第二章 魔都にて見え隠れする陰謀その四

 レイルとイザクがギムジー商店を再び訪れた時、店内には誰の姿もなかった。

 ただテーブルの上には少し前に入れたと思われる、ゆらゆらと湯気が立ち上がっている飲みかけのコーヒーが入ったカップが残されている。

 店内を荒された様子もないことから、少し席を外しただけかもしれないと二人は判断。

 探すのも早々に切り上げて、店を出た。


「何か突発的な用事があって、店を出たのかもな。ギムジーさんだって、外は危険なのは分かってるだろうから、無茶な真似はしないとは思うけどよ」


「そう願いたいな。彼の無事な姿を確認しておきたかったが、退路と補給を絶たれた以上、悠長に探している余裕もない。このまま街を北上し、リゼとダールに合流しよう」


 レイルとイザクは自分達に言い聞かせるように、そう無理やり納得させて移動を開始したのだが、腑に落ちない思いは拭えなかった。

 なぜギムジーは飲みかけのコーヒーを置いて、店を出たのか?

 何か大きな意味がある気がしたが、答えの出ない問いだったので思考を中断。

 一先ずは頭の片隅に入れておくことにして、移動に専念することにした。


「リゼ達は、もうずっと先に進んでるんだろうな。こりゃ俺達も相当、急がないと追いつけねぇぞ。もしかしたらブラッドとすでに鉢合わせて、やりあってるのかも」


「だとしても、ブラッドは一匹狼じゃない。規模の大きい自分の傭兵団を率いている立場だ。それも多くの戦場を渡り歩き、呪物まで戦いに利用するその練度は非常に高い。確かに二人は強いが、それでも舐めてはかかれない」


 イザクはやけに語気を強めて、そう力説した。

 レイルは、隣を歩くそんなイザクの横顔をちらりと見る。さっき見せた反応といい、ブラッドの話になるとやけに喰いついてくるなと思ったからだ。

 確かにブラッドは、悪名が高いことで有名な人物ではある。

 傭兵としてダーティーな任務を好み、武器商人としては非常に強力な刀剣や呪物をあらゆる勢力に売りつけていると言う男。

 そしてお尋ね者となった今では、現在における最高金額の賞金首だ。

 だからイザクがあの男について多少の知識があってもおかしくはないのだが、まるで敵を実際に見たことがあるような断定的なその口調。そして奴の名が出た途端に見せる彼の表情の変化は、何らかの因縁があることを隠せてはいなかった。


「まあ、お前がブラッドの奴にどんな恨みがあるのか知らねぇけどよ。俺もあいつのことは一発、ぶん殴ってやらねぇと気が済まねぇ。それに俺にとったら、それが王国に仕官させてもらえる一番確実な方法だしな。命を賭けるに値する理由だぜ」


 そして心の中で「アルマさんと付き合うためにもな」と、レイルは付け加える。


「そうか、なら利害は一致しているな。少なくとも俺は、あの男を殺すことだけを考えて生きてきた。俺がアルマからのスカウトを受けたのも、それが理由だ」


 イザクは自身を鼓舞するように手の平を拳でぱしんと叩き、レイルもそれに倣う。

 意見の一致をみて戦意を漲らせた二人は、意気揚々と雪道を進んでいったが、北に向かうごとに少しずつ街の景観が荒れていった。

 大雷による爆発中心地に近づいているため、建物の壊れ具合がより酷いものになっている。それに加えて、街道の所々に死体が転がり出したのだ。

 しかもどの死体も身体中の血液が抜き取られたようにして、干乾びている。


「酷ぇな、どこもかしこも死体だらけじゃねぇか……。けど、街にやって来てから、死体を見たのは初めてだよな。しかも何でここまで干乾びてるんだ?」


 レイルは道端に転がる死体の一体に手を伸ばし、死因を調べようと試みる。

 まずは身体に外傷がないか確認するために、上着を脱がせてみたのだが……。尋常じゃない姿に、レイルも後ろで見ていたイザクも驚きで目を見開いた。

 上半身の至る所に、大きく黒い窪みが口を開けていたのだ。


「うぉあっ、どうなってんだ、この死体っ! 全身穴だらけで……しかもこの窪みから、僅かに残った血が滴ってんぞ!」


「……直接的な死因か分からないが、街の人々はここから何らかの手段で血を抜き取られたらしいな。だが、これは……魔機の仕業か? だとしたら奴らは意味なく人を襲うのではなく、何か目的があって行動しているのかもしれない」


 レイルとイザクはその死体に祈りを捧げ、引き続き街を北へ進もうとする。

 しかしここから遠く離れた崩れた家屋に視線をやりながら、二人は舌打ちした。

 イザクが足を止め、レイルもそれに続くと背負った大剣を片手で抜き放つ。

 遠くに見えるぼんやりとした赤い光源を見る二人のその表情は、みるみると険しいものに変わっていった。


「野郎っ! どうやら始まってるみたいだぜ! しかも家に火を放つなんて、魔機達の仕業じゃねぇ。いよいよ俺達は、お目当ての敵に出会えたってことかよ!」


 二人の視線の先では家々が燃えていたのだ。天をも焦がす勢いで炎が上がり、自分達が目指していた街の北部で戦闘行為が始まっているのは確かだった。

 しかも火の手が上がったのは、まさに今、この瞬間。

 戦いは、まだ始まったばかり。


「……ブラッド・ヴェイツっ!!」


 イザクが奴の名を叫ぶと真っ先に駆け出し、レイルもその後を追った。

 やがて見えてきた光景。狂気の笑みを浮かべて屈強な甲冑姿の男達が、逃げ惑う人々に凶刃を振るっている。

 逃げようとしている者も、失禁して茫然としている者も――次々と彼らに殺されていき、血を流して地に這っていった。そして響き渡る、男達の下卑た笑い声。

 凄惨なそれらを目の当たりにしたレイルとイザクの中で、何かが弾けた。


「話に聞いた通り、非道な連中みてぇだなぁ、ブラッド傭兵団っ!!」


 レイルの怒りに反応し、凶戦士の瞳の力が全身の血中を循環していく。

 そのまま彼は大剣を振り上げ、炎の中で笑っている男達の中に飛び込んでいった。

 男達の一人がようやく気付いて彼の方を見た時には、もう時すでに遅し。


「らあぁあああっ!! くたばりやがれっ、この外道共がぁっ!!」


 躊躇することなく振るった重い大剣が、男の顔面を真正面からぶち砕いていた。

 初めて人を殺したなとレイルは思ったが、この残虐な光景を見せられた後では罪悪感を感じることはなかった。


「お前らなんざ人とは思わねぇ。仕出かしたことの報いを受けさせてやるぜっ! 来いよっ、クズ野郎共っ!!」


 突然の二人の襲撃を受けて男達はようやく臨戦態勢を取ったが、凶戦士化しているレイルの目には酷く緩慢な動きに見えた。

 続けてレイルは血濡れた大剣を振り回し、一人の腕をぶった斬り、両目に突っこみ、首を跳ね飛ばした。

 しかし今日初めて犯した殺人を次々に積み重ねても、罪悪感など湧いてはこない。

 本当に相手が非道な人間崩れだったからなのか、右目に宿る狂戦士の瞳の効力だったのか、レイルにも分からなかった。


「こいつらが行っていたのは、略奪か。戦地で、無抵抗の人々から力尽くで奪い取る。ブラッドの常套手段だ。変わらない、いや……変わるはずもないか。あれからまだそう日を経てないからな」


 改めて辺りを見回したイザクが、嫌悪感からか歯を強く噛み締める。

 両手にククリ刀を掴むと、目に怒りを帯びさせ縦横無尽に投げ放った。

 それらは瞬時にして、彼を取り囲んでいた男達の目や心臓、眉間を次々と正確無比に射抜いていき、絶命させた。

 まさに圧倒的な戦いだった。二人は感情のままに怒り狂って、数的不利を物ともせずに、その場にいた二十数人の男達を瞬く間に殺してのけた。

 最後にレイルはまだ息があった一人の胸ぐらを掴み上げると、ドスの効いた声で問い詰める。


「おい、ブラッドの糞野郎はどこだよ? 答えても答えなくても、お前は殺すけどな」


「ま、待ってくれよ。俺達はブラッド傭兵団じゃねぇんだ。金で臨時に雇われただけの、使い走りだよ。ただこいつらから金品と食料を奪って来いと命令されて、目的地さえ知らされちゃ……あぎゃああああああっ!」


 言い終えるのを待たずにレイルが耳を千切り取ったことで、男は悲鳴を上げる。

 気持ちが高ぶり、痛みも疲れも躊躇すら彼から消え去っていた。普段とは違い、怒った今の彼はどんな残酷な行為でもやる気迫がある。


「あの時に出会ったブラッドが、ここまで異常な奴だったとはよ。見つけ出して、ぜってぇにぶち殺してやらなきゃな、イザク」


「ああ、それは勿論だがな。お前が胸倉を掴んでいるその男、すでに事切れているぞ? 尋問する前から、息も絶え絶えだったからな」


 イザクに言われてレイルは男の顔を見たが、血の気が失せて脱力しており、もう微動だにすることはなかった。

 燃え上がる家の中にその男の死体を放り捨て、辺りの死屍累々の光景を見回した彼は、そこでようやく正常な思考を取り戻す。

 返り血を浴びた自分の身体を眺めて、殺人を犯したことの重みを感じ取ったのだ。


「とうとう俺は……人を殺っちまったのかよ。相手は悪党とは言え、やっぱりあまり気分の良いもんじゃねぇな。けど……それでも俺は自分の良心を信じることにするぜ。こいつらには、然るべき報いを与えてやったってな」


 戦いの凶熱が冷めて、酷使したレイルの身体には痛みが遅れてやってきた。

 激しい痛みと、殺人を犯したことによる後ろめたさ。

 凶戦士の瞳を行使したことの代償だと、今更ながらに気付かされる。

 このままこの力に頼り続ければ、情動に駆られるままに、また人を殺めてしまうのは間違いないだろう。

 だが、しかし。レイルは、もうすでに心に決めていた。狂戦士の瞳の手綱を完全に自分の手で握り、自分の良心に従い、平等ではなく不平等に悪人からだけ命を奪ってやることを。それがレイルが、自分に課すことにしたルールだった。


「へっ、そんじゃまあ、先を急ごうぜ、イザク。俺もブラッド達と、殺し合いをする腹は決まった。あいつらとは、とことんやってやるってよ」


「ああ、ここでこいつらと遭遇したと言うことは、俺達が北を目指していたのは間違いじゃなかったと言うことだ。ブラッド傭兵団の本隊は、恐らく街の北部にいる。逃げ場がないこの街では、急げば追いつくのも時間の問題だ」


 レイルとイザクは家々を燃やす炎を背にして、皆殺しにされてしまった街の人々にしばし黙祷を捧げると、ブラッド傭兵団の追跡を開始した。

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