第四章 明かされる真実と、その先に待つ結末その二

 淡い霧に包まれ、わだかまった闇が漂う地下墓地の最奥。生者が住むことは叶わないその地に、一冊の黒い書を手にしたブラッド・ヴェイツは立っていた。

 先祖から代々子孫へと受け継がれてきたその書物は、公にはされず隠匿された彼の一族に纏わる歴史について記された歴史書であった。そこには過去に大陸規模で起きたシックス・フィレメントとの戦いの記録。その大戦で彼の先祖が果たした役割、彼らに対抗するための術などが詳細に記されているのだ。

 そんな彼の周囲に転がっているのは、襲い掛かってきたために返り討ちにあった魔機達の残骸。彼に部下はもう一人もおらず、側には捕虜と思われる男性がいるのみ。

 そして彼の視線のやや上には、動きを封じるように厳重に太い鎖で四肢を拘束され、吊り下げられた遺体がある。その正体は、彼だけが知っていた。


「地下に埋められていたと思えない程、保存状態はすこぶる良好のようですねぇ。私が求めていたもの、そのオリジナルで間違いないようです。しかし……改めて見てもこの肌の艶やかさは、死人とは思えない……。なるほど、そういうことですか」


 まるで今も生きているかのような状態の遺体を一目見たブラッドは、それで何かを理解したようだった。魔機達が何のために行動していたのか、すべては三百年前から仕組まれていたのだと言うことを。

 吊り下げられた遺体をしばし興味深く眺めてから、ブラッドは彼に近づいていく。

 やはり遺体は今にも動き出しそうな程に、鮮度がある。整った顔立ちと褐色の肌、そして腰まで伸びた流れるような銀髪は、世の女達を魅了する美しさだ。

 しかしブラッドが好奇心で遺体に指で触れてみようと、手を伸ばした時だった。


「てめえ、ブラッド! ようやく追い詰めたぜ!」


 背後から、彼の名を呼ぶ声が響く。

 レイル達が彼を追って、ついに地下墓地の最奥であるここまでやって来たのだ。

 遺体の利用法に思いを馳せていたブラッドにとっては水を差された形となるが、特に気分を害しはしなかった。彼らと戯れるのもの一興だと、そう考えたからだ。

 ブラッドは振り返るなり、レイル達の顔を舐めるように見回す。相手四人に対し、彼は一人だけ。それにも関わらず、彼の口元には愉快そうに笑みが浮かんでいた。


「お前の部下はもう誰もいないみてぇだな。後はお前だけだぜ。側にいるもう一人は、捕虜かなんかか? それに後ろで吊り下げられてる男も……さっさとその捕虜達を解放して俺達に倒されるんだな、ブラッド!」


「戦うのは構いませんが、その前に貴方達に教えておきたいことがあるのですよ。この港街コルヒデで現在進行形で起きている、不可思議な現象のことをです」


「教えたいことだぁ? 俺達に何を教えようってんだ? それとも自分の死期を延ばす時間稼ぎのつもりかよ?」


 レイルは戦意に満ちた目で、油断なく大剣の切っ先をブラッドに向ける。イザクも爆発しそうな内心の怒りを抑え、今にも飛びかからんばかりだ。リゼとダールも同様に、やや前傾姿勢で仕掛ける機を狙っている。

 しかしそんな彼らを意に介さない、ブラッド。彼は弾んだ調子で側にいた捕虜を拘束していた両手の縄を解いて、顔につけていたマスクも外す。

 そして露わになった、彼の顔を見て……レイルとイザクの眉が動いた。なぜなら、その男はレイル達が街中で見つけて知り合った人物、あのギムジーだったのだから。

 だが、彼のその表情はさっきのレイルと同じく茫然としており、うわ言のように何事かをぶつぶつと呟いている。


「ギムジーさんっ!? ブラッド、てめぇ……その人に何をしやがったんだ!?」


「街でさ迷い歩いていた所を、私が保護したのですよ。殺しても良かったのですが、興味深いことを口にしていましたのでねぇ。私には彼が呟いていたそれが、どうしても妄想とは思えず、妙に引っかかった」


 そう言ってブラッドは、ギムジーの額を軽く小突く。すると、目は相変わらず焦点が合っていないものの、それが合図であったかのようにギムジーは語り始めた。


「儂は、あの大雷があった日。取引相手だった旅の商人の男に連れられて、大聖堂までやってきていた……。そしてこの地下墓地に降りて、目的の物を掘り当てたと発掘隊が喜びに沸く中、儂もあれを見せてもらっていたんだ。全身が干乾びた、天井から吊り下げられた男をな」


 ギムジーは己が体験したことを、ただ淡々と語り続ける。それは本当に彼の意思によるものなのか、話し方に抑揚がなくブラッドが操る人形に思えた。

 しかしギムジーもまたこの地下墓地を訪れていたことに、レイルはさっきの自分を思い出す。ただの偶然で片付けられない何かが、彼の中で警鐘を鳴らし始める。

 このまま真相を知りたい好奇心と、耳を塞いで逃げてしまいたい恐怖。そんな複雑な気持ちが今、レイルの胸中に渦巻いていた。だが、仲間達を置いて自分だけ逃げる訳にはいかない責任感の方が優り、そのまま耳を傾けた。


「発掘隊の目的は、その吊り下げられた遺体だったそうだ。だからその時は皆がお祭り気分で沸き立っていて、遺体は大昔にこの地下に封じられた大いなる遺産とだけ教えられた。しかしそれがまさか……あんなに恐ろしいものだったとは。そしてあろうことか、儂はそのことを忘れてしまっていたんだ。あの時、現場にいたと言うのにな……。『大雷』を引き起こしたのは、他ならぬその遺体だったと言うことを」


 ギムジーの口から、事件の発端かもしれない衝撃の真実が明かされた。

 そしてたった今、彼の話に出てきた元凶こそが自分達の視線の先にある、吊られた遺体だと気付いて、四人全員が注視する。

 彼が話していた内容と違って干乾びてなどいない、美しい青年の姿をした遺体を。


「儂はな、その時に死んだんだ。あの場にいた全員の身体を、地面から天に向かって突き抜けるように生じた『大雷』によって……。だが、気付いた時には、儂は自分の店の前で倒れていた。自分が死んだと言う、記憶を失ってな」


「死んだ……? 死んでいたってのかよ、あんたが?」


 レイルがその場から一歩、後退る。彼も何かを思い出しかけている様子だ。


「おい、どうしたんだ、レイル? まさか今の話、心当たりがあるのか?」


「レイル君っ。ねえ、レイル君ってば! どうしたって言うのよ!?」


 イザクとリゼが口々に叫んでいたが、レイルの耳には入らなかった。みるみると彼の顔が青ざめてく。彼も今、必死に記憶を引き出そうとしていたのだ。

 そういえば自分も商人の護衛として、この街を訪れていたのではなかったか、と。

 だが、霞がかかったように、街にやって来て以降の記憶が抜け落ちている。

 最悪の想像が脳裏をよぎり、知ることを拒否したいが、自分の身に起きた顛末から目を背ける訳にもいかない気持ちもまた強くある。――思い出せ、自身の過去を。

 と、彼がそう念じ、額に汗を滲ませながら自分自身と戦っていた時だった。地面が弾け飛ぶ音が、彼を現実へと引き戻した。


「……くだらん。そんな与太話で俺達を掻き乱そうと言うのか?」


 ダールが戦斧を地面に叩きつけ、ブラッドに良いように支配されていた場の空気を瞬時にして変えたのだ。そのままダールはレイルの肩を掴むと、彼の前に躍り出る。


「……あの男の作戦だ。真に受けるな、レイル。残る敵は、ただ一人。あのブラッドさえ倒せば、俺達の任務は終わりだ。生きて帰るぞ、絶対にな」


「お、おう……ありがとよ、ダール。お陰で目が覚めたみたいだぜ」


 レイルは努めて雑念を振り払い、乱れていた呼吸を整える。

 一拍置いた後、ブラッドを睨みつけた彼の目には、もはや迷いはなかった。

 そして「考えるのは性に合わねぇ。それじゃ、始めようじゃんかよっ!」と、勇ましく叫んだと共に軽い音が響く。レイルが先陣を切って、地面を蹴ったのだ。

 そのままブラッドの周囲で、軽妙に同じ音が響き続ける。しかし以前の戦いで学習したのか、レイルは迂闊には斬り込んではいかない。

 そんな彼に代わって先制攻撃を仕掛けたのは、イザクだった。


「お前と戦うのは、いつ以来だっ、ブラッド!? あの時はお前の傭兵団に囲まれ、多勢に無勢だったが、俺はあの頃よりも強くなった! そして今は仲間もいるっ! 今日こそは、お前の首を頂くぞっ!」


「さて、貴方は誰でしたかねぇ? これもお尋ね者の宿命でしょうか。すみませんが、私に憎しみを抱いている者など、心当たりが多すぎて思い出せませんよ」


 イザクが投擲した無数のククリ刀が、ブラッドに突き立つ直前で停止する。

 そして力を失ったククリ刀は、ばらばらと地面に転がり落ちた。

 レイルの大剣が止められた時と、まったく同じである。

 恐らくあれがブラッドが所有する呪物の特殊効果なのだろう。しかし自分を覚えてもいないと言われたことが、イザクの逆鱗に触れていた。

 歯軋りをしたイザクは、今度は直接、あの男に単身で飛びかかっていく。

 だが、そんな怒りに任せた危うい状態の彼を、レイルが呼び止めた。その一声で我に返ったイザクの横を一気に通り抜け、加速したダールがブラッドの眼前まで迫る。

 前方からはダールが戦斧を振り下ろし、背後からは呼吸を合わせたレイルが「鬼人斬っ!」と技名を叫びながら仕掛けていく。

 正面と背後からの、一斉攻撃である。が、その攻撃はまたしても止められた。

 これまでと同じで見えない壁に遮られたかのように、刃がブラッド本体まで届かなかったのだ。攻略の糸口が見えず、後方に飛んで間合いを開けるレイルとダール。

 リゼもブラッドから離れた距離で機を窺っているが、表情に浮かべた戸惑いの色を隠し切れてはいなかった。


「いやいや、困りましましたねぇ。四対一の数的不利に加えて、全員が全員、超絶の戦士ときている。あの女も私を倒すために、よくこれだけの面子を集めたものです。さて、この劣勢を如何にして覆しましょうか」


 ここに来て、今まで徒手のまま戦っていたブラッドが腰に下げた洋刀を抜き放ち、初めて武器を手に構えた。しかも劣勢と口にしながらも、彼の口元には笑みが浮かび、余裕がありありと感じられる。そんな彼に対し、怒りの炎を目に宿すイザクが一歩を踏み出した。


「たとえお前が忘れたとしても、俺にはあの日のことが目に焼き付いて離れないっ! この先もきっと消えることはないだろう。この身がどうなろうとも、お前だけはこの手で葬らなければっ、俺の人生は前には進めん!」


「おい、イザクっ! 自棄になってるんじゃねぇだろうな!? 慎重にいかねぇと、痛い目見るぜ!」


「安心しろ、レイル。俺は至って冷静だ。これから俺が一人で仕掛けるが、その戦いの一部始終を見届けてくれ。そこからこいつの倒す取っ掛かりを見つけるんだ」


 大きく呼吸をしたイザクは丹田に力を込めて、風を切ってブラッドへと直進する。

 狙いすましたククリ刀で斬りつけようとするが、ブラッドが軽く振り上げた洋刀によって、その強烈な一撃は頭上で弾かれてしまう。

 それでもイザクはすかさず、もう片方の手に持ったククリ刀を突き付ける。が、それもブラッドが身体を仰け反らせたことによって回避された。


「おっとと、危ない危ない。油断すれば、あっけなく首を刎ねられてしまいそうです。何者か知りませんが、貴方とはあまり戦いの相性が良くないようですねぇ」


「黙れ! なぜ呪物の力を使わないっ!? 余裕のつもりか!?」


「さぁて、なぜだと思いますか、イザク君?」


 ブラッドは口元では笑っているが、実際には言うほど楽には戦っていなかった。

 なぜならば――イザクには、彼の呪物が効果を示さなかったからである。

 そしてその理由が分かっていたから、運命と言うものを感じざるを得なかった。

 戦いの最中にあって、ブラッドは過去の記憶を思い起こす。自身の出生の秘密のことを。


 彼の出身、それは当時から腐敗の極にあった旧サン・ロー王国の貧民街であったが、物心ついた時から親はおらず、一人で生きることを余儀なくされていた。

 彼が暮らす街の人々は皆が無気力で、考えているのは空腹を満たすことだけ。重税を課して自分達を虐げる貴族達に、異を唱える気力さえなかった。

 しかしそんな中で、彼だけは違った。彼は自分が奪われる側ではなく、奪う側であると理解していたのだ。それも生まれながらにしての、捕食者であると。

 相手が貴族王族であっても例外ではなく、むしろ下にさえ見ていたのである。

 何が彼を特別たらしめたかと言うと、それは圧倒的な暴力にあった。

 子供の頃から力が並外れていた彼は、軽く捻ってやれば大人ですら殺せたし、暴力を振るえば何でも奪い取れたのだから、自分に酔いしれるのも無理はなかった。

 しかしそんな殺しと略奪の日々を送っていた彼にも、転機が訪れる。それは突然現れた彼の父親を名乗る男から渡された、一冊の黒い書との出会いであった。

 そこに綴られていた内容は、彼に自分が改めて特別な存在だと認識させるのに十分なものだった。彼の出自と、彼がこれほどまで強い理由。そしてある古の悪人達を、彼の一族が考え出した兵法によって滅ぼした記録が記されていたからである。

 その黒い書を暗記する程に読み耽り、更に増長していった彼は、名をブラッド・ヴェイツと改める。

 かつて自身の先祖が殺めた人物の名だが、その思想に共感を覚えたためであった。

 それからというもの、その人物達が残した呪物を探し当てては、その仕組みを再現すべくブラッドは幾度となく実験を繰り返した。傭兵になったのは、人々を殺して実験体を確保するのに都合が良かったからである。

 いつしか成長したブラッドの悪名は大陸中に知れ渡り、恐れられるようになった。


「私は自然の摂理に従うことを謳う地母神の教えを拒否し、時間と言う束縛からの解放を求めた。シックス・フィレメントが一人にして、私が敬愛するブラッド・ヴェイツが掲げていた思想、即ち不老不死です」


「不老不死だと? その望みを叶えるために、思想を同じとする大昔の大悪党の名を騙ったと言う訳かっ!?」


 イザクのククリ刀による一閃を洋刀で受け流すと、ブラッドは左手をゆっくり挙げ、前方に向かって掌を突き出した。途端、凄まじい力の放流が生じて、地面に散らばっていた魔機達の残骸が後方へと吹き飛ばされていく。

 だが、どういうことだろうか。咄嗟に両腕をクロスさせて防御姿勢を取ったイザクには、その効果は現れてはいなかった。その理由はイザク自身すら分かっていないようで、不可解な表情をして、力が流れていった後方に顔だけを向ける。


「どういうつもりだ、ブラッド。遊んでいる訳ではないようだが」


「……やはり効かないようですねぇ、貴方に呪物は。と言うことは、私が思った通り貴方の正体は限られてくる。いや、恐らくは貴方達四人全員がですか」


 離れた位置からは、レイルとリゼとダールが見入るようにイザクとブラッドの戦いの動きを目で追っている。隙あらば仕掛けようと狙っているが、中々その機が巡ってこないのだろう。焦れている様子だ。

 イザクが言った通り、今は二人の戦いの行方を見守らざるを得なかった。


「大陸のどこかにはいるとは思っていましたが、ここで出会えるとは。私と同類である貴方達を探し出して刺客に寄越してくるとは、あの女もえげつない」


「同類だと? 確かに俺達は無法者の集まりだが、貴様のような外道と同列に並べられたくはないっ!」


 激昂する、イザク。怒り心頭で正面から斬りかかっていくが、ブラッドはククリ刀を素手で掴み、動きを止めた。指の隙間からは血が流れ出し、地面に滴り落ちる。

 恐ろしい力で握られており、イザクにはピクリとも動かすことは出来なかった。

 しかしイザクは怒りはすれども、最初から冷静だったのである。ククリ刀を手放して距離を詰めた彼は、ブラッドに体当たりをかましたのだ。

 ブラッドが後ろによろめき、常に余裕を見せていた彼の顔が初めて強張る。

 勝機と判断したイザクが、すかさずククリ刀をブラッドの喉元に突き立てた。

 鮮血が噴き出す。イザクはそのまま追い打ちをかけるべく、顔面への一撃を狙ったが、ずっと戦いの行方を観察していたレイルが顔色を変えて叫ぶ。ブラッドの口元には、再び薄笑いが戻っていた。


「深追いすんじゃねぇ! 離れろ、イザクっ!」


「っ!? ……ぐぁっ、うぅぉおぁっ!!」


 何かが当たった猛烈な打撃音と共に、イザクの身体が弾き飛ばされて宙を舞った。

 背中から叩き付けられ、受け身が間に合わなかったイザクは、激痛に耐えながら起き上がる。見ると、イザクが黒いコートの内側に着込んでいた鎖帷子の腹部が損傷しており、何か投擲物をぶつけられたのは明らかだ。


「くっ……見えなかった。俺は一体、奴に何を喰らわされたっ?」


「ちらっとだが、奴の手に光る何かが見えたぜ。多分だがよ、これを超高速で撃ち出したんだ」


 レイルは地面に転がっていた、ひしゃげた金属片を拾い上げる。

 それは原形を失いかけていたが、魔機の破片だった。指弾と言う技術があるが、そんな生易しいものではない。しかしこれを見たことで、レイルにもブラッドの呪物の正体をはっきりと見抜くことが出来た。


「分かったぜ、イザク。あいつは磁力を操るんだ。金属で出来た大剣や戦斧を反発させることで止めたり、今みたいに魔機の破片を撃ち出してやがるんだろうぜ」


「そういうことか……手痛いダメージを受けた甲斐はあったな。それさえ分かれば、対処法は……」


 だが、ブラッドは反撃に転じようとする余裕さえ、四人に与えてはくれなかった。


「伏せて、レイル君!!」


「っ!? んあっ、リゼっ!!」


 今度はブラッドの攻撃に、いち早くリゼが反応していた。髪を数本散らされながらもレイルに覆い被さり、ブラッドの指弾攻撃から守ったのだ。

 だが、すぐに彼女はブラッドからの背筋が凍るような視線を見て、戦慄する。

 追撃が来る、と。しかも今からでは、避けられない。本能的にそう察知したリゼは起き上がるなり、レイルを庇うように立ちはだかる。その刹那、強烈な打撃が彼女を襲い、背後に何度も転がって止まった。


「お、おい。大丈夫かよ、リゼっ? すまねぇ、俺を庇ったせいで」


「気にしなくてもいいよ、レイル君。私が勝手にやったことだから。それより今は、ブラッドから一瞬でも目を離しちゃ駄目。一気に追い込むよ、私達四人でね」


 立ち上がるリゼの口からは、血が滴っていた。内臓を痛めたのかもしれない。

 しかし彼女は、笑っていた。レイルを無事に守れたことが、嬉しかったのだろう。

 そんな彼女の隣に歩み寄ったレイルは、「ありがとよ、リゼ」と彼女にだけ聞こえるように漏らす。そして息を揃えた二人は、一緒にブラッドへと踏み込んでいった。


「らああああああぁっ!! いくぜ、ブラッドっ!!」


「あんたを倒して、私は叶えたい夢があるの! あの子が見ていた夢をね!」


 大剣を投げ捨てて、手刀にてブラッドに斬りかかる、レイル。一方リゼは、格闘術で抉り込むように鉄拳を浴びせかけていく。

 そんな二人の怒涛の攻撃を同時に受けて、勢いに押される形でブラッドは後退る。

 それを見逃さなかったレイルは、上段から彼の首元に手刀を仕掛けた。だが、その際にブラッドの指先には、魔機の破片が摘ままれているのが見えた。指弾が来る。

 そう覚悟したが、一呼吸早くリゼの拳がブラッドの横っ面に叩き込まれていた。

 思いっきり地面の上を跳ね飛ばされていく、ブラッド。やがて壁に叩き付けられた彼は、よろよろと立ち上がり、被っていた青いフードを外套ごと破り捨てた。

 彼の素顔が、四人の前に晒される。全員が初めて見るその顔は……赤い髪に鋭い目つきが印象的な、どう見ても女性のものだった。


「お、女ぁっ!? ま、マジかよっ!!」


「驚いたじゃない、あのブラッド・ヴェイツが女性だったなんて。けど、女同士で手加減なんて期待しないことねっ!」


 二人が追撃を仕掛けていく、途中。まさかの事実に一瞬だけ躊躇を見せたレイルとは違い、リゼは迷いを見せずにそのまま突っ込んでいった。

 しかしすぐに迷いを捨てたレイルも僅かに遅れて、リゼと共に飛びかかっていく。


「ああ、この顔のことですか。ですが、私が女だなどと誰が言いました?」


 やはりブラッドの声は、男そのもの。体付きも、鍛え上げられた男性のものだ。

 何より乳房がない。そんな身体に、妙齢の美女の顔が乗っかっている。

 悪名高き千人幽鬼と呼ばれる男は、左右の指先から魔機の破片を二人へと放つ前動作を見せた。レイルとリゼは指弾を警戒し、ジグザグに移動しながらブラッドとの間合いを縮めていく。が、ブラッドは余裕を崩さず、素早く指弾を撃ち出す。

 またも強烈な打撃音が響く。それぞれレイルの脇腹とリゼの右足を掠めたそれらは、二人の突進を中断させるには十分だった。


「うぉおぁっ!! い、痛ぇっ……けど! それよりも結局、あいつは男なのか、女なのか、どっちなんだよっ!」


「どうでもいいじゃない、そんなのっ! あいつを倒すのが先決でしょ!」


 地面に膝をついたレイルとリゼが立ち上がろうとする側を、イザクとダールが通り抜けていった。攻撃する順番が、今度は自分達に回ってきたと言わんばかりに。

 イザクは自身にブラッドの呪物が効かないことを、すでに薄々気付いていた。

 だからあの男を確実に仕留められるのは、自分だけだと腹をくくる。しかしそうでなくとも、その役目を他の誰かに譲るつもりはなかったのだが。

 ブラッドを目指し駆け抜けていく途中、イザクはダールに向けて小声で言い放つ。

 それも会話の内容を悟らせないように、念を入れて口の周りを隠しながら。


「ダール、奴が指弾を同時に撃てるのは二発だけだ。しかも撃ち終われば、しばしの充填時間が必要らしい。俺が奴を斬る。お前は指弾二発を引き受けてくれ、頼む」


「……分かった。頑丈なのが、俺の取り柄だ。二発ぐらい安いものだ。だから必ず仕留めろ、イザク」


 走りながら、戦斧を投げ捨てる、ダール。そしてイザクはと言うと、手にしたククリ刀をブラッドの視界から隠すように背中の後ろで構える。

 これまでの攻防から察するに、ブラッドは近距離戦にも遠距離戦にも対応出来る。

 しかもそのどちらであっても、超一流の実力を備えているのだ。

 だから奴を確実に倒すには向こうが隙を出すのを待つのではなく、作り出してやるしかない。ダールは攻撃を受けるつもりで防御姿勢を取らずに、無防備のままブラッド目掛けて走っていく。そんな彼にブラッドは遠慮なく、指弾をぶち込む。

 地下墓地内に、打撃音が響く。一発、二発、と。

 しかし吐血しながらも、ダールは突進を止めることはなかった。

「……うおおぉっ!!」と、叫びながら地面を駆け、ブラッドに飛びかかっていく。

 ――だが、その時だった。

 ダールの背後でずっとタイミングを狙って集中していたイザクは、気合いと共に背中の後ろに隠していたククリ刀を投げ放ったのだ。全身全霊を込めた、一刀を。

 ダールの巨躯で視界から隠されていたイザクの攻撃は、ブラッドにとって虚を突かれるものだった。しかも指弾を今、撃ち終えたばかり。迎撃態勢が間に合わない。


「やれっ! やっちまえ、イザクっ!!」


 必殺の威力を秘めたククリ刀が、風を斬り裂いて、ブラッドに襲いかかる。

 肉が抉れる、凄まじい音。回転するククリ刀が、その肉体に突き立ったのだ。顔を激痛に歪ませるブラッドだったが、更にダールから追い打ちをかけられる羽目になった。彼の突き上げる蹴りにより、ブラッドの身体は中空に高く巻き上げられる。

 しかも咄嗟に体勢を整えて、眼下を見下ろしたブラッドの真下には、この機を待っていたイザクがいた。


「っ! そうか、思い出しました。その目、その顔は……あの時の子供。貴方はイザク……、ルルノアっ!」


「記憶に残ってくれていたようで、何よりだ。死ね、ブラッド!」


 右手にククリ刀を握り締め、イザクは地面を蹴り、高く跳躍した。そしてブラッドの横を通り抜けざまに、一閃。その怨嗟を纏った一撃は、ついに因縁の男の首を、撫で斬るかの如く。それは最早、軌道上のすべてを斬り裂く飛ぶ斬撃であった。

 ブラッドを両断したばかりか、後方の壁にまで大きな亀裂を入れさせていたのだ。

 着地するイザクと共に、地面に音を立てて叩き付けられる、ブラッドの生首。

 振り向いたイザクは、血溜りの中に転がる憎い仇の頭を見下ろす。

 念願叶ったこの状況を見ても、イザクの顔に喜びはなく、肩で息をしている。

 仲間の力を借りたとはいえ、辛うじて勝てた……はずなのだ。致命傷と言えるダメージは、確かに与えた。実際、奴は首を両断されて、後は死を待つのみ。

 しかしイザクが表情を緩めていないのは、この男がこれしきで終わるはずがないと、本能が警鐘を鳴らしていたからだ。


「恐ろしい男に成長しましたねぇ、イザク。私がここまで窮地に追い込まれたのは、あの忌々しいアルマと戦った時しか思い浮かびませんよ」


 生首のまま声を発する、ブラッド。

 驚くべきことに彼の美しい女性のような顔だけが、ゆっくりと宙に浮かんでいく。

 しかも首の切断面からぐじゅぐじゅと無数の触手が伸びて、近くにいたイザクの身体を絡めとっていった。しかしイザクはそれを見ても、抵抗する素振りすら見せない。触手を振り払うこともせず、ブラッドにされるがままだ。


「今や私の生まれ持った身体は、この頭部だけ。胴体の方は、より強靭な肉体を求めて何度か取り替えたものです」


「……哀れな奴だ。身体を替え続けて、歪な姿で生き続ける。それがお前の求めた不老不死を実現する手段か?」


「そう、そして今度は貴方の身体を……と思ったのですが、いよいよ私の悪運も尽きましたかねぇ」


 レイルもリゼもダールも手出しすることなく、その一部始終を見守った。

 ブラッドを含めたこの場の誰もが、もう気付いていたからだ。

 勝負は、もうついていると。だから後はイザクが、この男との因縁にけりを付けるだけだった。ブラッドの触手がイザクの肩に、胸部に、足に突き刺さる。

 しかしその力は弱々しく、深く食い込むには至らない。微動だにせず、その悪足掻きを受け切ったイザクは、やがてククリ刀を振り上げる。


「じゃあな、ブラッド。今まで犯し続けてきた、罪の報いを受けるといい」


「これが私の最後ですか……仕方ありませんね。ですが、最後に忠告しましょう。私が辿った末路は、貴方達の未来そのものかもしれないと。先祖の因果はねぇ……今も血筋と共に、私達に向いているのですよ」


 ブラッドの遺言を聞き終えたイザクは、無言でククリ刀を大上段から振り下ろす。

 彼の頭部は無抵抗のまま左右に分断され、脳漿と血が辺りに飛び散った。

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