第20話  火の神ではな~い!!

「う、産まれるぅ~」

 女性はその一言を絞り出すと、痛みをこらえるようにお腹を抱え込む。


「お梅ちゃん、大きく息をするんだよ、お腹で息を、陣痛が楽になるよ。多恵さん、手伝ってちょうだい。あんた! お湯とタライ! それと布っ切れをありったけ持ってきて! 男共は離れて! 衝立ついたてで囲うのよ」


 どうやら妊婦が産気づいたらしい。すると、一人のおばさんが前に出てきて、てきぱきと周りに指示を出し始めた。産婆さんだろうか。


 しかし、ここは空襲に追い立てられて着の身着のままで逃げ込んだ神社の拝殿、お湯もタライも布切れも衝立も見当たらず、指示を受けた皆はオロオロとするばかりであった。


「ち、ちょっと待て! シラフジョウだ! ここで出産はいかん」

 そんな中で鈴木さんが思い出したように言いだした。

 その言葉に皆の動きが固まる。

 

 なんだ? シラフジョウって……

 空気人間の私は、その言葉の意味を誰かに訊ねることもできず、ましてやググることなど叶わず、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、成り行きを見守っていた。


「シラフジョウってなぁに?」

 その時、動きの止まった大人たちの足元から、小さな女の子が顔を出して訊ねた。


 よくぞ訊いてくれた! 空気人間の私は、膝をポンと一つ叩く仕草、エア膝叩きをして解説を待った。


「お産はけがれとされていてな、シラフジョウというのだ。人が死ぬことも穢れで、こちらはクロフジョウという。どちらも神社に持ち込んではならんのだよ」


 鈴木さんは、相変わらずの消え入りそうな声で答えた。

 女の子の目の高さに合わせてしゃがみ、丁寧に説明する様子から、人の好さがにじみ出ている。


 しかし、神社から出すということは燃え盛る火の海に放り出すということだ。人の命が掛かっている状況で、不浄だ禁忌だというのは、自分の感覚ではまったく理解できない。


 それほど大切なモノなのだろうか、人の命よりも重いモノなのだろうか? いや、それよりなにより、新しい命が誕生するお産というのは、祝うべき喜ばしいことのはずだ。


「そんなこと言ったって外に放り出すわけにはいかないだろ! ほら、もう生まれそうだ、赤ちゃんは待ってくれないよ! どうすんだい! えっ! このスットコドッコイのトンチキ!」


 私の気持ちを代弁するように、その場を仕切っていた産婆さんが声を荒げる。鈴木さんに噛みつかんばかりの形相だ。


「お、おとらさん、まぁ落ち着いてくださいよ……どうすんだい、っていわれても……ねぇ……どうしよう」

 鈴木さんは産婆さんの剣幕を両手で制しながら後ずさる。

 動きの固まった皆を見回して助け舟を求めるが、そこにはすがる藁さえ見当たらない。

 

 産婆さんの名前、お寅さんっていうんだ……そのマッチ具合にいたく感心していると、とどろく雷鳴のような大声が頭の中に響き渡った。エコー付きで。


「バッカモーン!!! ッカモーン!! カモーン! モーン」


 有名な海鮮一家の長を彷彿とさせる怒鳴り声だ。

 皆の頭の中にも響いたのだろう、鈴木さんなどは、気を付けの状態でつま先を上げ、両手のひらを左右に開いてヒッ! と飛び上がっている。

 そうそう、この怒鳴り声にはそのポーズがしっくりくる。


「お前たちにはガッカリだ! ガーッカリ!!」

 声の方を見ると、ククリさまが腰に手を当てて頬を膨らませていた。

 かなりご立腹の様子だが、身体は小さいし姿はモモさんだし……

 ただただ可愛いばかりだ。


 しかし、叱られている皆はただ、しょんぼりとうな垂れていた。

 産気づいていた梅さんはと見ると、今は少し落ち着いているようで、ご主人に腰の辺りを擦ってもらいながら、神さまの言葉にしきりと頷いている。


「確かに産の忌を受け付けぬ神は多いが、我はそうではない! お前たちは我を何の神だと思うておるのだ? 毎度まいど火事の時ばかり呼び出しおって……我は火の神ではな~い!! 火のことならカグツチかヘスティアあたりに頼むのが筋であろう! 我は結びの神であるぞ! 子は結びの実りではないか!」


 怒りのあまりなのか、異国の神様の名前まで出てきた……

 案外ネットワークがあるのかも。


 と、ここまで一気にまくし立てたククリさまは、先程までのお怒りモードが嘘のような穏やかな表情で、梅さんに語り掛けた。

「ウメや、安心して元気な子を産むがよい」


「もったいないお言葉……ククリさま、ありがとうございます、ありがとうございます」

 梅さんとそのご主人は二人で仲睦まじく頭を下げている。


 ミニモモククリさまは、その様子に目を細めると、次は産婆さんへと声を掛けた。

「クマや、入用のものは本殿の倉庫にある奉納品を使うがよい。大抵のものは揃っておる。湯はツツミノトとクルミノトに用意をさせよう」


 その場にいた皆は心の中で叫んだ。

「クマじゃない! トラですっっっ!!!」


 だが、だれ一人としてそれを口に出すものはいなかった。

 それはそうだろう、相手は神さまだ、神さまの仰ることが正なのだ。

 今後、産婆のお寅さんは、お熊さんと呼ばれるようになるだろう。


 天然ミニモモククリさまは、何というか、神さまらしい大らかさで、そんな些細な間違いを気に留めることも無く、片手を突き上げ、ご機嫌な様子で宣言した。


「いざ、出産!!」

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