第26話 運命の赤い……ロープ?

 それは兆しと言うにはあまりにもあからさまで、誰が見ても一目瞭然な現象だった。


 ママミが固まっている。

 両のまなこを極限まで見開き、その見つめる先には一枚の写真があった。



◇◇◇



 駅の改札を出た辺りからママミの様子が少しおかしかった。


 こんな風に言うと、普段はまともであるかのように聞こえてしまうので誤解のないように言い直そう。ママミの様子がいつもと違うベクトルでおかしかった。


 モモさんの家を知らないはずのママミが、トットコと私を先導して進みはじめたのだ。まるで何かに引き寄せられるように。


 いつもであれば、目に入るありとあらゆるものに興味、関心を寄せて、ふらりふらりと寄り道に寄り道を重ねて歩くママミが、駅前の名物店舗『カラアゲぱらだいす』の黄色いド派手な看板や、老舗ケーキ店『きのこの里』の味わい溢れるレトロなショーケースに見向きもせず素通りしたのだ。


 ママミが引っかかるのを見越して、モモさんへの手土産は人気の『カラットカラアゲ』か『ビックリエクレア』のどちらかをと考えていたのだが、予想外のスルーで土産を買い損ねるところだった。


 モモさんの家に真っ直ぐ向かうママミを目の端で捉えながら、大急ぎで『ビックリエクレア』を6個買い求め、後を追う。


「ササヤマ、お前どうしてモモさんの家を知っているんだ?」

 私は小走り気味にママミに追いつくと、少し歩みの速度を落とそうと問いかけてみた。


「ふぇ? どうして知っているんでしょうか?」

 ママミはハタと立ち止まりこちらに訊ねるが、訊いているのはこちらである。私にわかるわけがなかろう。そんな私の表情を一瞥すると、ママミは何事もなかったかのように再び歩み始めた。


 原因はおそらく、と言うか間違いなく神さまだ。ママミもククリさまの縁に巻き込まれたと言うことだろう。私は湧き上がる不安を無理やり好奇心で包み隠して成り行きを見守ることにした。


 ほどなく、導かれるようにモモさんの家に到着した我々は、門前で呼吸と身だしなみを整える。

「ササヤマ、わかっているだろうが失礼のないようにな、頼むぞ」


 ママミは黙ってコクリと頷いた。

 妙にしおらしい……悪い予感しかしない。


「お待ちしていました! どうぞお上がりください」

 呼び鈴を鳴らすと、エプロンにつっかけ姿のモモさんが笑顔で迎えてくれた。

 若妻風……ツボを押さえたその姿に思わず心がときめいてしまう。


「お姉さま、この度は突然のお願い事でご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません」


 惚ける私を横目に、ママミはクルミちゃんの入ったバッグをそっと下ろすと、腰の前で両手を柔らかく重ね、それはそれは優雅なお辞儀を披露した。


 どこに出しても恥ずかしくない立派な挨拶だ。ママミはこれだから侮れない。


 しかし、ちょっと待てよ。モモさんのことをなんて呼んだ? お姉さまだと? 確かにモモさんはママミより一つ年上だが、それにしてもお姉さまはなかろう。


 ママミのやつ、いったいどういう了見だ……そういえばこのあいだ会社でモモさんの弟さんがどうとか言っていたが、まさか……


 モモさんもその呼び方が少し引っ掛かったのだろう、返事にほんの少しのタイムラグが生じたが、それでもにこやかに言葉を返してあげているあたりは流石だ。


「ママミさん、そんなにかしこまらないでください。私もワンちゃんに会いたかったから嬉しいんですよ」


「そう言っていただけると……でもお姉さま、もはや只のワンちゃんではありませんのよ、クルミちゃんです! オホホホ」


 またお姉さまときたか……間違いない、弟さんをロックオンしたようだ。それにしてもオホホホってなんだよ。


 教育主任だからよく知っているのだが、ママミの集中力はハンパではない。何か目標を見つければ、わき目も振らずまっしぐらに突き進む。

 これは素晴らしい才能だ。

 ただし、方向性を間違わなければの話だ……

 ちなみに、ママミの干支を確かめてみたが亥年生まれではなかった。


 ターゲットを見つけたママミを止めることは誰にもできない。しかし慌てることはない、まだ許容範囲だ。私はママミの本格的な暴走に備えて、いつでも羽交い絞めができる位置取りで状況を観測する。


「クルミちゃん? まぁ素敵な名前! ママミさんが名付け親?」

 モモさんは、ククリさまの使徒であるクルミノトが、クルミと名付けられたことに神さまの導きを感じ取ったのだろう、私に視線を送るとニコリと微笑んだ。


 私は一つ小さく頷いて同意を示す。 


「はい、私が名付けました」

 ママミは笑顔で答えると、カバンの中に大人しく収まるクルミちゃんを優しくかかえ上げて、モモさんの眼前にそのお腹を向けた。


「元気な男の子なので」


 ママミの無垢な笑顔に目がくらむ。

 まさかの下ネタ由来とは……神さまのせっかくの苦労が……なんだか申し訳ない気持ちで心が一杯だ。


 これにはさすがのモモさんも絶句だろうと、モモさんの方を見ると……

「まぁ、カワイイ! (*´艸`*)」

 なんと、満面の笑みだ。


「ですよねぇ! (*´艸`*)」

 ママミが我が意を得たりと微笑み返す。


 危ないところだった……

 もしもママミが捻りを利かさずストレートに名前をつけていたら、犬なのにタマという古典ギャグを体現する命名になっていただろう……


 究極の結果オーライに助けられたクルミちゃんは、その状況が分かっているのやらいないのやら、ママミの腕の中で例のごとく自慢の尻尾をフル回転させている。手を離せばどこかへ飛んで行ってしまいそうな勢いだ。


 あれっ? 私は目をこすった。

 この時、クルミちゃんの尻尾がポッと光り、笑顔で向かい合う二人の間に何か光の筋のようなものがつながったように見えたのだ。

――気のせいだったのか?


 それにしても、仔犬のタマタマは淑女の会話の許容範囲なのだろうか? うちの妹にそんな話を振ろうものなら、即座に話題の局所を蹴っ飛ばされそうな気がするが……モモさんとの会話のレパートリー候補として心に留め置くとしよう。


「まぁ、玄関口で(そのような話題)はなんですので、まずは中で話されてはどうですか? はは、ははっ」

 ただ一人焦る私は、自分の家でもないのに中に二人を引き込みつつ、先に上がり込んでしまった。

 そんな私をタチバナファミリーの先輩、犬のダイダイと猫のカリンが優しく迎え入れてくれる。


「まぁ、賑やかね。早くお上がりなさいな」

 騒ぎを聞きつけたキクさんの手招きでようやくその場が落ち着いた。



◇◇◇



「こちらは会社の後輩のササヤマです。本日は例の仔犬の件でお願いがありまして……」

 リビングで手土産のビックリエクレアを手渡しながら、キクさんにママミを紹介する。


「はじめまして、ササヤマ・マミです。本日は突然押しかけてしまい申し訳ございません。クルミちゃん……仔犬を二日間預かっていただきたくてお願いに参りました」


「あらあら、綺麗なお嬢さんねぇ。ようこそいらっしゃいましたササヤマさん、話は聞いていますよ。モモの祖母、キクです。さぁ、おかけになって楽にしてください。それと、シンさん、お土産なんて気を遣っちゃって……あら、ビックリエクレア! 好きなのよこれ。遠慮なくいただいちゃいますよ、後でみんなで食べましょう」


「あの……そのお写真を拝見してもよろしいでしょうか……」

 一通り挨拶を終えたところで、ママミは勧められたソファに座ることも無く、棚に置かれた家族写真を見つめながらその前まで移動してしまった。


 ――なんと、これが縁というやつなのか?

 モモさんを見ると、モモさんも何か言いたげにこちらを見ている。

 きっと同じものが見えているのだろう。

 モモさんに近づいて確認してみる。


「モモさん、見えてる? すごいよね、これ」

「はい、見えてます……でも、これほどまでとは……」


 二人の視線の先には、家族写真の一点を凝視したまま固まるママミの姿があった。


 運命の赤い糸という言葉は聞いたことがある。

 しかしこれは…… 


 マンガなどで主人公が敵につかまって拘束されるシーンがたまにあるが、目の前のママミはまさにその状態である。

 マンガ巻き? と言えばよいのだろうか、全身を赤いロープでこれでもかと言わんばかりにぐるぐる巻きにされていた。


 一見すると禍々まがまがしささえ感じられる強烈な巻き具合である。

 ククリさまもマンガ巻きがかもし出す剣呑けんのんなイメージを気にはされているようで、それを払拭ふっしょくしようとしたのであろうか、腰の後ろにはかわいらしい蝶々結びが一つあしらわれていた。


 だが、いかんせんロープである。

 しかも太い。

 この感じ、どこかで見たことがあるな……

 あっ、そうか、横綱が土俵入りで着けるしめ縄だ。その結び目に似ている。

 可愛さを演出しようとして、力士の猛々しさを加味してしまっている。

 

 この取って付けたような気遣いが余計に傷口を広げていることに神さまは気が付いていないらしい。


 そのちぐはぐな様子に思わず吹き出しそうになるのを堪えて、見るからに丈夫そうなロープの先をたどると、写真の中の一人につながっている。


 モモさんの隣に写るその人物は、大学院で民俗学を研究しているという弟さんだ。ボサボサ頭で目が完全に隠れてしまっているが、口元に浮かぶはにかんだ微笑みからは優しさがにじみ出ている。

 その笑顔は、赤いロープでマンガ巻きにされた自分の様子に照れているようにも見えた。

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