第三章 闘乱の果てに芽生える絆その五
街に雪が降り続く中、一人の女性が頭や肩に雪を積もらせて歩いていた。彼女は先ほどレイルとイザクが訪れたディルドの屋敷から、やや離れた場所で立ち止まる。どこか悲しそうな目で屋敷を見つめていたそんな彼女を門番の一人が発見すると、訝しげに声をかけた。
「あんた、一人か? ずいぶん身なりがいいようだが、気を付けた方がいい。街は今、治安がいいとは言えない。もし助けを求めてやって来たのなら、中に入ってくれ。領主殿はきっと歓迎されるだろう」
声をかけられても茫然としていた女性は、しばらくしてようやく口を開く。
「……ディルドおじさまか、会うのは何年ぶりだろうね。屋敷にいるおじさまに伝えてくれるかな。アルマが貴方を尋ねに来たと」
「アルマ……? ま、まさか旧サン・ロー王家の姫だった、あのっ?」
アルマを名乗った女性は無言で頷くと、門番は慌てた様子で門を開いて屋敷まで走り去っていく。港街コルヒデにも、アルマ・シルヴェールの名は届いていた。悪辣な旧王家の血を引きながら、革命王に取り入ってギロチン台送りを免れた者として。
やがて戻ってきた門番に案内されてアルマは門の奥へと入ってくが、目は虚ろであった。しばしば屋敷の敷地内でテントを張っている人々を見回すものの、その度に悲しみにくれ、視線を戻している。
案内している門番もそんな雰囲気の彼女に声をかけにくいのか、会話がないまま屋敷の入り口の扉を開けて、ディルドがいる広間へと進んでいった。
「領主殿は、この部屋だ。領主殿と親しい貴方に言うことではないだろうが、くれぐれも問題は起こしてくれるな」
「分かっているよ、貴方達に迷惑はかけるつもりはない。これからやるべきことの前に、おじさまの顔を見ておきたかっただけだから」
一応の忠告をした門番に頭を下げたアルマは、ノックをしてから広間の扉を開けて中へと入る。広間ではディルドが嬉しそうに笑みを浮かべながら、部屋の中心に置かれたテーブルを囲むアンティーク椅子に腰かけていた。
「よく訪ねてきてくれた、アルマ。遠慮はいらない。さあ、腰を下ろしてくれ」
軽く頭を下げ、ディルドの言葉に従うアルマ。彼女はしばらく悲しげにディルドの顔を眺めていたが、やがて彼女の方から口火を切る。
「お久しぶりです、おじさま。今日は革命王陛下の命により、この港街コルヒデが陥った事態収拾のためにやって参りました。たまたま近くを立ち寄ったこともあり、おじさまには顔を見せておこうかと思いまして」
「ああ、先ほどレイル君とイザク君と言う若者達がやってきて話してくれたよ。彼らはブラッドを追い、離島に向かった。だが、今は仕事の話はいいだろう。君の噂はこの街にまで届いているが、やはり肩身の狭い思いをしているのではないか?」
「納得した上です、おじさま。王家の血筋を絶やさないためには、裏切りの姫と謗られようとも実の父達を手にかけるしかなかった。けれど、それでもまだ私は信用はされてない。今後も忠誠と献身を革命王陛下に示し続けなければ、この王国には私の居場所はないでしょうね」
アルマは自分が置かれた不遇な立場について、すでに諦めているかのように抑揚のない声で淡々と話した。ディルドはそんな彼女を不憫に思うと、先ほどの少年、レイルの名を口に出した。
「辛い立場だな、アルマ。だが、あの少年……レイルだったか。君の部下らしいが、どうも彼は君のことを好いている様子だったな。君の名前が出た途端に、態度があからさまだった。彼のような者がいると知れただけでも、私は安心したよ。アルマ、君の周りにいるのは敵ばかりじゃないと分かったのだからな。彼のこと、くれぐれも大事に扱ってあげることだ」
レイルの名を聞いたアルマの目に、初めて感情が宿った。それは僅かな変化だったが、彼女のことを幼少期から知るディルドはそれを見逃さなかった。
「ええ、知っていました。レイル君が私に向けている感情は。今時、珍しい真っ直ぐな少年です。でも、だからこそ、こんな戦地に送り出したことに心が痛みます。彼がこれから辿る運命は、私次第。彼の健気な姿を見ていると、私は自分が歩んでいる道が本当に正しいのか……初めて迷いが生じました」
「彼らをこの街に派遣したのが革命王殿の意向である以上、情に流されて逆らう訳にもいかんか。しかし私はどんな決断であれ、君の意思を尊重する。私を頼りたくなったらまたいつでも来なさい、歓迎しよう」
ディルドの言葉にアルマは少し逡巡した後に、言葉を返す。しかし心なしか……いや、その目には確かに悲哀の色が宿されていた。
「……ええ、最後におじさまに会えて話せて良かった。選択肢を間違えて後から後悔してしまうよりは、納得出来る形で自分に流れたこの血筋の因縁に決着をつけたい。そう、決心がつきましたから」
そこまで言ってからアルマは、アンティーク椅子から立ち上がる。ここまでずっと暗い表情を見せていた彼女の顔には、僅かに笑みが浮かんでいた。ディルドに別れの挨拶を述べると、彼女は広間から退室していく。
「また訪ねてきてくれる日を楽しみにしているよ、アルマ」
ディルドも立ち上がって彼女を見送るが、その後姿に自分が知る小さな少女だった彼女はもう立派に成長し、大人になっていたのだと実感するのだった。同時に彼女の両肩に背負わされた運命が、途轍もなく重いものだと言うことも。
「”最後に”会えて良かった……か。まるで今生の別れのようだな。アルマ、君が何を命令されているのか知らんが、私はただ君が自分自身の幸せを選び取ってくれることを願うだけだ」
屋敷の敷地から次第に遠ざかっていくアルマを窓から眺めながら、ディルドは彼女が着実に成長してくれた嬉しさと、自分が老いたことを感じて溜息をつく。しかしその際に、ふと彼は不思議な感覚に捉われた。どうしても心残りだったアルマの姿を見届けたことで、自分がやり残したことを片付けた、充足感。
その想いが頭の中で電流となって走り、彼にある記憶をフラッシュバックさせた。
「そうか……そうだったのか……私はもうあの時に……」
広間の中で一人よろめきながら、床に蹲るディルド。そんな彼の身体から青い光が立ち上る。徐々に彼の姿は薄ぼんやりとしていき、目の焦点が合わなくなっていった。
「アルマ……あの子は知っていたのだな。だからこれが最後……と」
青い光はより輝きを増し、ディルドの身体は跡形もなく消滅した。衣服も何もかも痕跡を残すことなく、まるでそこには最初から誰もいなかったように。それと時を同じくして、屋敷の敷地にいた何人もの人々が、天に昇りゆくディルドの魂を目撃していた。それが街の人々が領主ディルドの姿を目撃した、最後となったのである。
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