第1話 不法侵入

「っべーわ、っべー超やっべー」

帝国最大の都市のビルの屋上で、狼狽する者有り。ヘルズゲートだ。

「出られないんですか?」

「帝国の国境は異常なほど警備が厳重だ、勝手に入ったのがバレたら…」

二人は邪神の追跡を逃れるべく空間移動を敢行したが、場所の指定をミスり、帝国領内に飛んでしまったのだ。 

「いや…普通にまた空間移動すればいいんじゃないですか?」

「医者に止められてんだよ、『1週間に1回までにしてください』って」 

「い、医者?…1週間に1回しか使えない技を使ったってことは、あの邪神?とかいうのは相当ヤバイやつなんですか?」

「ん…ヤバイというより厄介なんだよなあ…殺すとものすごい爆発起こすし…」 

「じゃあ殺してから空間移動すればよかったのは?」 

ヘルズゲートは鼻で笑った。

「フッ…もっと早く言ってほしかったね」

「あんたのミスじゃねーか!」

頭痛くなってきた…ミラノは頭を抱えた。このままではいつになっても帰れない。少なくとも後1週間は。 

「…そうだ!ヘルズゲートさんはこの国の軍人さんだったんですよね?しかも爵位貰えるくらいの!だったら多少の便宜は図ってくれるんじゃないですか?」

「まあ、そうだけど…どうかなぁ、アタシ大臣一人暗殺してんだよなあ…大丈夫かな?」

ーーーーー頭が真っ白になった。

「ドテロリストじゃねぇか!」 

「だからさ、大丈夫かなぁって」

「大丈夫なわきゃねーだろ!!え?え??何でそんな事…」

「不幸な行き違いがあったんだ…まあ悔やんでも仕方がない、ポジティブに行こう!」

溌溂として言うヘルズゲート。やはり狂っている。大体こんな目立つ所にいつまでもいたら捕まってしまう!…見下ろせば、都市は活気に満ち、かなり栄えているのがわかる。警察機構もしっかりと発達している事だろう。

「…とにかく、これから1週間は逃げ回らなきゃならないんですから、早く移動しましょう!…あの?」

「うん?」

「こっちの1週間も7日ですよね?」

「ったりめーじゃねぇか、月火水木金土日だっつーの!」

「そうですか、それはよかった!…ちなみに一日は」

「24時間だよ!!そこまで独自の文化形成してねぇわ!」

言いつつ、ヘルズゲートはフェンスを乗り越え屋上から飛び降りる。

「ま、待って!」

ミラノもフェンスを乗り越えーー飛び降りない。ただ縁にしがみつき、足をバタバタさせるばかりだ。

「何やってんだ!早くしろよ!」 

「待ってってば!いきなりは無理ですよっ…ああっ!」

手が滑り、かなりの高さを落下!背中から思い切り地面に叩きつけられる!、…が、無傷である。

(…痛くもない。この化物め!)

自らに毒づきつつ、周囲を見回す。ビルの屋上から見た時は栄えているように見えたが、真下は路地裏と言うよりは、ほとんどスラム街だ。同じ都市の中に、絶対的な格差。どこの世界でも僅かな弱者が大勢の市民を、市民がこれまた僅かな成功者を支える社会構造は変わらないらしい。超人的な視力で遠くを見れば、日光を反射する美しいビルディングが労働者の墓石めいて立ち並ぶ。アスファルトと欺瞞で塗り固められたこの都市において、このスラム街は、滲み出た人間性の儚い拠り所であるように思われた。

「ダァラ、オマッ、アーッ!」 

「バウ!バウ、バウ!」

びっくりして声のした方を見れば、薄汚れた大男が老犬と喧嘩していた。

(…いや、獣性か?)

神話に伝わる人外魔境の地『神界』が、これ程までに惨めなソドムであったとは。ミラノがネガティブな空想を弄んでいると、突如として轟音が鳴り響いた。

「!?…な、何!?」 

周囲に影が差す。ミラノが見上げると…

「おっとっと」

最初二人がいたビルが倒壊し、こちらに倒れ込んで来たのを、ヘルズゲートが右手で支えていた。

「あ、ああ…!?あわ、な、あっ」

何が起きた!?ビルの根元を見ると、さっきの浮浪者大男が正拳突きでビルを破壊していたのだ! 

「な、何で、コレ」

「大方どこぞのパンテオン勤めの神の成れの果てだろうぜ」 

ヘルズゲートは取り澄まして言う。今や大男はさらに巨大化し、光の巨人と化していた!

「フォォォーーォォーン!!」

パイプオルガンめいた荘厳な雄叫びを上げ、壮絶なスピードで走り去る! 

「ここはいっちょボランティア精神を見せてやろうか!」 

「へっ?あ、」

やっぱり『神界』は『神界』だ。さっきまで知った気になっていたのが全く恥ずかしい。

「よっ」

ヘルズゲートは右手に持ったビルを逃走した巨人へ投げつけた!周囲の建造物が巻き込まれて倒壊する!

「ば、馬鹿!!なんつー事を…」

悲鳴が上がり、あちこちで崩壊の連鎖が始まる。地獄絵図だ。このままじゃ…!

「マダキ社の襲撃だ!デアエーー!!」

「おのれ!反撃しろ!」

瓦礫の中からスーツ姿のモンスターが飛び出して来て、殺し合いを始めた。後に分かる事だが、彼らはサラリーマン上位存在であり、このような企業同士の戦闘には慣れたものなのである!人間世界ではとうに失われた古代ルーン魔術や大規模鏖殺呪文の閃光が頭上を舞い、邪悪な秘法が起こす爆発がビルの谷間の闇を照らす。そこに有象無象の魔王が現れて、使い魔を召喚して金目のものを拾わせている。

「ウアアーーアア!あア…」 

ミラノはただ呆然として、その混沌の中に立ち尽くすしかなかったーーーー



畜生。畜生。

「畜生ォーッ!」

何で俺ばかりがこんな目に。捕まるのだけは嫌だ。それだけは。帝国治安維持隊は、その残虐性では黒魔術マフィアも到底及ばないほどであり、捕まれば何をされるかわからない。何でこんな思いをしなければならないんだ!俺は真面目に働いていただけなのに。それなのに、アイツらは。 

『いい年こいてさあ、もっと臨機応変に出来ないの?』

『そんなんだからずっと末席なんだよ』 

クソ、クソッ!何が臨機応変だよ。何が末席だよ。どいつもこいつも俺の事を馬鹿にしやがって。俺はお前らより遥かに旧くから有る存在だぞ!2500年の時を生きる巨神だぞ!それを、それを…! 

(そうさ、だから分からせてやった) 

上位の神2柱を殺し、逃走した。ヤツらの死に際の顔は見物だった。俺を馬鹿にしやがったゴミ共は皆死ぬべきなんだ。だからあの犬も殺してやった。老いぼれ犬如きがこの俺に向かって吠えかかりやがって! 

「ハッハ!死んで当然だぜクソ犬がァ!」 

「犬は生きてるぞ」 

「!?」背後から声。

振り向けば、そこには女がいた。豊かな金髪の隙間から禍々しい真紅の双眸が覗く。その姿は、清浄なる地から舞い降りた告死の天使めいて、本能に深い絶望を刻み付ける。小脇には犬を抱えていた。

「お前は死ぬけどな」 

「て、テメェ…誰だ!それに、その、その犬は…ッ!」ありえない。こんな事が。 

「おめーよ、やって良い事と悪い事があんだろーが?ビルを壊すのはいいがよ、犬殺そーとすんのはダメだよなぁ?」 

なんだコイツは。コイツも俺を馬鹿にする気か。上等だ、だったら。 

「テメェも死ぬしかねぇなァ!」

全身が爆発するかの如く一気に膨張し、神々しい光を放つ。 

「調子に」 

女の姿が消え、後ろに隠れていたセーラー服の少女がぽかんと立ち尽くす。「ほえ?」 

「乗るな」 

女の温かい息が首筋に当たる。 

「は?」

巨神がそれに気付いた時には、女のほっそりとした指先が彼の喉に突き刺さっていた。 

「ゴハァァーーバ、バババブバァーッ!?」

何か言おうとした。全て断末魔となって傷口から吹き出た。虹色の血が飛び散りると、付着した地面からけばけばしい色の植物や虫が湧いた。神の血は自然を歪めるのだ。 

「ンよいしょっと」 

女が指を引き抜くと、彼を覆っていた光の外殻が崩壊し、目、鼻、口から生命の奔流が迸った。…やがてそれが収まると、そこには、干からびた哀れなミイラが残った。それでもまだ、生きていた。 

「ア、アア…クソォーッ…畜生…何で…こんな、俺ばっかり…俺が何をした…?」 

紅い眼が、敗北者を無慈悲に見下ろした。

「知らねぇよ」 

「俺は何も悪くない!ゲボッ!…俺は、ただ真面目に…」

「本当にそうですか?」

突然会話に割り込んできたのは、さっきまでぼーっと突っ立っていたセーラー服のガキだった。黒い髪は脂ぎってボサボサで、目つきもどこか陰気だ。 

「ミラノ?」 

「本当にあんたは悪くないの?」 

「何だと…?」 

少女の目には怒りが燃えていた。 

「アイツらは俺の事を軽蔑してた!」 

「あんたが旧弊にしがみつく老害だったから?」 

「違う!俺はただ、真面目に…」 

「またそれかよ!!新しい事に適応しようともせずに環境に文句ばかり言って!挙げ句の果てに何!?野良犬に八つ当たりしてさ!何が神様よ!『いい年こいて』恥ずかしくないの!?」 

ミイラが目を見開いた。 

「テメェも、それを…!クソ、クソ、俺は悪くねぇ!俺は…悪く…ガブォッ!………」 

死んだ。2500年生き続けた神の、最期の言葉であった。 

「お前ミラノよォ、急にどした?」

ミラノは気恥ずかし気に返した。

「いや…人間だった頃の…向こうにいた頃の自分を思い出しちゃってさ」

真面目である事にすがりつき、気も効かないくせに周りの人間を皆クズと断じて適応しようともせず、挙げ句いじめられ、キレて八つ当たりに人を殺して逃げ出して。 

「もうそんな生き方はしないって決めたの」

「ほう!そりゃ結構な事だ!国家権力から逃げ回りつつ自己啓発するとは、なかなか出来る事じゃない」 

おお、そうであった!

「やっばい、忘れてた…早くここから逃げなきゃ!」 

「おうともさ!逃げろや逃げろい!」 

そう言うと二人の人外は貪婪の都の喧騒に、消えていった。

ーーーー 一方、その頃。 

「すいません、こんな人見ませんでしたか…?」 

「いんや、見たことねぇな」 

「あっ、そうですか!どうもすいません…。…ちょっと、本当にこっちで合ってる?」 

「え〜っ!こんなにおっきいスイカくれるのだ?」 

「ええよ、嬢ちゃんべっぴんさんじゃけん」

「ありがとうなのだ!」 

バスカヴィルは農家の老人と触れ合っている。

「ああっ、もう!!仕事をすんだよ!仕事をよぉ!」 

「怒ると身体に悪いのだ」

「上等だよ!こちとら不死身だバカヤロウ!…あ〜っ!見つからなかったらまた減給だよ!!」 

副官の叫びが、寂びた農村に響いた。

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