第21話 お説教はご褒美
先程までの地獄絵図がまるでウソのように、拝殿は盛り上がっていた。
業火の中で今にも命が尽きる寸前だった者たちが、一転して新しい命の誕生を迎えようとしているのだ、しかも、神社での出産という禁忌? に対して、神さま直々のお許しも出た。
深い絶望の中に沈み切った心が底を打ち、その反動で一気に浮上する。
妊婦を励ます者、布団を敷く者、衝立を運ぶ者、タライを用意する者、衣服を裂いて布切れを作る者、ただ右往左往する者……
空気人間の私は、慌ただしい皆の間をすり抜けながら、その動きを追い、声を聞き、先程までとは異なる熱気を感じていた。
そのとき、突然、視界がブレた。
かと思うと、部屋の中の様子が早送りのように高速で動き出し、音が消える。まるでタイムラプス映像だ。
呆気に取られてその様子を眺めていたが、その中で、神さまの姿だけは相変わらず、悠然と宙に浮び、皆の動きを眺めている。
どうやら自分は、神さまと同じ時間の流れの中にいるようだ。
神さまがこちらを見ている?
自分は空気人間、見えないはずだが……
いや、気のせいではない、やはり神さまはこちらに気が付いている。
気が付いているどころか、ガン見している……ばっちりと目が合った。
一応確かめてみるか。
「あのぉ、見えていたりします?」
「あたりまえだ。我がお前をここに呼んだのだからな」
神さまは腰に手を当てて、答えた。
(さっきの視線は気のせいじゃなかったんだ)
「……いつも大変お世話になっております。サカキです」
形のない空気の身体ではあるが、私は即座に心の中で姿勢を正すと、仕事で鍛えた上得意様向けのご挨拶スキル、前傾四十五度のお辞儀を披露した。
「知っておる、生暖かい五百円玉一つで
少し刺のある神さまの言葉に、私はモモさんと出会うきっかけとなった願掛けのことを思い出していた。
大奮発とばかりにズボンのポケットから取り出した五百円玉は、確かに人肌に温まっていた。もうかれこれ二か月ほど前の話になるが、その金額なのか生暖かさなのか、またはその両方なのかもしれないが、どうやらあまりお気に召さなかったらしい……
よくわからないが、私は即座に謝ることにした。それにお礼を被せながら『生暖かい五百円玉一つで娘を手に入れた男』という不名誉な呼び名を払拭すべく再度自己紹介を付け加えた。こういう時は躊躇してはいけない。
「その節は失礼いたしました。また、祈願の折には大変お世話になり、誠にありがとうございました。サカキ・シンと申します」
「お前は心得違いをしているようなので一つ言っておく。賽銭が生暖かろうが冷たかろうが、そんなことを気にするほど我は狭量ではない。ましてや賽銭の金額など一切、まったく、これっぽっちも関係な~い!」
神さまが軽く手招きすると、空気の身体が引き寄せられるように神さまの隣に移動する。
今は五十センチ位の背丈に縮んでしまった神さま。側に寄るとその表情がよく見える訳だが、そこに怒りの色はなく、少し顎を上げて私の瞳を覗き込む様子は、むしろ楽しげに見えた。
顔はモモさんなので、思わず見蕩れてしまう、カワイイ……
無言でミニモモククリさまのご尊顔を拝していると、その頬が薄く色付き、表情がニヘラと緩んだ。ほんの一瞬のことだが、そのハジライ三:シアワセ七の顔色を私は見逃しはしない。
眼福眼福。よし、思いっきりその姿を愛でよう、目に焼き付けよう。
「そ、そんなに見るものではない……」
ミニモモククリさまのハジライの比率が五まで上昇した。
照れる様子がますます可愛い。
「お言葉を返すようですが、あまりにも可愛いので仕方ありません。私の愛する人の姿ですので、とことん観させて頂きます。何か問題がございますか」
私は普段、仕事でお客様に接する際にも、言うべきことがある場合は遠慮なくハッキリと伝えることにしている。それが双方の信頼関係を築くことにつながるからだ。
つい、日頃の行いがそのまま出てしまったが、神さま相手には不遜な態度だったかも知れない……まぁ、お客様は神さまというし、同じ対応でいいか。
「お前は、神の前でも遠慮せず好き放題言いよる。どこまで面の皮が厚いのだ」
呆れたような口振りだが、神さまの表情は柔らかい。
「よく言われます、なんだかすみません」
「……まぁよい、話を戻すぞ。お前は、あの祈願の時、自分の気持ちを誤魔化したのだ。それが良くないと言うておる」
「といいますと……」
「賽銭の生暖かさを気にしたのは、お前自身だ。覚えておろう」
そういえば、あのとき、ふと五百円玉の生暖かさが気になった。
何の根拠もないのだが、ただ何となく、そのまま賽銭箱に入れるのは少し失礼な気がしたのだ。
まぁ、結局はそのまま奉じたのだが、少し心の隅に引っかかっていたのは本当のことだ。
「何度も言うが、
「――はい」
モモさんのお説教……いい。
私は思わず緩む表情を隠すため、うな垂れるように顔を下に向ける。
「それと、昔から勘違いしているものが多いのだが、神に祈願するということは、ただボンヤリと好事を願うことではない。己の立場をわきまえて心を正し、進むべき道を見定めることと心得よ。分かったか」
神さまは腰に手を当てたまま、どうだといった表情でこちらを見ている。
「――はい、わかりました」
ドヤ顔のモモさん、こりゃタマラン。
「わかればよろしい……というか、この姿でいくら説教しても、お前にはご褒美にしかならんようだな、いったいどれだけこの娘に惚れておるのだ」
「神さまがそうさせたのでは?」
「それは違うぞ、我は
神さまは、慌てて両手で口を押えた。
いかにも口を滑らせてしまいましたというポーズだ。
わかりやすすぎる……
「今生と仰いましたか?」
とりあえず、神さまが一番隠したがりそうなキーワードを選んで、訊いてみた。
「ん、何のことだ?」
神さまは、その大きな瞳を斜め上方四十五度に向けつつ、細い顎に人差し指をあてて首を傾げている。
このポーズに名前を付けるとしたら「ザ・シラバックレ」といったところだろうか。これで誤魔化せると思っているのだろうか、ククリさま……やはり天然モノだ。
「いや、いま今生とか、幾世代とか仰いましたよね?」
「はて、そんなことを言ったかの?」
「仰いました」
「――忘れろ……バチ当てるぞ」
「――えっと、何の話でしたか、最近物忘れがひどくなりまして」
バチを当てられては敵わない、ここは大人しく引き下がることにした。状況に応じ素早く攻守を判断する。これも日頃の仕事で身に着けたスキルだ。
「では、本題に入る」
神さまは、私の殊勝な態度に大きく頷くと、コロリと話題を変えた。
傍若無人ここに極まれりといったところだが、まあ仕方がない。
神さまだもの……
それよりも本題って何だろう?
私は次の言葉を待った。
「コホン……我は本日より活動を再開する!」
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