第九話 かわゆい嫁
「そういえば、眼鏡をかけたまま、やっとった」
主を探す雲を眺め、玄武は目を細めた。
懐かしい。あれから5年も経ったのだ。
「翌朝、俺は逃げるように帝都に帰った。数日後の新聞で、あの朝の直後に琥珀の採掘場が山崩れで潰されたことを知った。朝早い時間だったこともあって、誰も採掘場に来ていなかった。幸い、犠牲者は出なかった」
聞き手の表情を伺うと、学生の青年は神妙な顔で話を聞いていた。
「どや、刺激的な体験談は」
「自分の無知を知りました。あのように危険を冒してまで山で働かなくてはならない人もいれば。勉学ができない環境の子もいる。女性を一個人として扱わない者もいる。先生は、そのような人達を見てきたのですね。貴重なお話をありがとうございました」
玄武は拍子抜けしてしまった。
なんや、おもろない。聞きたくないと嫌がったり、怖がる反応を期待していたのに。
「なあなあ、名取くん」
玄武は膝を詰め、晶水に身を引き、頬を引きつらせた。その純粋な反応が面白く、玄武はもっとちょっかいを出したくて仕方がない。
「今夜、時間ある?」
返事はない。何か勘違いしているとみて、先に訂正しておく。
「夜這いやないで」
「違うのですか」
「夜這いしたろか」
育ちの良い若者らしいなめらかな肌に指を滑らせた刹那、研究室の戸が開いた。しかし、すぐに閉まる。
「ちゃうで! 勘違いや! ごめんなさい! 愛してる! 昼間もかわゆい! 一番美しいで!」
玄武は弾かれたように研究室の戸を開け、来客を呼び戻す。
「果乃!」
来客は黙って差し入れの菓子を玄武に渡し、背伸びをして玄武と唇を重ねた。
玄武が呆気に取られている間に、いたずらに成功した子どものように、いそいそと去ってゆく。
「先生、先程のかたは、果乃と……?」
「嫁や」
「嫁?」
晶水の表情が、戸惑いの色を見せる。
「お話に出てきた人ですよね?」
「ああ。言わんかったっけ? あのとき、果乃を連れて帰って入籍したんや」
「不倫と駆け落ちですよ!」
「せやな」
玄武は、果乃がわざわざ持ってきてくれた包みを開けた。焼きたてのさつまいものケーキが、ほくほくと湯気を立てている。
「なあ、名取くん。今夜、時間ある? ミルクホールで催しがあるんやけど」
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