第一章 集いし、最競クインテットその二

 しばらくアルマの胸の中で至福の時を味わっていたレイルは、彼女の温かい笑みに迎えられて、馬車の席に腰を下ろす。そして馬車は再び出発していった。

 そんな中、レイルが胸中に抱いていたのは恋の予感だった。さっき抱きしめられてからと言うもの、彼は彼女のことが忘れられなくなってしまったのだ。

 馬車に揺られながら、さりげなく何度も彼女の顔を見てはドキドキする気持ちを抑えられずに、頬を赤らめる。

 今まで年頃の女と接する機会がなかったため、他の思春期の男子と比べれば少し遅いが、ついに自分も初恋を味わう日が来たのかと、彼は思う。


(アルマさん、綺麗だよなー……。けど、こんな上品な人が俺みたいな育ちの悪い男を相手にしてくれるかな。いや、俺だってこの仕事で活躍すれば、きっと!)


 レイルは道中、王国に仕官した自分とアルマが結ばれる妄想に耽っていた。

 だが、気を抜けば顔がにやけてしまいそうで、その度に意識して背筋を正す。

 当の彼女はずっと窓の外を見ており、何を考えているのか分からなかったが、そんな姿すら美しく見えて、レイルは見惚れるのだった。

 その間にも馬車は走り続け、やがて十数分後に見えてきたのは王国の領地内に聳え立つ建造物。

 ゼレスティア大陸最大の新生サン・ローの王国の小砦の一つであり、今は港街コルヒデの問題に対処するための前線基地になっている場所である。

 外観は壮麗だが、民衆からの血税による贅沢を好まない革命王によって、内装として飾られていた多くの美術品が売却されたことは、広く知られている。


「さあ、見えてきたね。着いたらさっそく君に紹介するよ。これから君が一緒に戦うことになる、仲間達をね」


「な、仲間……っすか? そいつらと仲良くなれたらいいですけどね」


 ここに来てようやく沈黙を破ったアルマに、レイルは咄嗟に返事をした。

 彼女は微笑みを絶やしていなかったが、目は笑っていない。レイルはぎょっとして気を引き締める。


「多種多様な人間を集めた部隊だから、当然だけど曲者が多いんだ。多少のトラブルは目を瞑ってあげるけど、殺し合いだけはご法度だよ。約束してくれるかな?」


「殺しっ……て。そんなん当たり前じゃないっすか。心配ないですよ、俺だってそれくらい弁えてますって、アルマさん」


 レイルは愛想笑いをしたが、アルマはそれ以上言葉を発さず、会話が途絶えた。

 それでも相変わらずレイルは彼女の方をちらちらと窺っていたが、走り続けていた馬車はやがて目的地である小砦前で停車する。

 レイルが窓の外を見ると、彼にも見覚えのある巨大な門がそこにはあった。


「さあ、砦に到着したよ。降りて、レイル君」


「いやー、久しぶりだな、この砦。実は俺、傭兵の仕事で前に一度だけ立ち寄ったことがあるんですよ」


 まずアルマが最初に馬車から降り立ち、それにレイルと二人の護衛騎士が続くと、四人は順番に砦の大門を潜っていく。通り抜ける際に、大門前で警備に当たっていた兵士達は、アルマの顔を見ただけで何も言わずに頭を下げて通してくれた。


「か、顔パスか……すっげぇなぁ、アルマさん」


 レイルは初めに抱いたその感想が、間違いだと言うことにすぐに気付いた。

 小砦内を先頭に立って歩くアルマを見かけるなり、すれ違う人々は道を開けていくのだが、正確には避けられていると言った方が正しい。

 恐れや嫌悪。彼女を目にした人々が見せたのは、そうしたマイナスの感情を伴った表情だったのだから。それを見たレイルは、憤りを隠せなかった。


「な、何だよ、あいつら……失礼な奴らですよね、アルマさん」


 しかしアルマは人々の態度を気にする様子はなく、すたすたと歩いていく。

 その堂々たる姿を見て、レイルは彼女が周囲からのこの扱われように、ずいぶん慣れてしまってるんだなと言う印象を受けた。

 当然、彼女が避けられている理由について気にはなったが、それを深く追求する程、彼も野暮ではない。

 しかし心の中では、彼女には何か事情があるのだろうかと強い関心を覚えた。


「さあ、着いたよ。ここが今日から君の仕事場。まずは皆に君を紹介するよ。メンバーは君を含めて四人いる。さっきも言ったけど、くれぐれも仲間同士の殺し合いだけは禁止だからね」


 辿り着いた小砦一階にある一室の扉のノブに手をかけつつ、アルマは背後のレイルに念を押すように、声をかける。

 レイルはすぐに返事を返そうとしたが、扉の奥から感じる異質な空気を感じ取って喉まで出かかったその言葉を飲み込んだ。

 この扉一枚の向こうには、やばそうな連中がいる。彼がそう察するには、十分な気配だったからだ。

 そんな彼の胸中など気に留めることなく、アルマは扉を開け放つ。

 扉を潜ると、飾り気のない詰め所になっていた。中にいたのは確かに彼女が言っていた通り。机を囲んだ椅子に座りながら、こちらを見ている三人の男女だった。


「皆、紹介するよ。この子は新しく私達『革命王の手』に仮採用された、レイル・レゴリオ君。仲良くしてあげて欲しい」


 アルマに背中を押されて三人の前に立つレイルだったが、彼には一目で分かった。

 全員が自分と同じように、生と死の狭間を生きてきた目をしていると。

 彼は最初が肝心だと、気圧されることのないように直立姿勢で自己紹介をした。


「俺の名前はレイル・レゴリオだ。貧民街で習った、キバオレ流剣技ってやつを修めてる。よろしくな、お前ら」


「新入りの、レイル・レゴリオか。なら、ちょっと俺について来てくれ。お前には、前もってここでのルールで教えておかないといけないことがある」


 三人の中で最初に言葉を発したのは、褐色の髪を持つ、つんとした雰囲気の青年だった。年の頃は二十代前半だろうか。長身で鎖帷子の上に黒いコートを羽織った容貌は、美青年と呼んでもいいだろう。

 彼は椅子から立ち上がり、レイルの腕を引っ張って部屋の外に連れ出していく。

 そうして小砦通路の壁際でレイルの胸倉を掴むと、彼は息がかかる距離まで顔を近づけてくる。だが、その際に女性特有のいい匂いが鼻孔をくすぐり、レイルは頬を思わず赤らめた。


(ど、どうしちまったってんだ、俺? 目の前にいるのは男だってのに、女日照りでおかしくなっちまったのかよ……)


 そんな内心の動揺を悟られないようにしているレイルに、彼はドスの効いた声をかけてくる。


「まずは俺も自己紹介といこう。俺はイザク・ルルノアだ。ところでお前、金はいくら持ってる? 勿論、現金でだ」


 イザクを名乗る男から放たれた、脅迫じみたその言葉。レイルはさっと熱が冷めていくのを感じた。舐められる訳にはいかないと思ったレイルは、食って掛かる。


「おいおい、まさか恐喝か? 悪ぃが、ほとんど無一文だぜ。出せる物なんて何もないぞ。もしあったとしても、お前なんかにぜってぇ渡さねぇけどな」


 反抗的な物言いにイザクは視線を鋭くする。そして懐から銀貨を数枚取り出し、レイルの口の中に押し込んだ。

 意図が分からずに呻くレイルだったが、イザクは続けて言い放つ。


「人の親切は素直に聞いておけ。俺達のメンバーでやってくんなら、金がないと命に関わるってことだ。俺達は無法者の集まりで、ある目的のために超法規的措置で荒事が許されている。殺し以外の犯罪でもな。ここまで言えば、分かってきたか?」


「ああ……そういうことかよ。ありがとよ、わざわざ忠告してくれたってことか」


 が、イザクが胸倉から手を放し、レイルの気が緩んだその瞬間だった。

 腹部にイザクの膝蹴りが叩き込まれ、レイルは咽るように咳き込む。

 床に崩れ落ちたレイルは怒りに染まった顔でイザクを睨み付けるが、彼は冷徹にそれを見下ろしながら事もなげに言い放った。


「言ったろ、俺達は無法者の集団だ。簡単に信用するな、疑ってかかれ。死にたくなければな」


「ああ、なるほどな……けど、今はそのことはいいんだ。重要なのは、俺もやられっ放しじゃ、気が収まらないってことだぜっ!」


 レイルは勢いよく飛び上がると、イザクに殴りかかっていった。

 瞬時にしてイザクへと間合いを詰め、そのまま肘撃ちを叩き込む。

 イザクも痛みで表情を歪めるが、レイルの胸倉を掴み上げて、更にその顔面を殴り返した。


「いっ、てぇぇっ!!」


「お相子だろう、これでっ! まだやるか、レイル・レゴリオっ!?」


 しばらくの間、殺意の視線を迸らせながら臨戦態勢で睨み合うレイルとイザク。

 だが、先にその一触即発な均衡を破ったのは、レイルの方だった。

 構えていた拳を下げると、放っていた殺意も静めさせる。


「……やめとくぜ。仲間同士の殺し合いだけはしないって、アルマさんと約束しちまったもんな。それにせっかくの役人になれるチャンスを、棒に振りたくねーから」


「……賢明な判断だな。俺も無用な殺生はしたくない」


 イザクもこれ以上は唯一の禁忌に触れることになると判断したのか、踵を返して扉のノブに手をかけた。だが、彼が開けるより先に扉は開け放たれた。

 中から出てきたのはアルマ、そして他のメンバー二人だった。

 彼女は騒ぎを起こしたレイル達を特に咎めることなく一瞥すると、いつも通りに微笑んだ表情で言った。


「まあ、自己紹介は後で各々してくれればいいよ、イザク、レイル君。それより血の気の多い君達には、仕事をしてもらった方がいいかな。レイル君にとったら到着早々になるけど、もう一度あの地獄に舞い戻ってもらうよ。説明も移動中に追々ね」


「ど、どういう意味っすか、アルマさん?」


 その問いにすぐには答えず、レイルの隣を通り過ぎたアルマは優し気な声色で耳元で囁く。


「少し前まで君がいた大陸最北端のリゾート地だった、港街コルヒデ。魔機に支配されたあの街で重罪人ブラッド・ヴェイツの足跡を追うこと。それが君達の仕事だよ」


 その言葉に、レイルは目を見開いた。


「ブ、ブラッド・ヴェイツ!?」


 思わず聞き返したその名は、レイルにとって忘れもしない自身の右目を抉った男。

 聞き覚えのある名ではあったが、今まで何者だったか思い出せずにいた。

 だが、アルマの口からあの男の経歴が続けて語られたことで、ようやく彼の記憶の中から鮮明に蘇ったのだ。


「……旧サン・ロー王国で王侯貴族の悪行に手を貸し、兵器開発を一手に引き受けていた傭兵団の長にして、武器商人。三百年前にゼレスティア大陸以外の別大陸を列強の国々ごと海に沈めた悪意ある六人、『シックス・フィレメント』の一人と同名を名乗ってる。ただの偽名なのかもしれないけどね。彼のお陰で、現陛下や私達も革命を成功させるのにずいぶん手を焼かされたんだ。けれど苦労の末に前政権を打倒したことで、めでたく彼はお尋ね者となった訳だよ」


「そうか、俺も風の噂で名前ぐらいは聞いていたっけ。あいつ、あのブラッドだったのかよ」


 アルマは説明を終えると再び港街コルヒデに出発するべく、小砦外の馬車へと向かって歩き出す。その後ろをレイル以外の三人も無言で続いていく。

 全員がそれぞれ背や腰に得物を下げて、やる気は十分な様子であった。

 正直、怖気づいていたレイルだったが、彼らの姿を見せられて持ち前の負けん気の強さが否応なく呼び起こされる。

 そうでなくとも、絶好の仕官のチャンスなのだ。また元のしがない傭兵稼業に戻るくらいなら、彼にとって人生は終わったも同然。

 ただ一言、「上等だぜ」と呟き、彼も四人の後を小走りで追っていった。

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