第29話 ヨーロッパ風

「いや、これは驚いた……」

 畦道あぜみちを進んでいるときは、ただただ田園風景が広がるばかりのディープなカントリーサイドだと思っていたわけだが、その中に忽然こつぜんと現れたのは垢抜けた様子の施設群だった。


 まるでヨーロッパのようだ。

 行ったことはないのだが……


 まだ見ぬ欧州の街を彷彿とさせる石畳の広場を中心に、近代的な店舗や工場などが適度な間隔もって配置されており、来場者はその間を自由に散策出来るようになっている。


 エリア内の建物やサイン類は、色味を抑えたシンプルかつ洗練されたデザインで統一され、里山の景観に馴染ませようという企業の配慮が感じられる。


 クライアントのWEBサイトを事前にチェックして来たのだが、この施設については数行の文字による紹介しかなかったため、ここまで立派なものだとは知らなかった。


 畦道から敷地内を眺めながら感心する私を横目に、ママミはガッポガッポと長靴を鳴らして敷地の隅に向かっていく。


 その迷いのない歩みについて行くと、水道の蛇口が幾つか並んだ場所に着いた。


「ここで足を洗いますぅ」

 ママミは勝手知ったると言う様子で蛇口を捻ると長靴を洗い始めた。


『足洗い場~ご自由にお使い下さい~』と書かれている。

 来訪者が野山を歩いた後に、靴の汚れを落とす為の場所のようだ。私もママミの隣で靴底に着いた土を洗い落とす。


「ササヤマはさすがに慣れているな、何回ぐらい来たことがあるんだ?」

「? んー、忘れちゃいました。毎年来ているんで」


「毎年!? そんなに好きなのか? ここのお菓子」


「ダーイスキです!! それに、うちの両親もここのお菓子が好きなので、小さい頃からよく連れてきてもらいました」


 あぁ、このファミリー……家族旅行の行き先が山奥の菓子屋とか。

 やはり、何というか少し……

 だが、先方にアピールするにはいいエピソードだ。


「ササヤマ。その話、使えると思うぞ」


「ンフフゥ、そ・の・つ・も・り・ですよぉ」


 ママミは残念なところも多々見受けられるが、基本的にハイスペックで仕事もできる。クライアントへのアピールの仕方も心得たものだ。

 それにしても、このドヤ顔、何とかならないものだろうか。


「でも……」

 ん? なんだ? ママミが珍しく難しい顔になる。


「どうした? 何か問題でも?」

「でも、すっごく気になることがあるんです! 先輩! 早く確認しに行きましょう!」


 踵の低いパンプスに履き替えたママミは、長靴を収めた手提げと打ち合わせ用資料の入った鞄バッグを両の小脇に抱えて、欧州風の街並みに駆け出した。


 慌ててママミを追いかけながら観察したところ、山里のヨーロッパは、屋敷、工場、店舗、食堂と日本庭園の五つの施設からなっており、ちょっとしたテーマパークのようである。


 平日の午前中ということもあるのだろうが来場者はまばらで、見える範囲で四、五人ほどだ。まあ、都会から遠く離れたこのロケーションを考えれば、健闘していると言えなくもない。


 それらの来場者の足は車かバスである。

 この施設へのアクセスが、我々の通ってきた畦道しかないかといえば、決してそんなことはない。


 そもそも製品の出荷にはトラックが必要な訳で、そのため、ここから付近の国道までの道路は整備されており、来場も車で来る方が断然楽なのだ。


 私たちのように田んぼの中から歩いて登場する客は、少数派というか、ほとんどいない。変わり者もいいところだろう。

 だか、我々は敢えて畦道の行軍を選んだ。



◇◇◇



 昨日の『依頼緊急対策会議』の後、さっそく出張に向けて乗車券の手配をしようとしていた私に、ママミはストップをかけた。


「ププッ……先輩は車を使う気ですかぁ? 素人さんですねぇ」


「ほぉ? やけにあおるじゃないか、ササヤマ。じゃあ車を使ってはいけない理由を言ってみろ……というか、ここ、車を使わずに辿たどり着けるのか?」


 ママミの主張するルートは、確かに最寄り駅から最短コースではあるものの、グ〇グルマップ上に存在しなかった。

 あの、路地裏までくまなく網羅するグーグ〇マップに道が載っていないということは、とりもなおさず人の通る場所ではないと言うことだ。


 私の問いかけに一つ頷いたママミは、大きく息を吸い込むと、有名ボーカロイドの激唱よろしく超高速で一気に語り出した。


「今回の標的ターゲットは創立350周年記念のイベント企画のアイデアを期待しており、当然自分たちのことをよく知っているパートナーを選定の条件とします。では、相談を持ち掛けてきた稲穂堂いなほどうさんはどのような会社かと言えば、古くは江戸時代の初期より続く和菓子の老舗で、その名が示す通り米や米粉を使った素朴な和菓子作りに端を発しており、いまでこそ洋菓子のテイストを加味した新商品も販売してはいるものの、その歴史を語る上で忘れてはならないルーツは、初代から受け継がれてきた米作りにあります。今回私が提案する徒歩ルートは、クライアントのブランドイメージの根幹をなす伝統の源泉たる米作りの舞台を、自らの足で感じとるという顧客理解の一歩としての意味合いを持ち、また、このルートでの訪問は顧客の心情にアピールする効果が期待できるのです。そして何より……」


 ママミはここで息を継ぐと、唖然とした様子を眼鏡のずり落ちるさまで表現しているザ・昭和の課長に向き直り静かに言った。


「このルートは自動車に乗り継ぐ経路に比べ、交通費が一人当たり3500円安くなりますぅ……」


「――うん、いいね。それでよろしく」

 課長は、クイッと眼鏡を押し上げると満足げに言った。



◇◇◇



 とは言え、来場者のほぼ百パーセントは車を使う。

 私はママミの後を追いながら、正門の外に広がる駐車場にチラリと目をやり、そのキャパシティを推定する。

 バスが三台に自家用車が五十台と言ったところか……


 あれ? 前を走るママミの姿が消えた。

 どこに行った? 本当にすばしっこい……


「先輩! こっちですよぉ」


 声の方を振り返ると、大きな建物の入り口の前で、ママミが長靴の入った手提げ袋を振り回している。危うく通り過ぎるところだった。


「先輩! 早く早く! 冷めちゃいますよぉ」

 なんだ? 何が冷めるんだ?

 いつになく真剣なママミの表情に、思わず早足で駆け戻る。


「何が冷めるって? ん? なんだここは……」


 ママミが指さす看板にはこう書かれていた。

 『生産施設見学コース(出来立てお菓子が試食できるよ♡)』

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