぅ」
私はケトルの電源を入れた。
「さて、御開帳でございます」
コーヒーの香りがリビングに充満する中、つむぎは勿体ぶって包みを開けた。
「はい、立派なモンブラン!」
「一つ聞きたいんだが」
「なぁに、玲くん」
「一つしかないぞ?」
「な、なんだってー」
なんだってーって……。見ればわかるだろう。
「あたしは確かに二つ買いました、警部。しかし、今日包みを開けたら一つしか入っていないのです。これは一体どういうことでしょう?」
なんだ、今日はミステリーがやりたいのか。
「犯行時刻は土曜日の夜7時から日曜日の朝9時半まで。犯人は、何処かのタイミングで一つだけこっそり抜き取ったものと思われます」
「なるほど。容疑者はだいぶ絞られますね。因みに探偵つむぎ、昨日の夜モンブランはどこに?」
「ずっと冷蔵庫に……。いや待てよ。そう言えば、一度だけ冷蔵庫から取り出しました」
「取り出した? それは何故?」
「小腹が減ったからです!」
「お前じゃねぇか!」
犯人はとても身近にいた。
「探偵が犯人というミステリー。これ、完全犯罪も夢じゃないかもしれないよ!?」
「主人公が犯人ってのはあるが、探偵役が犯人ってのはルール違反なんじゃないのか?」
というか、その小説、どうやって締めるんだ? 嘘の推理を披露して、無垢な一般人に冤罪を押し付けて、やったぜ、完全犯罪! って喜んで終わるのか? 後味悪そう。
「話は戻ってモンブラン」
「差し入れしてくれたということは、これは私のものだろう? そうだろう?」
「いやいや、勝手を言っちゃあ困るなぁ。あたしはモンブランが大好きなんだよ?」
「知らんわ!」
「モンブランに限らず、秋のスイーツは大好きなんだよ?」
「知らんわ!」
その主張には大いに賛同するが……。
秋のスイーツは美味しいものが多い。なんといっても素材がいい。サツマイモもカボチャも栗も、どうしてあんなに美味しいのだろう。
「というわけで、ここは公平に」
「半分にするか?」
「ゲームで決着をつけよう!」
「なんでだよ!」
今日はツッコミが多いな。
「ここにあるのはモンブランです。モンブランは、どっかにある山の名前が由来となっています。この独特な風貌に、形が似ている山の名前を付ける、なんていう当たり障りないネーミングをしてしまった人は、きっとどうかしていたのでしょう」
「お前の頭がどうかしてるよ」
「さて問題です。あなたならこの独特な形のケーキに、何て名前を付けるでしょうか!」
「む」
想像していたよりもまともなゲームだった。
因みに、モンブランはフランスとイタリアの国境付近にあるアルプス山脈のモンブランが由来となっている。意味は白い山だそうだ。日本のモンブランは白くないし、名前だけが独り歩きしているわけだ。
「なお、ネーミングセンスで相手を参ったと言わせた方が勝ちです」
「むずっ!」
ハイセンスな名前を付けて、相手のプライドをへし折らないと勝てないのか。えげつないゲームだ。
「それでは私から! 『うんt――」
「いきなりアウトだわっ!」
近くにあった小説の背表紙を振り下ろした。
油断していた。格好とか律儀な性格から、育ちのいいお嬢様だと思っていた。小学生レベルのネーミングセンスだった。
「いたぁ……。もう、ゲームなんだから叩くことないじゃん」
「食べるときに想像するだろうが!」
つむぎが買って来たモンブランは栗成分が強いのか、黄色というより茶色い。それが幾重にも巻き付けられているものだから、自然と想像してしまう。サイテーだ。こいつは、サイテーな記憶を私に植えつけてきやがった。
「はい、玲くんの番」
バトンが渡される。
ふむ。すこし真面目に考えてやろう。
要は見た目のインパクトを前面に押し出して、トリッキーな名前を上げればよいのだ。スイーツとはかけ離れたものに例え、ちゃんと美味しさを伝える。
茶色い帯状のものがぐるぐるぐるぐる……。
「……ろけ……」
「え? なに?」
口にしたはずなのに、言葉にならなかった。
恥ずかしさが首筋からせり上がってくる。
くそっ。なんだこれ、意外に恥ずかしいぞ。
「……けーき」
「聞こえないよ」
あぁもう!
「と、とぐろケーキ……!」
「…………」
「なんか言ってぇ!」
冷めた視線が突き刺さる。
名前を付けるってなんなんだ! 滅茶苦茶恥ずかしいぞ。
何故私はあんな安請け合いをしてしまったんだ……。どうしてつむぎは恥ずかしげもなく、自分の思いついたことを口走れるのだ……!
私の頭は沸騰してポンコツになってしまった。
「はぁ。玲さんや。恥ずかしがっていたら、何も切り拓けませんぜ?」
肩にぽんと手を置き、つむぎの首がやれやれと振られる。
やめて! 憐れまないで!
「次、あたしの番ね!」
私の名前が受け入れられなかったため、順番は再びつむぎに移る。
目を閉じ腕を組みアイデアを捻り出そうとする姿に、迷いは全くない。
……こりゃ、勝てないや。
私は自分の負けを悟った。
さあ来い。
どんな単語が出て来ても、私はお前に勝ちを譲ろう……。
「腐ったイカそうめん」
「ばかちーん!」
度胸だけは認めるが、その腐ったネーミングセンスには、もう一度チョップを繰り出す必要があった。
結局、私は負けを認めてモンブランはつむぎに譲った。
「モンブランはモンブランだ。それ以外に名前はいらない」
「えー、これまでの苦労はなんだったのさー」
「断じて腐ったイカそうめんとかうん……とか呼ばせない!」
「短くて呼びやすいと思ったのにな……」
「……」
パクリ。スプーンで掬ってとぐろを巻く茶色い物体を口の中に放り込む。
私には真似できない。図太い神経をお持ちだ。
「なんにもしない日曜日なのに、ゲームに本気は出すんだな」
「そりゃね。なんにもしない日を優雅に過ごすためなら、私は何でもするよ。万難を排すよ」
矛盾してない? と思ったが、たぶん彼女の中では矛盾していないのだろう。
ちょっと羨ましいと思う。
つむぎはいつも活き活きしている。自分の望むがままを曝け出し、その結果がどうなったとしても満足そうに笑う。
大人になると、自然とできなくなってしまうことだ。国はつむぎを、特別天然記念物として早く保護した方がいい。動物園に飾って、みんなで愛でよう。
そうしたら、なんにもしない日曜日は永遠に来なくなってしまうだろうけれど……。
「なに? 欲しいの?」
じとっと
「仕方がないなぁ。大人で、優しくて、頼りがいがあって、慈悲深く、尊大な心を持っている聖女つむぎが、施しをあげよう」
「……」
「あたしのいいところを三つ挙げてくれたら、一口あげよう」
無償ではなかった。慈悲とは何だろう。
「ポジティブ、律儀、面倒見がいい」
「え?」
「ん?」
あれ? 駄目だった? 普通に褒めたつもりだったけど?
「面倒見がいい?」
「こんな私のところに、毎週のように顔を出してくれるお人よしって意味だよ」
「……そうかな」
つむぎはそっと横髪の奥に表情を隠す。覗き込むと頬が緩んでいた。
「仕方がない。契約は契約だもんね。はい、あーん」
「いや、自分で食べるわ」
差し出すスプーンをつむぎの手から奪い取り、私は即座に口の中に放り込んだ。
「もう!」
べたべたに甘い誘惑が頭の中を支配した。
午後九時。
「じゃ、また来週」
モンブランを分け合った後、ドラマの続きを見て一日が終わった。
とても無為で、そして贅沢な日曜日だった。
「うん。また来週」
つむぎもそう言って手を振った。
面倒見がいい、という言葉が出てきたのはなんとなくだった。あの時のつむぎの表情が、今まで見たどの表情よりも子供っぽくて、思わずドキッとした。
あれは一体何だったんだろう。
そう言えば、つむぎのこと、ほとんど知らないな。
あんまり興味はなかったけれど、同盟活動を続けるうちに情が湧いてきてしまったのかもしれない。
まぁいいさ。焦る必要もない。
手を振って見送り、誰に言うでもなく言葉にする。
「来週も仕事頑張るか!」
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