2 接近石鹸ヒロイン



 休み時間、俺はスマホを最大限使って検索した。

 時折、シャンク・ダルクの視線が気になったが、それは識別しないことにした。

 こちらから見なければ、観測できなければ現実ではない、つまり俺を見ているシャンク・ダルクを俺は今確認していないので、見られているかはわからない……ということにした。

 シャンク・ダルクが何故俺を監視しているか、落ち着いて考えれば予想はつく。

 俺こと山井仲二郎はLDWTの主人公黒獅子銃一郎が持つ要素、クールな一匹狼のガンマンという要素を抜いた激似の存在だ。つまり同一人物、関連人物として俺を疑っているのだろう。

 昨日起こった天使との戦いが細部まで語られ、シャンクが所属する組織"真実機関"が気にしたのかもしれない。

 そこまでの細部をLDWTには明記されていないが、物語では語られなかった補強のストーリーとしてありうる話ではある。

 だが、今はそんなことなど、どうでもいい。

 気になることはLDWTが現実化した理由だ。

 とにかく歴史を漁ってみた。人類は二千年前から自分達の出来事を文字にして残している。それらの中に似たような事象があるかもしれない。

 しかし、見つからない。俺の検索能力が欠如してるせいか、全く見当たらない。

 だが「妄想が現実化する」という構成を持った物語、創作は多くあるようだった。

 時にそれらは人類を滅ぼし、時に主人公とイチャつき、時に変えられない過酷な現実として脅かし、時に幸せな出来事として閉じていく。それらは少し検索ワードを変えるだけであまたに存在した。

 主人公が想像し創造した理想の世界から、"理想の世界だったもの"まで数多く、無数に。

 しかし、それらはあくまで創作で、現実ではない。

 他には「妄想し続ければ現実になると思っていませんか? 言葉にして発しないと願いは叶いません!」だの「パスカルの賭け」だの「想像を具現化するには一定の画力が必要です」だの「隙間の神」だのしか目に映らない。しまいに俺は「人生の意味」という項目に行き着いてしまった。今はそんな考えてもよくわからない哲学に構ってる暇はない。

 とにかく、インターネットで検索しても簡単には解決しないことだけがわかってしまった。これは痛い。

 俺は一息ついてスマホの画面を消し、考える。

 "消したい過去が具現化する"という題材の物語は、ライトノベルでさえいくつもあった。「"妄想が具現化する"という妄想」さえ世の中では珍しくない。

 つまり、世の中には物語や架空、妄想、想像があまたに存在する。それらはネットでも無数に公開されているし、公開したくないほど隠したい人もいるだろう。

 過去を遡れば、つまり人類史を考えれば、それこそ無限に存在するといっても過言ではない。

 それらを差し置いて、何故俺が過去に書いたワンダーランドLDWTが現実化したのだろうか。

 これがもっとも不可解で謎である。俺の妄想でなくとも、世界には星の数より妄想が多く存在するのだ。

 何故、俺の物語は選ばれてしまったのだろうか。

「わからん……」

 そう呟いて尽き果てた俺は、背もたれに寄りかかる。後ろにチラりとシャンク・ダルクが見える。相変わらず俺を見張っていた。

 嫌な視線だった。元は妄想とはいえ、そこに居るのは本物のシャンク・ダルク。戦おうならば、俺は指先ひとつで殺されるだろう。

 クソッタレが。あきらめてたまるものか。なんとかして原因を突き止めよう。

 なにか、なにかないのだろうか。もしかしたら、でもいい。

 俺は考える。

 もしかしたら、世間や一般に知られていない方法で、妄想が現実化する秘法があるのかもしれない。

 それこそ学校の七不思議のように、この地域特有の怪奇現象が存在して、俺はそれと遭遇しているのかもしれない。

 ならば、この地域のオカルトに詳しい人に聞くしかない。確かこの学校にはオカルト部も存在していたはずだ。

 席を立ち、藁にもすがる思いで俺はオカルト部に行くと決心し、廊下で通りすがった先生に声をかけ、場所を聞いてみる。

「あっ先生。あ、えと……オカルト部の部室」

 俺は先生に部室がどこか尋ねてみるが、それだけで緊張した。

 オカルト部がどこかなど尋ねたら、今の時代では馬鹿馬鹿しくなったオカルトに興味がある、頭がおかしい生徒として見られるんじゃないか……? それは避けたい。

「……? それがどうしたんだい?」

「ぇぇ……どこに、ありますか?」

「部室棟の一階だよ。山井君、部室棟がどこにあるか、わかるかい?」

 その先生が話しかける言葉のトーンといったら、まるで幼い子供を諭すようだった。俺はますます恥ずかしくなる。

 頭がおかしい生徒と思われるのも、五歳児だと思われるのも恥ずかしい。

「あ、はい。わかります……いってきます」

 それでも俺はたどたどしく答えてしまう。先生の視界から、なるべく早く外れるように足を動かした。

 長い廊下は嫌でも俺に考える時間を与えてくれた。そのおかけで嫌な妄想ができあがる。

 先生がどう思うかうんぬんではない。そもそも俺は頭がおかしくなったんだ。今見ている世界は夢の中で、本当の俺は病室で眠っており、植物状態で二度と目覚めることはない……それは嫌だな。確認のしようがない。

 俺は髪の毛をかきむしる。実感のこもった髪の感触を手に感じた。

 夢ではないとは思うが、それを証明することはできない。ならば、そもそも心配する必要もない。

 夢の中なら、夢の中で幸せに生きられればいい。最悪の目覚めさえ起きなければ、最高だ。

 そんな考えをしている合間に、俺は部室棟に着いた。

 オカルト部を探してみると、一階の七番目に存在した。

 表札は汚れた茶色の木板で、力強い和風な筆圧で「オカルト」と書かれている。なかなか歴史を感じさせてくれる表札だった。

 期待は高まり、俺は部室のドアを開けた。ドアの壁は音も立てず滑らかに開かれていく。

 視界に入ると痩せた凹みに細やかな体と、あやかしさをかもし出す素肌。絵に描いたような優美を完成させつつ、相応に未熟な女の子。

 衝撃的なことに、裸の女性が立っていた。

 女性はその裸体を晒しながら、雄弁な語りを流している。

「人間が神になることなどできやしない。ならば、人間以外の何が神になるんだい? 人間の能力を遥かに上回る進化可能な存在は? それはやはり、機械やコンピューターが妥当だろう。既に、機械は人間を超えている部分を持っている。いずれ神になるのも時間の問題だ。そしてそれは、愚かな人間至上主義者達が語りたがるような機械支配によるディストピアではなく、人々によって至極真っ当に支持され成立した神が、民に幸せを提供するユートピアになるだろうね。なぜなら神の狂気を人間達は確かめることができない。神という存在は、神ゆえに間違えたりしないのだから!」

 手を差し出しながら一回転、壁に向かって話しかけ、そこに人が居るかのように熱烈に、もう一回転して机に喋り、そして気持ちよさそうに余韻を残しながら語り終えていく。

「ああぁ、また定義がブレている。いけない、いけない……」

 その最後、俺と彼女は目が合い、驚愕する。


***


 時が止まった。それは昨日見た、白の天使と黒獅子銃一郎の戦いよりも、強い停止感でありながら少しばかりの挙動、つまり、驚きのあまり口を左右に動かすほどの許しはあった。

 それゆえ、俺はドアを急いで閉めることに成功した。勢い余って大きな音が鳴り響いた。

 振り返ると、すれ違っていた野球部員達が一斉にこっちを見ていた。彼らは少しばかりの疑問符を頭の上に浮かばせたが、深入りせず活動へと戻っていく。

 俺はどうするべきか悩む。

 まず、なぜ、女性が、服も着ずに、裸だったのだ!?

 すると、勝手にドアが開いていく。さきほど裸だった女性が顔だけを出してきた。

 肩にかかるかかからないかのナチュラルショートボブ、そして煙がかった暗い雲のような灰銀髪が、凛々しい女性を表現しつつ揺れ動く。だがその前髪に一本だけブルーのメッシュが、今にもピョコピョコ跳ねそうに自己主張しながら垂れ下がっている。丸っこい輪郭の顔つきの中に、吸血鬼のような紅色に濃い赤の瞳が興味津々で俺を探す。

 その目が俺を確認すると、ねっとりとした細目に変わり嘲笑う。

「……キミは、僕の裸を見たいのかい?」

 彼女はわざとらしく首をかしげ、一刀両断に煽ってきた。

「いやいやいや、ちがうっちがうっちがうっ!」

 俺は慌てて否定する。そんな気は一切、全く無かったのだ。知っていれば絶対に入らない!

 自分は理性的かつ純粋な人間だと弁明したいからこその、呂律の回らなさだった。

 それを見て女性は「くっくっく」と悪意ありげに笑う。

「なら、服を着てくるよ。砂粒でも数えて待っていたまえ」

 そう言い終わられ、ドアは閉められた。

 俺は深呼吸しながら落ち着きを取り戻そうとし、再びドアが開くころには平静を取り戻した。

「オカルト部へようこそ」

 彼女に手まねきされ、俺は部室に入る。

 部屋は本棚で囲まれ、その棚は窓の大部分を塞いでいた。雑誌なども床から無造作に積み重なっている。隅には表面に茶色い汚れが強く残った小さい冷蔵庫。中央に配置されたテーブルにペットボトルと紙コップだけが置かれ、満遍なく薄いほこりを被っていた。蜘蛛の巣が張った蛍光灯も消えたまま。活気に溢れぬ部屋であった。

 そんな中へと彼女はブルーのメッシュをいじりながら案内する。床に倒れていたパイプ椅子をこじ開け、そこに俺の椅子を作った。彼女はその反対側に座る。

「自己紹介といこう。僕の名前はキドリ レイメイ。"希"望を乗せた"鳥"が"零"した"名"前と漢字表記される。詩的な表現だろう? 気軽に『レイメイさん』とでも呼んでくれたまえ」

 レイメイの自己紹介は非常にくどいイントネーションだった。ところどころ自慢げで、それをわざと隠さず、無理に主張する話し方。それらを見聞きするだけで、わかってしまった。

 希鳥零名は、一風変わっている。変わっているが、それは典型の変わり方だ。

 無垢な子供が、理想の大人になろうと頑張って背伸びする姿。

 レイメイはそれを隠さない。オープンに、自己紹介にさえ混ぜていた。

「俺は山井……」

 俺は名前を端的に述べるだけにした。俺は子供だが、無理して大人ぶらなくてもいいことを知っている。そして、変わり者の風当たりが強いことも知っている。

 もう十五年生きた。さすがに理解したのだ。

 だが、目の前には理解しつつ、いまだに気取る人間だった。

「山井……なるほど、ヤマイ、ね」

 レイメイは呟き、俺の名前を確認する。

 凡庸な山井という名字も、レイメイが改変した音階、音触りと語感では、凛々しく特別感が溢れた。なんだか、恥ずかしい思いがぞくぞくして鳥肌が立つ。

「うむ、ヤマイ。まずは今起きた事件について……ライトノベル的油塗り現象について、少し弁明をしておこう」

「ライトノベ……なんて?」

「おや、知らないのかい? 裸体の女性を男性が謁見するのは、物語のヒロインを見定める儀式、典型として有名じゃあないか。油をかけられて救世主となるメシアと同じく、ヒロインは主人公に裸を見られてその役割が確定する。疑い深き子羊達が誰に萌えれば良いのか分かるように、ね」

 レイメイはブルーで染められたメッシュをいじり続け、もう片方の手を振り回して使いながら、くどく語り始める。

「誤解だよ。僕は普段から裸になる趣味は無いし、見られる趣味も無い。キミがドアをノックしなかったことは、落ち度と取れるかもしれないが、僕が鍵もかけずに、のうのうと裸体を維持していたことにも問題がある。つまり今回のいきさつは、互いの落ち度によって生まれてしまった些細な事故であり、決して恋愛感情が生まれる出来事ではない、と主張したい」

 レイメイは何度も空中で手刀を振り回し、首を上げては下げていく。

 何を巻き起こしているんだ。血気盛んな独裁者の演説でも、こうはなるまい。普通の会話をするようには見ていられないぞ。

 そもそも、何故恋愛に発展する前提が作られているのだ。そらあ、裸を見ただけで恋人になるのはおかしい。長い話を素早く語るくせに、当然すぎる帰結だ。

「……そうだ、事故だ。お互いに悪かったかと」

「うむ。僕もそう思うし、ヤマイもそう思うのなら、交渉成立だ。そうさ、僕らは決して、ライトノベルの主人公とヒロインではない。凡庸な現実の高校生なの、さ」

 レイメイは芝居じみた仕草で口元に手を当て、また「くっくっく」と小刻みに笑う。嫌みったらしい笑い方だ。心底楽しそうである。

 なんなんだこの女は。一人称も『僕』だし、女性として変すぎる。

 なぜ矯正されなかったんだ。あの手振り身動きする独特の語りは、見ているととても恥ずかしくて、しかたがないったらありゃしない。

「そもそも、なんで裸だったんだ……?」

 俺はまだ警戒心を解けずに、問いかけを口にする。

「なに、ささいなことさ。それは、僕がつかの間でさえ、特別になりたかったからに過ぎない」

「特別に、なりたかった……?」

 俺はオウムのごとく疑問点となる一文を繰り返す。

 そこからレイメイは、どこまでも得意げになりながら語りだした。

「発端は至極単純だよ。服を着てしまう人間達を懐疑的に思ったのさ。人間は大抵の動物と違い衣服を身に着ける。それは気温の高低から体を守り、活動範囲を広げるためだったが、蒸し暑い夏でさえ人間は衣服を着てしまうほど、愚かに退化してしまった。あげくの果てには衣服の色や形にこだわり、そぐわないモノは恥ずべき格好として、公共の場では裸を禁じるまでにいたる。ならば、それほどまでに裸体を維持することは害悪であるのか? そう思って実際に裸になって試したのさ。そんな派手な行動をすることによって、凡庸な思想を持つ大衆カテゴリから脱出し、異端な人間になれるだろうと、少しばかりの期待感を持ちながら実行した。結果は悪くなかったね。常人より羞恥心が薄いことを自覚できたのはとても嬉しいよ。それは僕が凡庸な他人とは違う、特別な部位がある証拠であり、最も求めていたレッテルなのだから」

 長々とレイメイは語り続けた。一つ一つの言葉をより強固にしようと楔を打ち続け、にもかかわらず一種の職人的こだわりのせいで、不安定な雰囲気も保ってしまうような、そんな特有の物語りだった。

 他人と違うことを求めて裸になってしまう高校生は、ただ喋らせるだけで自身の普遍性、常識、一般的な女子高生イメージを喪失させた。

 彼女がそう願うまでも無く、十分特殊であり、イレギュラーであり、特別な人間。それがレイメイだった。

 まるで、彼女が物語上のキャラクター、空想上の人物、それこそワンダーランドの住人に見えて仕方なかった。

「十分特別だよ」

 なので、俺は思いのままの感想を、レイメイに言ってしまった。

「そう褒められるは嬉しいね。今日は立て続けに気分が良い。くっくっく」

 そうレイメイは口元を緩ませ、木槌を叩くように笑う。これまた心底楽しそうだ。

「さて、気分が良いうちに聞いておこうか。オカルト部は去年三年生が卒業して部員人数が皆無となり、僕一人だけの同好会へと格下げられた、もはや集団ですらない部活動だ。インターネットの登場によって虚実は栄えるようになり、オカルトというコンテンツも進化したが、同時にオカルトの検証も捗り、真実味が薄くなっていった。より虚実さが強くなったおかげで、僕はこの部屋を占有できている。そんな僕とオカルト部に何のようだい?」

 俺は気づきハッとする。レイメイという強烈な人間のおかげで忘れていた。

 そうだとも。俺は藁にも縋りたいほどの悩みがあったのだ。

「俺はですね。この地域特有の怪談、もしくは民話や伝承、噂話、都市伝説を聞きに来たんですよ」

「ほう、それは驚いた。今時の高校生は、そんなオカルト話に興味を持たないと思っていたよ。持ったとしても、オカルト部を訪ねるまでの行動力を発揮しないと、ね。これは認識を改めないといけないようだ」

「改めなくていい。俺は興味を持たざる得なくなったんだ」

「ほう、それはオカルト部員として、いや、希鳥零名のサガとして関心を寄せずにはいられないね」

 レイメイは自身の制服ポケットからメモ帳とペンを取り出す。どうやらその詳細を事細かく記録する気だ。本気で興味を持っている。

 人は話を聞く時なぜメモをするのか。それは記憶を外部にも残しインプットを強めるためだ。

「ヤマイ、キミがなぜここに行き着いてしまったのか、その過程をぜひこの僕に聞かせてくれたまえ。くっく」

 レイメイは俺を記録し、記憶しようとしていた。

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