9 自室ロンリー
いつ死んだのか、どのタイミングなのか。それはわからない。しかし、レイメイは死んだとハッキリ実感した。
俺の呼吸が荒くなる。吸っては吐いて吸っては吐いてを、素早く繰り返す。
次第にそれは苦しみに変わって、手が震え、足が震えて、最後には立っていられなくなる。
思考は回らず、ただ早く息をすることだけがいっぱいになる。
目の前にはレイメイも倒れている。見つめれば見つめるほど苦しさが増えた。
「落ち着け」
どこからか、男の静まった声が聞こえた。
「目を背けて逃げろ。辛いのなら現実を直視するな」
男の声は俺を惑わす。飛びつきたくなる欲しい言葉だ。
……ああ、覚えがある。これは一度あったことだ。
「俺を見ろ」
言われるがまま、俺は首を回した。
「お前はちっとも変わらないな。山井仲二郎」
そう呟いた声の主は理想の姿、理想の自分、黒獅子銃一郎だった。
阿呆臭い。もはや奇形にしか見えなくなった自分の姿を見て、何を落ち着こうか。馬鹿らしい。皮肉気味にそう思った。
だがその呆れた感情は、俺を呼吸をゆっくり吐かせる。次第に息は整われ、過度に連続する呼吸は止まった。
「お前が俺の何を知ってるんだよ」
俺はそのままやさぐれ気味に、黒獅子へと言葉をぶつける。
黒獅子は拳銃を取り出して、人差し指で回していく。そのまま得意げに語った。
「俺は黒獅子銃一郎、過去の山井仲二郎そのものだ。だから俺はお前の過去を、よく知っているつもりなんだ」
黒獅子は時たま目を閉じ開けしながら銃の曲芸に興じる。
どんな状況でも冷静で、気の利く会話ができるクールな男。過去に書かれた理想通りのキャラクターそのままだった。
空想とはいえ黒獅子が昔の自分だったとは思えないほど、彼は俺と乖離している。だがそれでも黒獅子銃一郎は俺だった。その証拠に、いま俺を助けている。
「時が流れたら、また会おう」
意味深なセリフを残し、綺麗な歯並びを見せると黒獅子は飛び去った。
そしてまた、岩石が降ってくる。どでかい轟音が何度も何度も鳴り響く。
呼吸は落ち着き、痺れは取れた。もう一度レイメイの姿を確認する。
全く動かない。岩に抉られた下半身から血が飛び散っている。表情も変わらず、動作も起伏もない塊りだ。
死という実感は間違ってはいない。それは絶対であり、確実だ。
俺は逃げた。
俺が死んでしまったら、レイメイを思うことさえできなくなるからだ。
***
学校の周辺は大騒ぎとなった。警察が道を封鎖し、救急車が怪我人を運ぶ。さらには自衛隊の車両までもが走っていった。
学校から離れても大きな破壊音がひっきりなしに鳴った。映画だとしても過剰なほどの炸裂音が大事件を物語った。
飛び散るコンクリート、たまに燃えた岩石。時たま空を飛び回る天使や人影。しばらくするとそれらは鳴り止む。その瞬間だけ、嘘かと思うくらい静かになった。その後、今度は自衛隊員がひっきりなしに移動する騒音が聞こえてくる。
俺は俯いて公園のベンチに座っている。学校の周りでは様子を見ようと人だかりと野次馬も沸いてはいたが、気にならない。
思うことは、まだレイメイについてだった。
死んだのは確かだろう。あれで死んでいなければ俺は神を信じる。それほどだ。
じゃあ何故死んだのか。それは岩石を避けなかったからだ。
ではなぜ避けなかったのか?
いや、空から降る岩石は避けられるスピードではなかった。見てから避けるのは遅かっただろう。
ならば、俺が前もって知らせれば、レイメイは燃える岩石を避けられたんじゃないか?
駆け寄らなくても、聞こえるほど声を張り上げればよかったんだ。なら、階段さえ降りる必要もなかった。そもそも、俺は屋上から力いっぱい叫べばよかった。そうすればレイメイは聞こえた。
声が届けばレイメイは助かった。届かなくても、スマートホンでも使って連絡すればよかった。なのに、俺はそうしなかった。
「くそったれ……」
涙が出てきた。後悔に加えて悔しさが混ざり合う。できるであろうにできなかったからだ。
助けられた可能性はあったのだ。それも、声を大きくして叫ぶという本当に少しだけの、簡単な違いだ。
俺は何故声を出さなかったんだ。張り上げなかったんだ。真田"辛"村が現われた時点で、危険が迫っていることはわかっていたはずだ。
気の迷いか? 臆病な心か? 周囲の視線でも気になったのか? 屋上で突然大声を出す変な奴だと、思われたくなかったのか?
羞恥心で、他人に普通に思われたいというだけ。そんなのを理由にして声を大きく出さなかったのか? 恥ずかしいと思われたくなかったという、そんな感情でレイメイを危険に晒したのか? 命を失わせたのか?
それこそ、恥ずべき痴態ではないか。
さらに追及すれば、他にも伝達手段はいくらでもあった。なぜ思い至らないのか。なぜスマートホンを使わなかったんだ? 事前に打ち合わせをすれば、全てを回避できたはずだ。
痴態だ。凄まじき、あるまじき醜態。それでレイメイを死なせてしまった。
俺はなんて馬鹿なんだ。
「山井」
厳格でありながら、透き通るまっすぐな声が聞こえた。シャンクだろう。
レイメイではない。レイメイならもっと特別なイントネーションで俺の名前を語る。
そしてそのレイメイは死んだ。俺のどうしようもない馬鹿によって死んだ。
「……聞こえているか?」
シャンクは心配そうに声をかけた。俺が目を塞ぎながら俯いて、ガンガンと泣いているからだろう。
もう顔はぐしゃぐしゃだ。開ける気にならない。
もっと泣きたい。泣いていたい。あきるまで。そうさせてくれ。
誰の指図も受けるものか。俺は泣く。惨めだから。嫌だから。取り返しがつかないから。
俺は悲しむ。そうしたい。今はそうでありたい。
「ここでは目立つぞ。家で泣いたほうがいい」
シャンクは配慮する。
ああ……シャンクは泣いている人の気持ちが、俺が泣く時にどうすればいいか知っている。そんな要素はひとつも描写されていないのに、不思議だ。
俺は泣きながらも頷いた。
なんとかシャンクに引っ張れら、右肩を駆りながら歩く。
泣いてはいるが、歩けはする。いずれ家に着き、自室に篭れるだろう。
世界で唯一、そして一番安心できる俺の居場所、自室にたどり着けるだろう。
***
玄関を開けるとドタドタと足音がした。母親だ。
俺は泣きながもら面倒くさいと思った。泣いている俺とシャンクを見て、母どうするのだろう。また余計なことをするのではないか。そう予想した。
だが母親は一言も言葉を発しない。俺はチラリと母親の顔を見た。人を心配する顔だった。
そのままシャンクと共に階段をかけあがり、自室に入る。そこでシャンクとは別れ、俺は一人になった。
泣いた。また泣いた。ウンザリするほど泣いた。
溢れる鼻水も、うっとおしくなる。ティッシュを使い、鼻をかんだらゴミ箱を捨てる。
ああ一人は楽だ。自分の部屋は楽だ。誰にも文句を言われない。誰も何も思わない。居心地がいい。
一人だ。誰にも気を使わなくていい。誰も相手にしなくていい。
誰にも何も思わなくてもいい……
俺は落ち着き始めた。そうなると、なんだかしんみりもした。懐かしい気持ちが込みあがってきたのだ
泣いたのは久しぶりだ。前に泣いたのはいつだっだろうか。
俺は泣き虫だった。
小学校の時は事あるごとに泣いていた。よく母親に泣きすぎだと怒られた。
それでも泣いた。泣きすぎて友達はできなかった。すぐ泣く面倒くさい奴だと次第に思われたんだろう。
泣くと先生がやってくる。そのあとには聞き飽きたホームルームでの語りが待っている。なら、もう関わらない。先生は優しくしてくれたが、それも何か、気の毒だ。俺はある意味問題児として扱われても、仕方がないぐらい泣いていたから。俺の存在は迷惑だったろうに。
最後に泣いたのは、自室だ。中学に進学して余計耐えられなくなった学校生活と、増してひどくなった母親の説教と罵声。
そうなると俺は自室にこもった。そうすると母親は頻繁に部屋へと入っていって、より居場所がなくなった。
ある日こっそりと深夜に家を出たら、とても自由で気楽になれた。全ての縛りから解放されて、すがすがしい気持ちになった。
そして家に帰って、苦しい日常がまたやっとくるのかと思って、また泣いたんだった。
次の日は学校に行かずに済んだけど、やっぱり俺の中では行かなくちゃいけない、そんな思いが強くて、必死になった。
何がそうしたんだろうか。
道徳心だろうか。倫理観だろうか。学校に行かないと、まともな生活を送れないと、珍しく気弱に言った母親の忠告か。
そこで頑張ろうと、ひとつ目標を立てた。
毎日学校に行こう。楽しい学校生活を送ろう。
普通でいいから、普通の人生でいいから、普通の幸せを享受したい。
それでいて、仲の良い普通の友達も欲しい。
素晴らしくなくていい。劣っていなければいい。そこそこの長所短所が両方あって、時に良くして悪さする友達。凡庸で普遍的で常識的な友達が欲しい。
友達。それが高校生活最初の目標、そして願望。
その夜に、住宅街は戦場と化したんだ。
***
時間がしばらく経って、泣きやめられた。涙が枯れるほどに十分泣いた。もう泣けられないし、泣かなくていい。そんな気分に落ち着いた。
そこから、自分がいまだに作業服を着ていることに気づく。このままでなくてもいいな。
なんとなく、学校の制服に着替える。その着替えた瞬間に俺は何をやっているんだろうと馬鹿らしく思った。今から登校する気か。学校は今、岩石で滅茶苦茶だろうに。なんてアホなことをしているのだ。
しかし、今更脱ぐのも面倒くさい。そのままでいいや。
そんな事を考えながら、ふと時計が目に入る。お昼時だ。そう自覚すると、ほどほどにお腹が空いた。
腹が減ったらのなら満たしてやろう。階段を降りる。
母はどうしているだうろか。また無駄に心配をかけてしまっている。
そういえばシャンクも居るんだった。それも心配だ。シャンクも良識があるとはいえ、元はワンダーランドであるLDWTの住人だ。話が合うだろうか不安である。
憂いながらもリビングのドアを開けると、テレビの音がした。ソファに母が座っている。
母はドアを開ける音に気づいて俺を見る。
「お昼食べれる?」
テーブルを見ると、ラップされたスパゲッティが置かれていた。
「食べるよ」
イスに座ってフォークを使う。食べる途中、母は何も言ってこない。
ソファに座る母は、どこか気落ちしているように見えた。子供が泣きながら帰ってきたのだ。何があったのか心配なのだろう。
落ち込まれると、見ている俺も落ち込みそうになってきた。ああ悪い癖だ。俺は他人の感情を汲み取りすぎる。俺が元気ならば母も元気になるだろうに。
少しは明るく振る舞おう。眉に力を入れず、胸を軽くして穏やかに。立ち直ったとアピールしておく。
だが、母は相変わらずテレビを見ていた。まったくもう。
スパゲッティを食べ終わり、食器を流しに置き、水につける。そのまま母とは何も会話せず、自室に戻ろうとした。
しかし、階段をかけあがろうとした時に、母が追いかけてきた。何か思いつめて、辛そうな瞳で俺を見つめる。
気にしすぎだよお母さん。もう泣き止んでいるから大丈夫だって。
「……学校は楽しい?」
それでも母は苦悶を言葉に発していく。
「まあ」
俺は曖昧に答えた。
楽しくないとは思ってない。だが、事実楽しいかどうかは、断言できなかった。ゆえ明言しなかった。
「友達とは仲良くやれてる?」
矢次に母は聞いてくる。この手の質問は大体されたくないものだ。
いつか母にそのまま「最近は楽しい? 友達とは仲良くやれてる?」と聞いてみたいものだ。その時どんな顔をするだろうか。今の俺と似るに違いない。その確信が不思議とある。
「やってるよ」
友達は居ない。だが事実を言うと心配されるので嘘を吐いた。
「あの子とも?」
あの子。
レイメイのことだろう。
レイメイとは上手くやっていた。だがもういない。
しかし、その事を伝えれば母はまた心配するだろう。
「うん」
俺は生返事をして駆け足で自室に戻ろうとする。
もし、レイメイが生きているのなら、母の質問は嘘を吐かず、全て正直に答えられた。
もし、生きていれば。
レイメイが居たのならば学校は楽しくなるだろう。
レイメイという友達と仲良くやれているだろう。
悲しい。俺にとってレイメイとは、そんなにも大事な存在なのだ。
レイメは大事な友人。その定義は不思議と嬉しい感情を芽生えさせた。
悲しいと嬉しい。二つの矛盾する感情を俺は持った。
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