第三章 ママミ 縁結び編(その一)

第25話 ブランチ オフィス開設?

「すっごいんですよ! うちのクルミちゃん!」


 翌朝、いつもより早めに出社してきたママミが興奮した様子で話しかけてきた。


「まぁ、落ち着け。まずは鏡を見てからにしたらどうだ?」

 こいつ、朝はパン派だな。


 ママミは頭の上に「?」を浮かべながら手に下げていた大きな荷物をそっと机の下に置くと、ガサゴソとショルダーバッグから取り出した鏡を覗き込む。


 しばらく自分と睨めっこをしていたが、ようやく気がついたのかニコリと笑うと、頬に付いたマーマレードだかジャムだかを指で撫で取ってペロリと舐めた。


「うちのクルミちゃんてば、すっごいんですって!!」


 スルーか……

 ママミは何食わぬ顔で話を続ける。そういうやつだ。


 うちの妹なら「モゥ~ヤダ、バカアニキ!!」と、照れ隠しで八つ当たりしてみせたりするところだが……


「で、クルミちゃんって誰だ?」

 昨日ママミが連れて帰ったお使いさまのことだとは分かっていたが、教育主任としては正確な情報伝達の重要性を説かねばならない。私はあえて訊き返した。


 それにしてもクルミちゃんと名付けたか……ママミは仔犬の正体を知らないし、その名がクルミノトだということも当然知らない。にもかかわらず、本名に近いクルミという名前を付けた。これは神さまの誘導によるものだろう。

 私は、昨夜ママミが満面の笑みで抱えて帰った『くるみゆべし』と書かれた箱を思い出していた。


「クルミちゃんですよー、先輩、もうお知り合いですよー」


「質問への回答は的確に」


「忘れちゃったんですかぁ……」

 ママミは、しょうがないなぁとでも言いたげな様子で机の下のバッグを開けて見せた。


「……」

 つぶらな瞳と目が合う。まさかとは思ったが、ママミを甘く見過ぎていたようだ。


「おまっ……」


「しっ!」

 ママミが人差し指を立てて左右を確認する。


「先輩、会社に犬なんて連れてきたらどうなるか分かってるんですか?」

 ママミが声を潜めて詰め寄る。


「いや、それこっちのセリフだよな」

 これはまずいことになった。小声でツッコミを入れる様子が、もう既に共犯者のそれだ。


「今日から三日だけです、家族が急な用事で留守になっちゃって」

 ママミが真顔でささやく。


 はめられた……この事態が明るみに出れば、教育主任としての責を問われるのは間違いない。となると、不本意ではあるがママミに協力して乗り切るしかない。


「今日、一日だけだ」

 残りの二日はモモさんの家を頼るしかない……


彼女モモさん、預かってくれますかぁ?」

 お使いさまの顎の下をくすぐりながらママミが嬉しそうに聞いてきた。

 読まれてる……こいつ、やっぱり確信犯だ。


「モモさんの都合次第だ。後で確認するから、お前はクルミさまを……」

 お使いさまの本当の姿を知っている私は、ついと呼んでしまった。


「やですよぉ、先輩。なんて他人行儀! クルミちゃんです、ちゃん!」

 ママミはお使いさまの顔を優しく両手で挟んでぐにゅぐにゅしている。


 今日一日をどう乗り切ろうかと思い悩む私の頭と、心地よさげに目をつむるお使いさまの尻尾はともにフル回転していた。



◇◇◇



 なんとか乗り切れた……

 仕事帰り、私とママミは地下鉄でモモさんの家に向かっていた。

 お使いさまの件を相談したところ、快く預かってくれることになったのだ。モモさんは先に帰って家で待ってくれている。 


 今日一日の気苦労で疲れ切った私の隣には、ニコニコ顔で大きなバッグを抱えるママミが座っている。


 バッグの中にはクルミちゃんが入っているのだが、駅員さんに確認したところ乗車可能とのことだった。


 それでもほかの乗客に迷惑はかけたくないので少し緊張していたが、余計な心配だったようだ。クルミちゃんはとてもおとなしいので気付く人はいない。


 これがただの犬ならば、職場で間違いなくバレていただろう、狭いオフィスで仔犬の自由な振る舞いを隠し通せるわけがない。


 しかし、そこはさすがに神さまの使徒と言ったところか、こちらの気持ちを汲みとるように気配を消してくれていた、本当にお利口さんだ。


 むしろ気苦労の原因は飼い主の方にあった。

 ママミは、かわいいクルミちゃんが気になって仕方がないらしく、十分毎にゴソゴソと机の下に頭を突っ込んでは、お使いさまを撫で回していた。本当に何というか……残念な感じだ、教育主任の顔が見てみたい。


 ただ、幸いと言っていいのかは迷うとこではあるが、ママミの怪しい行動を目にするたびに肝を冷やしていた自分とは違い、課の中にはそれを不審がる者が誰一人としていなかった。


 それはママミの日頃の行いのせいだろう……彼女の奇行は、我が課の日常の一部となっていると言うことだ。不憫な後輩に思わずため息が漏れてしまう。


「先輩、ため息ですかぁ? 幸せが逃げちゃいますよぉ」


「――あぁ、そうだな、気をつけるよ」

 私は、誰のせいだよという言葉と、もう一度出そうになったため息をぐっとこらえた。これ以上引きずりたくないし、幸せも逃がしたくない。


「ところで、ママミ。クルミちゃんが凄いとかなんとか言ってなかったか?」


「あっ、そうでした、忘れてました! クルミちゃん凄いんですよ!」


「だから、何がどう凄いんだ?」


「お手とおチンチンが出来るんです!」


 なんだ、ただのかいぬしバカか……というか、を付けちゃダメだろ、それ。慌てて周りを見回すが、誰にも聞かれてはいなかったようだ。


 このまま誤りを正さないでいると、いつかどこかで大恥をかくことになるだろうが、その程度でダメージを受けるほどママミのハートはもろくない。ということで、疲れ果てていた私は、この場で間違いを指摘する気にはなれなかった。


 お手にチンチンか、まぁ、仔犬にしてはよくやる方かもしれないが、それしきのことがお使いさまに出来ないはずはない。おそらくは付き合いでやってくれているのだろう。


 『凄い』と聞いた時には、お使いさまが本来の力を見せたのかと思ったが……神さまはママミとその家族を、自身のアクティヴィティーに巻き込む気はないということだろうか。


 私は、昨夜の神さまの言葉を思い返していた。

「クルミノトか? 本業に戻るに当たりブランチ オフィスを開設しようと思うてな、まぁ、言うなれば、あれは支店長だ」


「支店長ですか……と言うことは、ブラ……支店の従業員はササヤマ家の面々と言うことですか」


「まぁ、それは様子を見ながら考える。うちの従業員には資質が必要だからな、誰にでも務まるというものではない。だが、あの一族であれば……」

 モモさんの姿をした神さまは、顎に手を当てながらニヤリと笑った。


「先輩? 考え事ですか?」

「あぁ、ちょっとな……そうか、クルミちゃんは芸ができるのか。で、他には何か変わったことはなかったか?」

 

「変わったことですか? あっ、そういえばクルミちゃん、自分でおトイレが出来るんです!」


「ほぅ、それは賢いな。ちゃんとトイレシーツの上でするのか」


「トイレシーツ? いいえ、おトイレですよ? 自分でお水も流します」


「ん? トイレ? 自分で水を流す?」


「はい、そうですよ? いつの間にかトイレの中に入ってて、ジャーって音が聞こえます」


「えっ? どうやって?」


「んー、分からないです、人のおトイレを覗く趣味はありませから。でも、うちの両親もクルミちゃんかしこーい! って褒めてますよ」


 クルミノトは自分の能力を隠していた訳ではないらしい。

 ササヤマ家の面々が気付いていないだけだ。


 ササヤマ家……

 この不思議許容力、支店従業員の資格十分ではないだろうか。


 私は神さまの意味ありげな笑顔を思い浮かべ、採用の内定を確信した。


「ササヤマ家の皆さん、ようこそ、神さまのまします世界に」

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