黒歴史を恐れるな
夢ムラ
1 困惑バトルフィールド
夜の住宅街は人知れず戦場と化していた。
俺の目の前には白い翼を背中に大きく生やした、まさしく天使ともいえる女の子が宙に浮いている。
刃の先端を鋭く尖らせ、そのまま魂をも刈り取りそうな鎌が天使の手によって俺へと向けられ、翼を羽ばたかせた天使はこう語る。
「初めまして黒獅子銃一郎さん。いや"神殺しのガンマン"と呼んであげたほうがいいかしらね」
残念ながら俺は黒獅子銃一郎ではない。俺の苗字はありふれた二文字「山井」だ。
さきほど高校への入学式を終えて、下校途中に夜道を歩いているだけの、新鮮な高校生である。決して神殺しのガンマンなどではない。
確かに自分は銃への憧れを抱いているし、格好をつけて構えたくなる代物だ。リボルバー式拳銃を巧みに操るガンマンは漫画や映画でもカッコイイ。大好きだ。
そういう意味で『人を殺しもしないのに、銃を撃つのに憧れる痛い奴』だが、神殺しではないし、ガンマンでもない。
つまり俺は黒獅子銃一郎ではない、と言いたかったが声が出ない。
突然瓦礫が飛び散って、そこから目の前へと降り立った天使に脅される、あまりに突飛で不明瞭な展開。その状況に体が、声帯の筋肉が追いつかない。
体が動かない。一種の思考停止的な脳の混乱と、緊張から来る金縛り状態。俺は呆然の二文字を体現していた。
そこへさらに混迷が襲い掛かる。後ろから銃声。俺はビックリして地べたのコンクリートへとこけてしまった。
銃声がした方向を見ると、そこには一人の高校生が立っている。
そうとも、高校生に違いない。服はところどころ切り傷でアレンジされた黒い学ラン。黒色で塗られた髪の毛を狼のように伸ばしクールな瞳が輝いている。ハッキリ言って男前だ。
それは俺が中学生の時に作った、作ってしまった理想の自分。
だから高校生に違いない。
「この俺を呼んだのはどこの誰だ?」
新鮮な高校生山井に似つつ、全く違う人物である黒獅子銃一郎はそうセリフを吐いて、銃を構えて格好をつけた。
俺はもう思考が追いつかなくなった。確かに黒獅子銃一郎は俺が昔書いてしまった、つたなく荒い、人に見せたくない小説の主人公である。
それが、一体何故、現実となって俺の目の前にいるのか、わからない。
「神殺しのガンマンは、どこの誰ともわからない一般人を庇うのね。知らなかったわ」
翼を広げ、皮肉気味に天使の女の子は言う。そのまま鎌を構えて猛スピードで襲ってきた。
黒獅子銃一郎はそれを防ごうと前に出る。鈍い金属音がすると、リボルバー拳銃を鎌にぶつけて止めていた。
「似たような顔してる人間に死なれると、夢見が悪いんでね」
黒獅子銃一郎は俺よりもクールに、素晴らしい美声で語る。当然だ。俺がそう設定してそう書いたのだ。あまりに想像通りで寒気がする。
そのまま白翼の天使と神殺しのガンマンは戦い続けた。銃声は鳴り響き、鎌は風を切る。翼は羽ばたき、次第に空中戦へと戦況は変化する。
遠く、そのまま遠くへ二人が見えなくなった時、俺の金縛りは解けた。
「なん……なん……なに……?」
俺はこの場を去りながら、おどおどした気迫の無い声しか出せなかった。
いったい、何が起きているのだ。
***
その後は予定通り、俺は家に帰れた。
玄関扉を開けて入ると、音を聞きつけた母親がリビングから出てきた。「ちょっと遅かったんじゃなあい?」と率直な思いを聞かされる。
ここで俺は「天使と俺に似た高校生ガンマンが戦っててちょっと巻き込まれた」と言い訳するほど馬鹿ではない。
そんなことを言っても喧嘩になるか、脳を心配されるかだ。適当な相槌を打って「明日は早めに帰るから」と謝罪し俺は自室に戻った。
すぐさま勉強机の引き出しを開けた。この引き出しを俺は「黒歴史の引き出し」と呼んでおり、触れてはならぬ禁忌としている。
俺は中学生の頃、部活に所属していなければ、帰りに遊ぶ友達もいなかった。
全然楽しくなかった。学校に居ても楽しく会話できる友人は居ないし、家に帰ると親が説教臭く怒鳴り散らす。
自室が俺の逃げ場になった。家に帰るとすぐに勉強机へと座った。
勉強するためではない。原稿用紙に物語を書くためだ。
自分の妄想をそのまま心地よく垂れ流すのは楽しかった。空気を吸うかのように物語を書き続けた。そうやって俺はストレスを発散した。
物語は俺の理想の世界となり、逃げ場なり、居場所となった。
原稿用紙は無限に広げるワンダーランドへと変化したのだ。
その広がり方はコピー機だって驚くほど手早かった。同時にその質に関しては、ドブネズミもゲロを吐きかねないものだったろう。
そんなゲロまみれなワンダーランドの主人公が、先ほど拳銃を構え戦った「黒獅子銃一郎」である。
遺憾ながら中学生時代の山井仲二郎はその名前が好きだったし、改名するならぜひ「黒獅子」という名を名乗りたかった。
昔の話である。今はそうでもない、はず。
とにかく、その黒獅子銃一郎は具現化し、俺の目の前に現れたのだ。理由はそれだけで十分、俺は引き出しを漁る。
四百字詰め原稿用紙五十枚の束が一冊、二冊、十冊とあふれ出てきてた。それほどまでに俺が熱中していた証拠だ。異常な量と言われれば返す言葉も無い。過去のことだ。仕方がない、としか言えない。
その中にある一束目は大きく"LDWT"とフェルトペンで書かれていた。ライトアンドダークネスワールドトゥルーの略称、タイトル名である。
もうこの時点でお腹いっぱいだが耐えよう。俺はこれを開かねばならない。
冒頭では、よくわからない誰かと誰かが普通すぎる会話をしながら登校するという、とにかく退屈なシーンから始まり、先生が出席を取るだけの教室のシーンと校長先生が挨拶するだけの入学式シーンが詰められていた。
内容は無い。平凡な会話文がキャッチボールされ、「これがフィクションの楽しさなのか」と皮肉な感動すら覚える。
そしてようやく、黒獅子銃一郎が現れる。彼は屋上に仁王立ちしながら「やれやれ、退屈なもんだぜ」とセリフを吐きどこかへ飛び去ってしまう。
……俺はこれを見続けなければならないのか。
もう限界に近かったが、俺はページをめくった。するといつの間にか夜になっていて、翼と鎌を持つ天使の女の子が、一般人をいじめているところに黒獅子が現れた。
そして戦う。戦闘シーンは「バーン」と「バキュン」「ギャシャアアアーン」「ジャギィ」の四つの擬音のみで構成され、なにをやっているかはわからない。とにかく、戦っていると言えよう。
要所要所で天使の女の子が「くらえ!」とか「どうだ!」とか言っているものの、何が行われているか知ることができない。鎌を振り回してるのがなんとなく察せられるぐらいだ。
俺はそんな文章に耐えつつ、読み進めると一発の銃声が鳴り響く。どうやら天使は倒されたらしい。あっけない。特に弱点を突くとか意表を突くとかもなく、なんか攻撃がたまたま当たって倒せただけである。
「悪いが俺には目的があるんでね、アバヨ」と言って黒獅子はその場を去った。
いや、お前から出向いて茶々入れた戦闘だろう。ちょっとシチュエーションがおかしい。
ともかく、ひとつわかることがあった。そのシーンの中にあるセリフだ。
「似たような顔してる人間に死なれると夢見が悪いんでね」
黒獅子が俺に向けて言ったこのセリフは原稿にも書かれていた。つまり、俺がさっき体験した光景は再現されていたのだ。
このウスラトンカチにも満たない、自己中心的スカタン、マキグソ誇大妄想小説が現実化している。
俺は原稿用紙を引き出しに戻して覚悟を決める。
見なかったことにしよう、という覚悟だ。つまり……そもそも無かった。
この小説も、さっき起きた現実の出来事も、何も無かったのだ。
そして、仮に現実だったとしても、俺には関係ない話、ということにしよう。できればそうしたい。
黒獅子銃一郎らはワンダーランドの人間で、俺は普通の世界の人間だ。だから関わることもないだろう。
つまり、明日からは日々普通、何も変わらない日常が繰り返されるに違いない。
……そうであってくれ。ワンダーランドの中ならいいが、現実世界であんなドンパチに巻き込まれるのは御免だ。
御免というか、世界がヤバイ。もし全てが現実化しているのなら、LDWTは超能力バトルものなのでビルや町がガッシャンガッシャン壊れていく。しかもそれは俺のせいになる。
やめてくれ。考えたくもない天変地異だ。何の関係ない人達が俺の自己満足妄想で死んでいくなんて、想像するだけで寒気がする。
俺は念じた。明日朝起きれば、何事も無かったかのように太陽が昇るだろう。それと同様に、俺も普通に学校に行くだろう。
そうなってくれ。そうでないと困る……そんな風に念じながら俺の意識は空気となって飛散する。最後はいびきをかきながら寝付いた。
***
そんな願いは学校に行くとすぐ打ち砕かれた。先生から「転入生を紹介する」という一声が出たのだ。
ちなみに昨日に入学式を終えたばかりである。
転校もクソもあるか。その転校処理は入学式の前に終わらせとけよ。しかも高校一年目の二日目だぞ。どこをどうすればこの日程で転入生が誕生するのだ。
だが、その矛盾した現象を補強するかのように、転入生は教室へ入ってきた。
規則正しく一定の歩幅を保ちながら歩いてくる。そして女の子だ。
転校生の風貌は強烈だった。赤い髪を長く揺らし、女性らしさを見せ付けてくる。それはまだいい。
黒いマントを羽織って、背中に麦わら帽子を提げているのも、ファッションとして理解してやってもよい。この高校は言うほど服装にうるさくないし、先生にも許されたのだから今も着ていると予想できる。
左目の上にある三本の引っかき傷が印象的だが、そういう子もいるだろう。
問題はその腰につけている刀だ。何故だ。何故刀を常備しているのだ。日本の法律が適応されていないぞ。おかしいな?
そして、どうも左肩や腕の動きがぎこちない。まるで無いかのようだ。隻腕なのだろうか。それはそれで驚くが、触れないでおくのがマナーかもしれない。
転校生はそのまま一礼し、黒板に名前を書き始める。右腕を使いカタカナで「シャンク・ダルク」と綺麗な縦文字が現れた……あああああいやじゃあああああ!!
間違いなく、その転校生シャンク・ダルクはワンダーランドの住人であり、LDWTの登場人物だった。
「シャンク・ダルクです。よろしくお願いいたします」
シャンクは丁寧に頭を下げ、饒舌な日本語を喋り挨拶した。
金髪のチャラい中村が「すっげー美人じゃーん! しくよろー!」と叫ぶ。そのまま中村の明るさに連れられてクラスは歓迎ムードになったが、俺は素直になれない。
シャンク・ダルクは俺が作った架空のキャラクターであり、そのルーツはひどい。女性ということがカモフラージュになっているが、パクリだ。
左目に三本の引っかき傷。隻腕。刀。赤髪。麦わら帽子。シャンク……パクリだ。大海原に駆け出す海賊冒険漫画のパクリだ。これで性別も同じ男だったらどうなっていたんだ。
名前は偉人ジャンヌ・ダルクを捩った。特徴あるイメージしやすい人物だが、それらの要素は何もシャンクに反映されていない。それはそれでややこしくて、当時の俺がいかに何も考えていないかが思い起こされる。
そして、ワンダーランドLDWTにおけるシャンク・ダルクの扱いはひどい。彼女は主人公黒獅子銃一郎によって一方的に倒されるだけのキャラである。その後は一切登場しない。
彼女は役がない人物、モブキャラクターだ。いったいなぜ、現実にいるのだ。
そう思案しているとシャンク・ダルクが俺の目の前を通り過ぎ、一番後ろの席に座っていく。
一瞬彼女と目があったが、睨み返されてしまった。それは怒りというより、疑いの感情を思わせる視線だった。
なにが、どうなっているか、わからない……
昨日の出来事が、一瞬の夢でないことは確かだ。ワンダーランドの具現化は続いている。
シャンク・ダルクの登場は具現化の確固たる証拠として、十分すぎるだろう。
何故だ。何故LDWTが現実化しているんだ。
「ねえ、あの子かっこよくない?」
たまたま隣に座っていた女子生徒が、一声かけてくれた。あたふたする。どう返事すればいいか、わからない。女子高生と何を話せばよいのだ。
俺は困惑し続けた。
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