第五話 家族思いの兄

 玄武の朝は、遅い。

 幼少期の週刊も影響しているのだが、二十五になっても早起きが苦手だ。

「にいちゃん、起きろ!」

 たまに阿栗あぐりが起こしに来る。

 夜を共に過ごした女は、暗いうちに静かに布団から出て行く。阿栗が掛布団を剥がす頃には、玄武は寝間着を着直して何事もなかったかのように独りで睡眠している。

 今朝も玄武は阿栗に起こされ、寝ぼけた頭で朝食を摂る。

 麦か何かの穀物が混ざった米飯に、漬物、甘いのかしょっぱいのかわからない汁物。

「甘くてしょっぱくて、うまい!」

 豆や団子が入った汁物を、阿栗は無邪気にかき込む。“まめぶ”という料理らしい。

 食事を提供するのは、いつも同じ女人だ。夜の庭で黙々と洗濯をしていた、美人ではないが目を引く女人。口がきけぬわけではなさそうだが、誰かと話す様子は見られない。

 女人は、男達全員の昼飯もつくる。竹の皮に包んだ握り飯を、皆に持たせる。

「ねえちゃん、行ってくるね!」

 阿栗は親しそうに女人を呼んだ。

 女人は黙って頭を下げただけだった。



 琥珀の採掘場は、朝8時から17時まで開かれている。言い方を変えれば、8時から17時までしか働けない。

 こういう場所では休憩なしに12時間は働かされる、と玄武は聞いたことがあった。しかし、ここは休憩時間込みで9時間労働。労働者も少ない。

「ここ、閉鎖されるみたいだよ」

 昼休み、握り飯の包みを開いて阿栗がこっそり教えてくれた。

「今月末で閉鎖になるって、噂を聞いた。やっぱりそうだよなって思ったよ。賃金だって安いし、あんまり働かないし、最近は琥珀が出ないし」

 阿栗は脳天気なようでいて、働くことに関して色々と考えているようだ。

「閉鎖になったら、どうするつもりや」

 玄武が訊ねると、阿栗は米粒を頬につけて首を傾げる。

「別の働き口を探すよ。多少大変でも、賃金が高いところ」

 故郷さとの母と幼い妹に仕送りをしなくてはならないらしい。

「“おとめちゃん”を学校に通わせてあげたいんだ。俺みたいに、名前しか書けない人になっちゃ駄目だから」

 阿栗は、棒切れで地面に文字を書く。

 阿栗

 於留

 阿栗は、父親のことは話さなかった。

「あ! にいちゃん、握り飯が1個多い!」

 阿栗に指摘され、玄武は気づいた。阿栗の握り飯は、ふたつだった。玄武は3つだ。味のついた菜に包まれた握り飯。中身は、肉味噌だった。

「にいちゃんは、ねえちゃんとなんだろ? 皆言ってるよ」

 玄武は米粒を吹き出しそうになった。



 採掘場を出て、銭湯で汚れを落とし、下宿屋に帰ると、来客があった。

石嵜いしざきくん」

 玄武をそう呼ぶ来客は、下宿人より先に猪鍋ししなべさかなに酒を始めていた。採掘場の男達も集まり、猪鍋を囲んで酒にありつく。

「今日、豪華じゃん!」

 阿栗は、癖の強さも気にせずに猪肉を頬張る。

秋心あきみさん」

 玄武が声をかけると、来客、秋心粧太郎は帳面を出して玄武に見せてくれた。

「あの女人、なかなか良いね」

 粧太郎は、帳面の文字を玄武に見せてくれる。



 ――いとしいひとのむねでねむりたい



 鉛筆で、薄く書かれていた。他の筆蹟とは異なる。

 愛しい人の胸で眠りたい。

 女人といえば、下宿人の世話をしてくれるあの女人しかいない。

「彼女が書いたのですか」

「そうです。なかなかの感性をお持ちだ。もったいない」

 こう評価された女人は、鍋の野菜を足し、蓋をして煮込みにかかる。

「ねえちゃん、今日も握り飯うまかったよ!」

 阿栗に褒められ、女人は黙ってうつむいた。



 ――にいちゃんは、ねえちゃんとなんだろ?



 下宿屋の女人が、あの女。

 そうかもしれないと思っても、信じがたい。

 黙々と男達の世話をする女人が、夜はえりを乱して肌を許すなど、妄想はしても想像がつかない。

 夜闇の中、玄武のもとを、今宵も女は訪ねてきた。黙って布団に入り、身を寄せる。

 合図をしたわけでもなく、ふたりは口づけを交わす。女は、今宵も涙で頬を濡らしていた。



 ――いとしいひとのむねでねむりたい。



 あんたに、愛しい人はおるんか。

 玄武は問いたくなった。しかし、問うことはしない。言葉を交わしたら、この逢瀬は終わってしまうかもしれない。

 終わりたくない。もっと一緒にいたい。

 もっと知りたい。

 玄武の真似をして、ついばむだけの口づけを繰り返す女の、いじらしい唇を指でなぞる。驚いて半分開いた唇に、男は唇を重ねた。強く押しつけ、舌を捻じ込む。もっと。もっと深く。舌根まで絡めんと、力ずくで。

 俺では駄目か。

 体で覚えさせてやろうか。

 深い口づけを繰り返し、女の息が疲れで荒くなると、向きを変えさせ、女を後ろから抱きしめる。

 女の口元に指で触れると、手に取るように息遣いが感じられた。

 胸元に手をやると、今日に限って寝間着の衿を整えていた。

 無理矢理胸元をあばくことはしない。

 腋下に腕を入れ、衣の上から乳房に触れる。びくり、と女が震えた。両の手でゆっくり揉むと、くすぐったそうに身を動かす。手のひらに収まりきらないほど豊かな胸だ。着物に収まっていては窮屈だっただろうに。

 女は、布団を掴んで耐えているようだが、我慢できない声が艶やかに闇に溶け出す。

 男の手が衣の上から執拗に乳房を揉むのに合わせ、腰も、脚も、揺らさずにはいられないようになっている。高い声が鋭く夜を裂く。

 刹那、女の寝間着が大きくはだけた。

 海老の殻が剥けるように。あるいは、寒天で固めた菓子が揺れるように。

 なめらかで豊かな生の乳房が、男の手に落ちる。女の着崩れた寝間着を剥がし、一糸まとわぬ姿になった女の、脚を撫でる。

 あんたの愛しい人になりたい。

 でも、愛し方がわからない。

 女は口を結び、歯を食いしばる。男は、自分の指を女に噛ませた。恥じるほどの声を出さなくて済むようにしながら、もう片方の手は女を愛撫する。女の脚を馴らし、男も衣を脱ぎ、しっとりと肌を重ねた。

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