第四章 明かされる真実と、その先に待つ結末その三

 悪名高き傭兵団の長、ブラッドは倒した。レイル達がこの街に送り込まれた目的を、死闘の末についに果たしたのだ。

 しかし幸いにも周囲に敵はもう見当たらないが、四人はかなり消耗していた。

 最後までブラッドの猛攻を受け続けたイザクは辛うじて立ってはいるが、汗が止めどなく流れ、呼吸は荒い。レイルは仰向けに倒れており、リゼは腰を下ろしたまま立ち上がれない。ダールも地面に両膝をついて、体力の回復に努めている有様だ。

 本命の敵に勝てたとはいえ、魔機達がまだ行動している可能性が高い以上、油断は決して出来ない状況だった。


「やったんだよな……俺達よぉ。これで後は、帰るだけ。いや、不可視の壁があって街から出れねぇんだったっけ? あ、それよりも……そうだった! ギムジーさんっ! 生きてっかよっ!?」


 レイルが痛む身体を無理に起こし、ブラッドに捕虜にされていたギムジーに歩み寄っていく。そして今も意識が朦朧としている彼の両肩を掴むと、レイルは必死に名を呼びかける。諦めることなく、繰り返し何度も。

 やがてギムジーがレイルの声に反応した時、彼の身体は青い光に包まれていた。


「お、お前さんは、レイルか? 残念ながら、儂はもう死んだんだ、あの時に。心配してくれてありがとよ、レイル。死した後まで長らえた命も、もうここまでらしい。だが、お前さんはまだ若い。まだ……死ぬんじゃないぞ」


 ギムジーはレイルを見て、涙を零していた。徐々に彼の身体から漏れ出る青い光が強くなり、天井に届くまでに立ち上っていく。

 必死に彼の身体を支え続けるレイルの前で、その姿が薄れていくのだ。

 それでも諦めることなく彼の名を叫び続ける、レイル。しかしついには彼の両肩を掴んでいたレイルの手は、無情にもその身体をすり抜けてしまう。

 青い光の飛沫となったギムジーはその瞬間、完全にこの世から消失したのである。

 それを目の当たりにしたレイルは、何も言葉を発することは出来なかった。未来の自分の姿を、彼に見たのかもしれない。その肩は、小刻みに震えている。

 そんな彼の様子を離れて見ていた皆の間に、しばしの沈黙が訪れる。しかしそんな場の空気を、イザクの一声が打ち破った。


「レイル、さっきギムジーさんが『大雷』を発生させた元凶は、そこにぶら下がっている遺体だと言っていただろう。街を覆う不可視の壁を作り出しているのは、そいつの仕業かもしれない。覚悟を決めろ、街から出てアルマの期待に応えるんだろ?」


「……あ、ああ、そうだったよな、イザク。すまねぇ……俺としたことが、柄にもなく落ち込んじまった。まだ俺もああなるって、決まった訳じゃねぇんだよな……」


 駆け寄ってきたイザクから顔を背けて、レイルは言った。

 そんなレイルを気遣ってか、最後の役目を果たすのは自分の仕事だと考えたイザクは、ククリ刀を遺体へと向けた。

 そしてその首を跳ね飛ばさんと、ククリ刀を振りかぶった時のこと。


「……打ち倒してくれ。誰か、私達に死を……」


 ふいに遺体から、そんな声がした。その声には生きることに疲れ果てた悲哀と、明確な意思の強さが混ざり合っていた。その声の主は、死を望んでいた。しかし自棄になった者にありがちな、錯乱した様子は感じられない。

 そして遺体は、大きく目を見開いたのだ。更に遺体は目の前のイザクに視線を這わせ、自身を拘束する鎖を引き千切らんと、手足を動かし始めた。死体が動いたあり得ない事態に、イザクもレイルも、後方で見ていたリゼとダールも、動きを隠せない。


「俺は、夢でも見ていると言うのかっ? 死人が、生き返るなどと!?」


 僅かに焦りを見せたイザクだが、そこはさすがに戦場慣れしている彼である。

 すぐに平常心を取り戻すと、首に狙いを定めてククリ刀を素早く一閃させる。

 だが、その斬撃はあえなく弾かれた。命中はしたが、生身とは思えない程の硬質な皮膚は刃を通さなかったのだ。それを目の当たりにしたレイルは、本能的に危険を感じ取る。

 体当たりを敢行してイザクを遺体の側から突き飛ばし、一緒に地面を転げ回っていく。

 その時にはすでに遺体は手足の鎖を力任せに引き剥がし、 地の上に降り立っていた。

 そして周囲の状況を興味深げに見回し始める、遺体。


「くっ、うおおぉあっ! やべぇぜ、イザク。感じ取れたか、あの遺体から発せられた背筋が凍るような殺気をよ!」


「あ、ああ……ブラッドを倒したことで油断していた。どうやら、まだ戦いは終わりではないらしい!」


「レイル君っ、イザク、ダール! ねえ、まだ戦えるっ!?」


 恐るべき戦慄と死闘の予感が、彼ら四人全員に駆け巡った。無理を押して起き上がった、レイルとイザク。そんな二人の側にリゼが、そしてダールが駆け寄ってくる。

 正直、四人の誰一人として、万全の状態とは程遠い。しかしそれでも誰一人として、泣き言を零す者などいなかった。現実を見つめて気力を振り絞ると、現れた敵の姿を見据える。美しい青年の姿をした、人外の何かを。


「戦闘準備だっ! 腹を括れっ。残った力を絞り出し、四人がかりで奴を倒す!」


 イザクが放った言葉に、他の三人が戦闘態勢を整え直した。レイルは慌てて大剣の切っ先を敵に向けると、リゼがファイティングポーズを、ダールが戦斧を構える。

 そして先制攻撃とばかりにダールが振るった戦斧の圧が蘇った青年へと走り、炸裂していた。青年を中心として土煙が濛々と噴き上がり、視界を遮る。

 やがてそれが晴れた時、青年は濁った視線を向けながら、ゆっくりとレイル達のいる方に歩き出した。今の攻撃によるダメージによって、身体は所々崩れている。

 その外見を形容するなら、不格好な泥人形。未だ完全な姿に形作られていない、不完全なる存在。傷口はぐじゅぐじゅと音を立てながら、元に戻ろうと蠢いている。

 歩きながら負傷した腕を見つめていた青年は、立ち止まり、前方を見据える。


「私は何年眠っていた? カール王の時代は、今も続いているのか?」


 青年が、初めて口を開いた。意思の疎通が出来ると思っていなかったのか、レイルもイザクも唐突のことに意表を突かれた形となる。


「お、おい、イザク。こいつ……何言ってんだよ? カール王って誰のことだ?」


「旧サン・ロー王国で中興の祖と呼ばれた、君主だ。かつて大陸を危機に陥れていた、シックス・フィレメントを倒した英雄達の支柱だったことで知られている。考えにくいが、もしやこいつの正体は……」


「……ああ、だとすれば俺達の勝機は、限りなく低いだろうな」


「もうっ、本当に最悪な展開じゃないの。勝ったと思った側から、新しい困難が顔を出してくるなんて」


 他の三人は青年の正体に勘付いている様子だが、まともな教育を受けていないレイルだけは、誰なのか分からなかった。しかし青年が放つ禍々しい気配によって、彼が人知を超えた存在であると、邪悪な化け物なのだとだけ察する。

 ふいに青年の長い前髪が揺れ、両の目が像を結ぶと、それはレイルを捉えた。

 その視線に気付いたレイルに、ぞくりとした悪寒が走る。そして一段と鋭く発せられた殺気によって、攻撃が来るとそう判断した瞬間、レイルは叫んでいた。


「く、来るぜっ!」


 青年の身体が消失した。否、真上へと飛んだのだ。跳躍し、そのまま天井に張り付いてから、レイルの眼前に降り立った。そして戦慄いて動けないレイルの頬を手で撫でると、興味深げに呟いた。


「君のその右目はどうやら呪物のようだが、私達のオリジナルではないな。しかも驚くべき完成度だ。我々が製造したものと比べても、遜色がない。少年、その呪物は誰が作ったものだ?」


「あ、ああっ!? 本名は知らねぇけど、ブラッド・ヴェイツって偽名を名乗ってた野郎だよ。俺達がついさっき、ぶっ殺しちまったけどなぁ!」


「ブラッド・ヴェイツ……そうか、私の仲間の名を騙る者がいたのか。だが、すでに死んだのだとしたら、残念だ。それだけの完成度を誇る呪物を一から作り出せる、技術と執念。もしかしたら、私に悔いのない死を与えてくれたかもしれないのに」


 穏やかな口調ながら青年から発せられる殺意は、ますます大きくなるばかりだ。

 なぜか悪意は感じないが、この場の全員を殺すつもりでいるのは、明らかだった。

 ブラッドを倒して、任務を果たした今。後は生きて帰るだけで王国で正式に採用され、アルマにも認めてもらえる。望んでいたものが、すべて叶うのだ。だからここまで来て、絶対に死にたくなどなかった。そんな生き延びたい一心で、レイルは勇気を必死に振り絞る。


「お、おおおおぁああっ!!」


 レイルの雄叫びが引き金となり、他の三人も弾かれたように動き始める。

 振り下ろされたレイルの大剣が青年の肩口に叩き込まれ、背後からはリゼが鉄拳をお見舞いしていた。しかしその手応えのなさに後ろ向きで後退したリゼは、額から流れる血を拭いながら、全員に向かって叫ぶ。


「駄目みたいっ、大して効いてないわ! まるで実体がないみたい! こんな至近距離から、殴り付けてやったのに!」


 リゼの目的は、満身創痍の自分達と敵の力量を図ることにあったのだろう。

 レイルの大剣は確かに青年の肩に食い込んだし、リゼの格闘術も抉るようにクリーンヒットした。しかし青年の肉体は、普通の人間のそれとは根本的に異なっている。

 傷口がグロテクスに蠢き、緩やかに修復が始まっている。さっきのダールが仕掛けた攻撃でそれを察した彼女が、改めて確認を試みたのだ。

 青年はレイル達に一瞥をくれると、天井を仰ぎ見る。そして地下墓地内に響き渡る高音を轟かせた。


「っ!! や、野郎っ、蝙蝠みてぇな声で叫びやがって!」


「レイル君っ、一度下がって! 考えなしに仕掛けちゃ駄目っ!」


 リゼが今にも大剣で斬りつけようとしていたレイルの首根っこを掴んだまま、青年から遠くへ飛び退く。しかし青年はそんな二人を見ても、穏やかに見守るだけ。

 余裕からか、恐るべき力を持ちながら追い打ちをかけようとはしなかった。


「お前達は、私を殺してくれないのか? まずは名を名乗ろう、私はカルキ。全力を出し切り、そして正当なる決闘で完膚なきまでに敗れ去る。そのために、私は蘇ったのだ。魔機達が集めてくれた人々の生き血と、地上に集いし死したる者の魂を吸収し、私は再び完全なる復活を果たす。今度こそ悔いのない死を迎えるために」


「は、はぁ!? 何言ってんだ、お前。殺されて死ぬために、蘇っただって?」


 カルキを名乗った青年に対して虚勢を張っていたが、レイルは膝が笑っていた。

 一手でも間違えれば、死は確実。それでも何とか諦めずに敵を睨み付けていられるのは、これまでの戦いで強敵達を撃破してきた自負心があったからである。

 しかしそうであっても今、彼が対峙している相手は、人と同じ姿をした化け物。

 さっき倒したブラッドと比較したとしても、更に上をいく正真正銘の絶望が具現化した存在なのだ。自分の死を予感し、恐れを抱かずにはいられなかった。


「こっちは四人、相手は一人。それだけが、救いだなぁ。おい、イザク。何か作戦はあるのかよ? 俺も死ぬ気で頑張るぜ、生き残るためによ」


 必死に恐怖を追い払い、改めて大剣を構え直す、レイル。そんな彼を含む全員に、カルキを挟んだ向こう側にいるイザクが指示を飛ばす。


「俺が合図したら、三人で一斉に攻撃してくれ。だが、殺されないことを最優先に考えた上でな。俺は試してみたいことがある」


「……何か手があるようだな。いいだろう。普通に攻撃しても効くと思わんが、善処してみるか」


「ええ、分かった。って言うか、負けると思ったらその瞬間に私達の全滅は確定するものね。それなら、とことん抗ってやるわよ」


 目に炎を宿らせて突撃姿勢を取りつつ、イザクからの指示を待つ、レイル達。

 そんな彼らを事もなげに見つめていたカルキは、中指と人差し指を揃えてくいっと前方に向けて突き出す。瞬間、彼を中心として、雷光が地面から噴き上がる。さしずめ大雷の簡易版と言ったその技は、それでも凄まじい威力と攻撃範囲だった。

 四人の足元から頭上にかけて通り抜けた電撃が、彼らの身体を痺れさせ、行動を封じてしまったのだ。

 そんな動けずにいる四人が注目する中、カルキがゆっくりと歩き出す。その腕からは鋭い突起が出現し、あれを一振りされれば致命傷は避けられないと思われた。

 迫る危機を前にして最初にイザク、次いでダール、リゼ、レイルと順番に気合いによって強引に身体の自由を取り戻していく。イザクだけは右手に握ったククリ刀にひたすら力を込め続け、他の三人はカルキから回避行動を取った。


「私に殺されても、訪れるのは死ではない。感じるぞ、地上から無数の魂を。この辺りには大勢の人間が住んでいたのだろうが、彼らは私の手によって肉体はすでに死している。だが、それを私の呪力によって、魂だけで現世に留まっているのだ。私に吸収される生贄となるために。だから君達も……いや、一人だけは、もうそうなっているようだが」


 ギムジーだけでなく、港街コルヒデで暮らしていた人々の多くが死者達だった。

 カルキから突き付けられた驚愕の事実に、イザク達の視線がレイルに集中した。だが、レイルは気丈にも笑ってみせる。迷いは即、敗北に繋がる。たとえ自分が死んでいたのだとしても、戦いの後まで仲間達を生かすことが出来たなら、それで上出来。

 自分が命を賭けて戦う価値があるのだと、この戦いに意義を見出そうとしたのだ。


「俺のことは気にすんな! 死ぬなら死ぬで、全力を振り絞ってこいつを倒してやるからよっ! その代わりに、お前らは絶対に死ぬんじゃねぇぞ!」


「……覚悟は出来たと言うことか。だが、最後まで諦めるな。まだ死ぬと決まった訳ではないのだからな」


 ダールがレイルの方に向かってくるカルキの前に立ちはだかり、彼をその身を挺して守らんとした。そこにリゼも遅れて、レイルの元へと駆け寄ってくる。


「呑気に喋ってる場合じゃないわね……来るわよっ!」


 カルキが突起を生やした右腕を、一振りする。破砕音が地下墓地内に響き、ついで地面を大きく抉り取る。この場全体が揺れ動き、地面の欠片が吹き飛ばされ、レイル達は衝撃波で後方に弾き飛ばされた。幸い何とか全員が受け身を取ることには成功したが、飛び散った石の破片が額などを叩き、ダメージは避けられなかった。

 しかも更にもう一撃を加えようと、カルキが左腕を振り上げる。

 だが、戦々恐々とするレイル達に、ついにイザクから攻撃の合図が発せられた。


「今だっ! 三人がかりで、あいつに接近戦を仕掛けてくれっ!!」


「やっとか、待ちくたびれたぜっ! 任せときな、イザクっ!」


 レイルは攻撃の取っ掛かりを作るべく、足元から石を拾って全身を使ってカルキの顔面目掛けて投擲する。それを手で振り払ったカルキの動きが、一瞬だけ停止した。

 待ちに待った、絶好の好機到来である。レイル、リゼ、ダールはこの機を逃す手はないと、一斉に飛びかかっていく。そしてカルキの脇腹へと横殴りにレイルの最初の一打となる大剣が叩き付けられたのは、それから刹那の間だった。

 更に連続で凶戦士の瞳の力を瞬間だけ全開にしたレイルが、最速のスピードで右肩をぶった斬る。だが、やはり水を斬っているようで、まるで手応えはない。しかも斬られる側から、緩やかだが元通りに修復されていっているのだ。

 しかしそうであっても反撃させる隙など与えないため、リゼとダールも加わって絶え間なく攻め続けていく。

 三人からのその猛攻にさすがのカルキも、すり足で徐々に後退し始めた。やがて壁際まで追い詰められた彼は、またも周囲に鼓膜に響かせる程の高音を轟かせる。

 超音波じみたそれによって耳に痛みが走ったレイル達は、一旦、後ろに飛んだ。


「レイルっ、そのまま屈んでくれっ!!」


「っ!? お、おうっ、分かったぜ!!」


 イザクの指示を聞いて腰を落としたレイルの背を蹴って、イザクが跳躍した。

 そして彼を見上げたカルキの頭上から、渾身のククリ刀を振り落とす。が、それはフェイントだった。カルキの手前に着地すると同時に腰の鞘に収め、そこから居合のように首元を狙って斬り払ってみせたのだ。

 イザクの機転を利かせた、一撃。とはいえ、今まで同様に流動体を斬るだけに終わるかと思われたが、今回は違った。鈍い音と共に、刃が跳ね返されてしまったのだ。


「やはり、思った通りか」


 反撃を警戒し、間合いを取るべく後方にバックステップしたイザクがそう呟く。

 だが、それを説明する間もなく、カルキが再び掌打を振るう。それにより生じた衝撃波が走るように地面を抉りながら、四人を襲い掛かった。少しでもダメージを緩和すべく、レイル達は後方に飛んで威力を受け流す。しかしそんな目にあっても、彼らは勝ちを諦めてはいない。イザクから説明を受けずとも、さっきのククリ刀の一撃の結果を見ただけで、リゼもダールも、レイルでさえも、唯一と呼べる打開策を悟ったからだった。


「つまりあの野郎が肉体を構築出来たのは、まだ首元だけ。他の部分は、仮初めの流動体で形作ってるだけってことかよ」


「ああ、奴の復活はまだ不完全。それが俺達にとって、せめてもの救いだったな。実体のある首を斬り落とせば、さすがの奴も殺せる。ただ予想以上に厄介だったのは、あの皮膚装甲の強靭さか……。俺の全力を込めたのに、傷一つつかなかった」


 イザクが眼前で手に握り締めたククリ刀を見つめながら、歯噛みする。その刃は力負けしたのか、刃こぼれしていた。カルキの首を刎ねるには、イザクの攻撃力では不足していたのだ。レイルは、咄嗟にダールとリゼの顔を順番に見た。

 では、もしあの二人だったならばどうか……そんな考えが一瞬、脳裏を過ぎる。しかし危険が伴う役目を他人任せにしてどうすると、レイルはすぐに首を振った。

 そして右目に埋め込まれた凶戦士の瞳を指先で撫でてから、レイルは顔を上げる。

 まだ試したことはないが、一か八か、この右目の力を限界以上に発揮したならあるいは……と、レイルはそう考えていたのだ。しかし悠長に思考していられる時間など、敵は与えてはくれなかった。

 カルキが右手を頭上に掲げると、そこからはあまりにも早かった。どういう原理なのかは分からないが、ほとんど一呼吸の間に巨大な雷雲を完成させて見せたのだ。

 更に彼は雷雲から生じた雷を無造作に引っ掴むと、レイル達に向けて投げ放つ。

 迸る雷光はレイルの反応が間に合わない速度で、すぐ側を通り抜けて彼の後ろにいたイザクを直撃していたのだ。レイルが振り返った時には、イザクは呻き声を上げて崩れ落ちていた。


「イ、イザクっ!!」


「お、俺のことは……いい。レイ、ル……戦いに専念しろ」


 地面に蹲りながらもレイルの助けを突っぱねる、満身創痍のイザク。そんな彼の覚悟を理解したレイルは、自身の戦意を奮い立たせるべく咆哮した。

 見ればカルキはすでに先ほどと同じく、雷雲から雷を抽出して残る三人の誰かに投げ放たんとしている。もう一刻の猶予もない。そう判断したレイルは、凶戦士の瞳の呪力を瞬間的に開放して、地を蹴った。反応速度も大幅に向上したレイルの動きは、時間が圧縮しているかのような感覚の中、カルキの首へと大剣を振り抜く。

 だが、それは鳴り響く金属音と共に、あえなく弾かれた。さっきのイザクの時と同じように。


「駄目だってのかっ! 全力全開でぶった斬ってやったのによぉ!」


 この結果を認められずに、もう一度大剣で斬りつけるが、またも結果は同じ。そんな彼にカルキは、攻撃の矛先を向ける。雷雲に手を突っ込み、あのイザクを一撃で戦闘不能に追い込んだ技を出そうとしている。それを見たレイルの頭に死がちらつくが、そんな自身の恐怖をねじ伏せた。咆吼を上げつつ、至近距離から足を踏み込んでカルキに躍りかかっていく。


「怯むと思うか、俺がよっ!? そんなこけおどしの技くらいで!」


 だが、言葉とは裏腹にレイルは、少しでも気を抜けば腰が引けそうだった。

 だからこそ気迫だけでも負けないため、思い出したようにキバオレ流剣技を繰り出していったのだ。鬼人斬を、光速牙真一文字を、何度も相手の唯一の弱点である首を狙ってぶち当てていく。しかしそんな彼の技を見て、カルキの眉が微かに動いた。


「その剣技は、あのキバオレ族のものかっ?」


「驚いたぜ、キバオレ流剣技を知ってんのかよ? 貧民街のジジイから教わった、俺の十八番だぜっ!」


 レイルは突然、動きを止めたカルキに、キバオレ剣技を繰り出し続ける。だが、やはりその一切が弾かれてしまうが、レイルは諦めずに攻撃の手を緩めなかった。

 キバオレ剣技による、猛攻に次ぐ猛攻。凶戦士の瞳の出力を、次第に上げていく。

 やがてカルキはそんな彼を見て何かを悟ったのか、その口元に薄い笑みを張り付けた……と、レイルが思った時。カルキは高速で振るわれる大剣の刃を掴んで止め、そのまま握り砕いてしまった。大剣の破片が激しく飛び散り、レイルが驚きと絶望で目を見開く。そんな彼を逃がすことなく、カルキはすかさずその頭を右手で鷲掴みにして、持ち上げた。両足が地面から離れ、悪足掻きで手足をじたばたさせる、レイル。


「て、てめぇ……お、俺の大剣をよくもっ!! くそっ、この馬鹿力がっ!!」


「なるほど、君の正体は分かった。かつて私達を倒した者達の一人、あのキバオレ族の始祖ラークの剣を受け継ぐ者だったと言う訳か。だとしたら、期待出来る」


「ラ、ラークだぁ!? 誰のことだよっ!? このっ、放しやがれっ!」


 頭を掴まれ、自分が死の間合いに入っていることを、レイルは分かっていた。

 だからこそ、焦った。カルキの身体を何度も足蹴にして逃れようとするが、ビクともしない。しかしそんな必死の抵抗を試みていた時のこと。運命だったのか、がむしゃらに暴れるレイルの手に、ある物が触れたのだ。それは夢の中でアルマから渡された、あの一振りの短剣だった。レイルは藁にも縋る気持ちでその短剣の柄を握ると、カルキの喉元に突き立てる。初めてカルキの顔が、苦痛に歪んだ。


「き、効いたってのかっ? けど、なんで……っ!?」


 やっと通じた攻撃だが、その理由が分からず、レイルが戸惑っていた、その時。


「レイル君っ、動かないで! 手元が狂っちゃうから!」


 リゼの声がしたと思うと、レイルの背後から放たれた魔機の破片がカルキの腕と足にぶち当たった。そこへ間を置くことなくダールが駆けながら迫ってくると、勢いよく戦斧を振りかぶる。頑丈な鎧すら余裕で打ち砕くその一撃も、カルキにとっては致命打とはならない。しかしレイルが逃れる隙を作るには、十分であった。

 カルキの手から命からがら逃れたレイルは、ダールと一緒に間合いを取り直した。

 側ではリゼも魔機の破片を放り捨てて、格闘術の構えを取っている。そして後方では戦闘不能になったイザクが横たわったまま、顔だけ他の三人に向け、戦いの行方を見守っていた。


「さっすが、数百年前に列強の国々を大陸ごと沈めて回った大悪党、シックス・フィレメントの一角『機工術師カルキ』の名は伊達じゃないわね。この私に死を予感させた相手なんて、今までの人生でブラッドとそしてあいつだけよ」


「シックス・フィレメントだってっ!? あいつがっ? そうか……なるほどよ。通りで、化け物染みて強かったんだな」


「……ようやく気付いたのか? やはりお前のような無教養の者達のためにこそ、俺の夢は何としても叶える必要はあるな」


「う、うるせぇ。大体、お前の夢って何なんだよ? 俺に関係あるのか?」


 問いかけるレイル達の視線の先で、カルキが雷雲に腕を突っ込み、雷を取り出す。

 慌てて会話を中断したレイルとダールとリゼが一旦は散開し、そのままカルキに向かって走り出していった。レイルの手にはアルマの短剣が握られ、砕かれた大剣の代わりを務めていた。三人の中で真っ先に飛びかかっていったリゼが、カルキの身体に取り付き、脇の下から自らの両腕を通して羽交い絞めにする。

 動きを封じられたカルキに、すかさずダールが戦斧で首に向けて振り抜く。爆裂音が巻き起こり、衝撃波が右から左へ通り抜けていった。さしものカルキの首も、ねじ切れかける。


「……すっげぇ! やったじゃんよ、ダール!」


「……油断するな、終わりではない!」


 ダールの注意に、レイルはすぐに意識をカルキの次なる動向に目を向ける。

 その時、カルキを締め付けるリゼの額に汗が滲んだ。そして苦し気に、叫ぶ。


「う、ううぅああああっ……!!」


 彼女の腕がカルキに掴まれて、力任せに羽交い絞めが破られかけている。あの並外れた身体能力を持つ彼女の力を、カルキは軽く上回っているのだ。そしてついに完全に抜け出されてしまうと、彼女の身体は背面から地面に叩き付けられた。更に続けざまに振り下ろされたカルキの渾身の拳が、彼女の腹部に叩き込まれる。


「げっ、ぼぉあっ!!」


 リゼの目から涙、口からは血反吐が飛び出し、意識を失った。

 イザクに続いて、彼女まで。残るは、いよいよレイルとダールだけである。

 しかし白目を剥いて仰向けに倒れているリゼの痛ましい姿を見て、レイルは怒りを抑えきれなかった。

 奥歯を噛み締め、仲間にあんな仕打ちをしたカルキに激しい憎悪が吹き出す。その際に彼の右目が淡い光を漏らし、感情に比例して呪力が高まりをみせる。

 そんなレイルの後ろから、イザクの叱責が飛んだ。


「レイルっ! 怒りを抑えろ、呪物に……支配されるぞ。そうなった者達がどうなったのか、お前も見ただろう。それとも……ここで死ぬ気か?」


「さあ、どうだろうな。けど、仲間をこんな目に遭わせられて、黙って見てられる性分じゃないんだよ、俺はな」


 レイルは、短剣を構える。負傷しているが、それは向こうも同じ。カルキの首は、半分千切れかけている。二対一だが、もう数を当てにする気など毛頭なかった。

 大胆に間合いに踏み込むつもりの、レイル。そして……彼は動き、その距離が縮まった瞬間、レイルとカルキはぶつかり合った。


「らあああぁああぁっ!!」


 レイルの踏み込みからの斬撃は、カルキの腕によって止められた。どうやらカルキは敵に自身の間合いに入り込まれることに、警戒心を抱いていないようだった。圧倒的な強さ故だろうが、レイルはそれが気に入らなかった。しかし怒りはすれど、傷つき治療が必要なイザクとリゼの状態を考える配慮も忘れてはいない。

 ダールには二人の治療に専念してもらい、ここからは自分の実力だけで勝ちにいくつもりだったのだ。


「ダール、イザクとリゼを手当てしてくれ! こっから先は俺一人でやっからさ!」


「……馬鹿が、無謀にも程があるぞ」


 ダールはそう言いつつも、レイルの決意を酌んでくれたようだった。二人の治療に向かったダールを見て不敵な笑みを浮かべたレイルは、手に持った短剣でカルキに突撃を仕掛けていく。さっきの一撃で、レイルは確信していた。なぜかこの短剣での攻撃は、斬れないものでも実体を捉えられる。そして切れ味も半端ない、と。


「さすがはアルマさんがくれた短剣ってことか。どうやら起死回生の一手になってくれたみてぇだなぁ!」


 しかしそれでも勝つのは、難題だった。同時に、乗り越えるべき壁でもある。

 ここでレイルが倒されれば、全滅するのは確定。仲間達の命を背負ってレイルは、一人でカルキに立ち向かったのである。だが、レイルは内心では嬉しかった。すでに自分が死んでいると言うなら、この戦いで一区切りをつけられそうだと言うこと。仲間のために自分の最後の命を燃やし尽くすのも、悪くないと思ったのだ。

 両者が近距離の間合いで仕掛ける機を窺う中、カルキが僅かに負傷した自身の首を手で押さえる仕草を見せた。その瞬間、レイルは動いていた。

 カルキがその攻撃に反応するのと、レイルの短剣がその死角から迫るのは、ほぼ同時のこと。右目から放たれた赤い閃光が短剣と共に走り抜けた時には、一瞬早くレイルの斬撃が決まり、カルキの右腕が千切れ飛んでいた。


「やはり素晴らしい剣技だ。かつて始祖ラークのキバオレの技に、同胞達も手を焼かされていたものだ。君ならば、私に悔いのない死を与えてくれるかもしれないな」


「ああーっ!? さっきから死にたい死にたいって、そんなら復活なんてすんじゃねぇよっ! 街中に魔機が徘徊してるこの状況には、皆が迷惑してんだ!」


 死を覚悟しても、その恐怖が簡単に消え去る訳ではない。つい最近まで未熟で半端者だったレイルが、なぜこんな極限状態で集中力を維持出来るのか。それは経験したことのない死と隣り合わせの戦場で、立ち塞がる強敵達と戦い続けたことで、心身共に鍛えられたからだ。そして何より、今は背負うものがある。

 だからレイルは、強くなれたのだ。レイルが地下墓地内を駆け回り、無言のままカルキも追い縋る。残像を残しながら、両者共に激突を繰り返した。


「私はただ死にたいのではない。完膚なきまでに敗れ去りたいのだ。悔いが残らないよう、全力を出し尽くして。だからその前に、不本意な死を迎える訳にはいかない」


「面倒臭い野郎だなぁっ。いいぜ、だったら全力を出しやがれよ! 俺が本気のお前を返り討ちにして、完勝してやらぁ!!」


 さっき斬り落としたカルキの右腕が、すでに修復されかかっていた。両腕が揃えば、形勢が悪くなる可能性は捨てきれない。レイルもまた全力でぶつかることを、決意していた。凶戦士の瞳の力を自身の許容量を超えるまでに、振り絞ろうと。

 瞬間、カルキの脇腹に血の線が走る。赤い閃光を纏いながら彼の後方まで走り抜けたレイルが、短剣を振って刃を血で濡らしていた。レイルは振り向きざまに、短剣を構え直し、目には赤い光を宿し、口の端から泡を吹いていた。呪物の使い過ぎによる後遺症が出始めているのだ。だが、その姿からは、そろそろ戦いを終結させるつもりの意気込みがより強く感じられた。


「終わらせようぜ、カルキ。安心しろよ、お前が望む死は確実に与えてやる」


 レイルは、じわじわと間合いを詰めていく。カルキの目には、彼がかつてない強敵として映っていた。これなら満足して逝くことが出来るかもしれないと、夢想する。

 この少年は、正に未完の大器。今はまだ粗削りだが、いずれはかつて自分達を倒した英雄達を超えるかもしれない強さに成長すると感じ取っていた。あの時はあの千人幽鬼の罠に嵌められて、悔いが残った。だが、今回は違う。これほどの男に敗れるならば……やっとこれで悔いなく死ねる。やっと望みが叶う。カルキの中で、湧き上がる喜びが抑えきれなくなってきた。


「やっと、待ち望んでいた日がやってきたらしい。名はレイルと言ったか? 君の持てる力のすべてで私を倒してくれ。強大な力を持つが故に疎まれ、世界から不要とされた、この私を」


「ああ、お前にどんな過去があるか知らねぇけどよ。こっからは、最終ラウンドだ」


 両者の間には、針で突きさされるような闘気で満たされていた。周囲の地面が、壁が、ひび割れてしまいそうな、そんな感覚。離れた位置からイザクとダールが見守る中、息の詰まるような緊張感が、漂う。勝負の瞬間だった。

 やがてぶつかり合う闘気の影響で天井の一部が崩れ、石の欠片が床に落ちた。

 その微かな音がした瞬間、二人は……同時に駆けていた。

 かつてないほどに時間が圧縮された世界の中、左腕の手刀を使って振り下ろさんとするカルキの攻撃を、レイルは紙一重で躱す。凶戦士の瞳の呪力を身体が壊れかねない程に開放し、もはや速さだけならカルキを超えていた。カルキの顔に感嘆と、歓喜、そして尊敬の眼差しが浮かぶ。

 二人の間に言葉はなかったが、意思は通じ合っていた。手刀と短剣とが斬り結び、弾き合う。幾度も攻防を繰り返し、二人は戦いに没頭した。そしてついぞ力負けしてカルキに残された左手が、砕け散った。だが、その時。いよいよ再生を果たした右腕で雷雲から雷を掴み取り、レイルに正面から投げ放ったのだ。直撃であった。


 ――その瞬間、レイルは走馬灯を見た。


 レイルが経験した、人生の様々な情景が脳裏に現れては過ぎ去っていく。

 そして商人の護衛で港街コルヒデを訪れた際、彼もギムジーと同じく地下墓地に足を踏み入れていたことを思い出す。その商人の正体は、ブラッドと呪物の取り引きを行っていた闇世界に通じた人物だったことも。何より、その取引現場に立ち会った際に、発生した大雷によって、やはり自分がとうに死んでいた記憶が鮮やかに蘇る。


「……そっか、やっぱそうだったのかよ。けどなぁ、どうせ死ぬなら華々しく! 仲間を守って、そんでもって後世に名が残る偉業を成し遂げてから、死んでやるぜ!」


 レイルの雄叫びが、迸る。そこから身体を起こして両足で地面を踏み締め、火が出るような闘志を爆発させた。


「ついに極まったかっ……」


 カルキが右手の拳を握り固め、レイルに殴り掛かる。が、レイルは腰を屈め、それを首の皮一枚で避けてのけた。


「私が求め続けた、生きた証っ……」


 蹴り上げようと迫ったカルキの右足の間合いの外に、レイルは飛び跳ねて逃れる。

 すかさず追撃をかける、カルキ。だが、レイルは今度は逃げることなく、地を蹴って迎え撃つ。あまりの速さのため、短剣と手刀が交差した瞬間に火花が散る。


「悔いのない、完膚なき敗北を君ならば……っ!!」


 レイルは逆手に持ち替えた短剣で、防御を捨てて捨て身の突撃に出たカルキの手刀に対抗すべく斬りかかる。と、同時にいつの間に拾っていたのか、左手でイザクのククリ刀を投げ放つ。狙うは、心臓。それが正確に突き付けられ、血飛沫が飛ぶ。


「これで、満足だ。これで逝ける……っ」


 鈍い感触と共に、レイルの横蹴りがカルキの足に炸裂。バランスを崩したカルキに、続けてレイルが顔面に掌打を叩き込む。それはガードされるも、構うことなくそこから深く踏み込んで、今度は胸部を蹴り上げた。派手な音がして、カルキの肋骨が圧し折れる。


「レイル、礼を言う。これが世界を敵に回した末に、私が求めた結末だった」


「お前は、話に聞く程の大悪党じゃねぇのかもしれねぇ。だって、お前はこんなにも純粋なんだしよ。戦っている俺に対して、悪意がまったく感じねぇから」


「頼む、私に、私に……! 完全なる死……をっ……!」


 己の最後の時に、カルキは笑っていた。レイルの短剣に赤い光が纏わりつき、それを急所である首目掛けて一閃。直撃した瞬間、爆発的な波動が吹き上がった。

 内側から木っ端微塵にカルキの肉体が爆散、その際に彼の心が満たされた笑い声が響き渡ったのである。

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