第28話 長靴リンドバーグ

「牛さんですよ! 先輩! ほらっ、モーって言ってます!」


「あぁ、牛だな……」


 私はいまママミとあぜ道にいる。

 畦道……そう、田んぼの間にある細い未舗装路だ。少し泥濘ぬかるんでいたりもする。


 四月のうららかな陽気に、天高く雲雀ヒバリさえずり、地には牛がモーと鳴く。


 足元に目をやれば、春の陽気に目覚めて萌える草花が、決して高価ではないがそれほど安いというわけでもない私のビジネスシューズを、くるぶしの辺りまで覆い隠している。


 牛がいれば当然その阻喪そそうも道端に落ちているわけで、新緑の中の地雷を慎重に避けながら、長閑のどかな中にもほのかな緊張感をはらんだ行進が続く。


「ササヤマ、おまえ今日の行き先を知っていると言わなかったか?」


「ふぇ? 知っていますよぉ」


 いつもながらの呑気のんきな返事が戻ってくるが、ママミは空の雲雀を目で追うのに忙しそうだ。大きく口を開けて天を仰いでいる。

 私もつられて見上げてみるが、声はすれども姿は見えない。


 視線を落として辺りを見渡すものの、広がる田畑とそれを挟むように迫る小高い山、その遠く背後に連なる冠雪した山脈が目に入るばかりで、目的地らしきものは見当たらない。


 東京から新幹線とローカル線を乗り継いで三時間余り。

 これだけでも随分と遠くに来てしまった感はあるのだが、さらにそのローカル線の駅、改札のない無人駅から歩いて一時間、これでもかと言わんばかりの本格的な田園風景の真ん中にぽつんと取り残されているという状況だ。


 幸いなことに、昼一の会議迄にはまだ時間はある。

 私は時計を確認し終えると、本日のミッションを頭の中で反芻はんすうする。

 今日の目的地は、この地に古くからある郷土菓子の老舗だ。


◇◇◇


 昨日、課に一つの依頼が飛び込んできた。

 正確に言えば依頼の一歩手前、問い合わせの段階なのだが、それでも滅多にない好機である。その上、相手が名高い銘菓を作っている由緒正しい製菓会社ということで、わが社の営業陣は色めき立った。


 何としてでもこのチャンスをモノにしなければならない。

 電話を取った私は、すぐさま先方の都合を確認し、最速での打ち合わせ日程を押さえた。それが、本日の十三時という訳だ。


 では、なぜママミが同行しているのか?

 その理由は、『依頼緊急対策会議』におけるママミの発言にあった。


「ダーイスキです!! そこのお菓子」

 課の一同は、この真っすぐなセリフとママミが見せた底抜けの笑顔のコンボが強力な武器になると考えたのだ。

 さらにママミは続けた。

「本店まで行ったことありますよぉ」


 皆が顔を見合わせる。

 課長が大きく頷いた。

 決まりだ。


 受注前の打ち合わせと言うこともあり、当初は私一人で先方に伺う予定であったが、ママミを菓子の熱狂的ファン兼道案内として訪問メンバーに加えることになった。二人で訪問することで当社のやる気をアピールすることもできる一石二鳥の妙案だと、この時は思えたのだ。


◇◇◇


「ササヤマ、で、それはどこにあるんだ? 見当たらないんだが……」


「こっちです!」

 ママミはそう言うが早いか、田んぼの中に走りこんだ。


 水田とは言ってもこの時期はまだ水は引かれておらず、一面にレンゲの花が咲き乱れている。


 その中を、スマートなスーツ姿に長靴をコーディネートしたママミがガッポガッポと進んでいく。そう、長靴だ。


 今朝、新幹線のホームに現れたママミは、打ち合わせ資料の入ったバッグとは別に手提げ袋を持っていた。


 ママミのことなので何を持ってこようと驚きはしないが、その中身が長靴だったという訳だ。


 無人駅を降りたところでおもむろに長靴に履き替えると、ママミは生い茂る草や隠れた牛糞をものともせず畦道を進み出し、私はその後ろをおっかなびっくり追いかけて今に至る。


 ママミのやつ、この準備万端な様子をみるに、目的地を知っていると言うのはどうやら本当のことらしいが……

 

 駆けだしたママミに後れを取らないよう追いかけていると、突然ママミが足を止めてこちらに振り返り、ちょいちょいと手招きをする。


「そこです……」

 ママミの視線は二メートルほど先の地面に向けられているが、私の目に映るのは春風にそよぐレンゲの花ばかりだ。


「えっ? どこ? ……って何の話だ? 目的地の話をしているんだぞ?」


「そこですよぉ、ほら、ヒバリの巣」


 ヒバリの巣……そうか、そうだよな。ママミだもの。

 身体中の力が抜けて項垂うなだれた視線の先、草の合間に枯草が丸く敷き詰められた窪みが見えた。広口ひろくちのティーカップほどの大きさだ。


「おぉ、卵があるぞ! 三つ」

 思わず声に出してしまった。


「ヒバリの親はですねぇ、巣の場所がバレないように少し離れたところに降りるんです。でも、そこからぴょんぴょんって跳んで行く先を探せば巣があるんですよぉ」


 身をかがめて解説するママミはいつにも増して得意気だ。

 誰かからこうして教わったんだろうな……ご両親かな。


 その心底嬉しそうな横顔を見てしまった私は、今夜予定されているママミとケイ君とのお見合いがうまくいくことを願わずにはいられなかった。


 そのためにも今日の仕事は成功裏に終わらせて、ママミを早く東京に戻してやろう。

 その方がモモさんも安心するだろうし。

 

 しばらく巣を観察した後、ママミは満足したのか、巣を遠巻きに迂回して、再びレンゲの中を進み始めた。


 そして、それからまたしばらくの間ガッポガッポと長靴を鳴らしていたママミは、突然立ち止まると山の方を指さした。


「翼よ、あれが巴里パリの灯だ!」

 ママミの指す先には、いつの間にか山の陰から姿を現した建物が見えていた。


「よくやった、長靴リンドバーグ! それにしても、随分と緑の深い巴里だな……」

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