第19話 ツツミノト、クルミノト
モモさんに似た神さま……いや、神さまにジョブチェンジしたモモさんか? どちらかは分からないが、そのモモククリさまが一瞬私の方に目を向けてニコリと笑みを溢したように思えた。
軽く手をあげて答えようとしたが……おぉ、手が無い! そうだった、今の自分は透明人間だった。
こちらの姿は見えないだろう、とすると、さっきのアイコンタクトは気のせいか。私は上げかけた見えない手をそっと下ろして、ククリさまの姿を追いかけた。
「ツツミノトよ、クルミノトよ参れ」
ククリさまが両手のひらを上に向けて胸の前に差し出す。
すると、蝋燭の火がフワリと大きく膨らんだかと思うと、片手の上に移り、もう一方の手には祭壇の水差しからするりと浮かび上がった水が玉のように揺れている。
ククリさまはそれらにフッと息を吹きかけた。
すると、両手の上で踊っていた火と水は、ぐるぐると回りながら、そのそれぞれが大きな犬、いやオオカミだろうかの姿に変わり、ククリさまの前で行儀よくお座りをした。
うん、立派な使徒だ。
座っていても、その頭はククリさまよりも高く、逆巻く炎と水を身に纏うその凛々しい姿は、まさに伝書に描かれていたお使いさまそのもので、コロコロの仔犬ではなかったことに心底安心した。
二頭もいるし。
「ツツミノトよ火を払え、クルミノトよ水を放て」
ククリさまが命じると、二頭は静かに低頭し、拝殿の入口に向かう。さすがは使徒だ、その姿からは知性と品格が溢れ出ている。
扉がゆっくりと開いていく。
拝殿の外には、まるで地獄絵図のような光景が広がっていた。
神社を囲む炎の、照り返しを受けて紅く染まる境内は、狂ったように立ち昇る陽炎の中で酷く歪み、熱風が激しく吹き荒ぶ。
辛うじて延焼は免れているが、熱風は容赦なく境内の木々を炙り、その全てを焼き尽くそうとしている。このままではコンベックオーブンよろしくこんがりと仕上がってしまう。
その様子を目にした皆は、顔を熱から庇うように手で覆い隠して後ずさりし、ククリさまの名前を唱える声により一層の念を込めた。
ヒュツ!
扉が開ききると、それが合図であったかのように二頭の眷属が目にも止まらぬ速さで飛び出し、宙を舞うように境内を駆け巡る。
すると、どうだろう、先程まで神社を囲んで燃え盛っていた炎は遠ざかり、熱風もすっかり勢いが衰えてきた。
炎の眷属が火をコントロールしているのだろう。その能力に感心していると、次は大量の水が空から降ってきた。
それはまさしく、バケツをひっくり返したようなと言う表現がピッタリな様子で、木々や地面を水で潤し、一気に境内の温度を押し下げた。
神社の周りでは、火の侵入を食い止めていた木々から激しい水蒸気が上がり、焦げた箇所を癒すように清涼な水が木肌を覆って流れ落ちる。
「我が子らよ、もう安心してよいぞ」
使徒達の働きに目を奪われていた皆は、
ククリさまの声に振り返ると、目を見張った。
女神さまは両手を腰に当てて最大限にそっくり返っている。
しかし、その見事なドヤ顔とは裏腹に、背丈は半分程に縮んでいた。
「だ、大丈夫ですか、ククリさま……」
先ほどククリさまの名前を言い当てたお年寄りが、恐るおそる小声で尋ねる。
「ん? おまえはスズキのこせがれか、誰に物を言うておる。大丈夫に決まっておろうが」
「は、はい、す、鈴木です。よくご存じで……」
「皆のことは良く知っておる。ここには神主がおらんので、いつも皆の世話になっておるからな。で、何を心配しておる? また勝ち馬を教えてほしいのか?」
「いや! そのことはご内密に……それに今は戦時下で競争は中断されておりまして……」
思わず大きな声を出してしまった鈴木さんは、慌てて声を潜めると、なにやらごにょごにょ言っている。
この時代にも競馬ってあったのか……
それにしても鈴木さん、勝馬の予想を神頼みするなんて、周りの皆はさぞかしあきれていることだろう。
そう思って皆の表情を見回してみたが、老若男女、全員俯いている。
それぞれ自分の願い事に関して、何らかの心当たりがあるに違いない。
まさか神さまが顕現して祈願の内容を暴露するなど思いもよらなかったのだろう、皆はただ、被弾しないように頭を下げている。
「どうした? 皆、妙に静かになったのぅ……まぁよい、で、何を心配しておるのだ」
神さまは、そんな者たちの様子をただの慎ましい態度と受け取ったのか、その気持ちに気付く様子も見せず、まあよいの一言でスルーした。
ククリさま、天然モノかもしれない……
まぁ、神さまに気を使ってほしいと注文を付ける訳にもいかず、ましてやNDA《秘密保持契約》なんて結べるわけないからな、自分も気を付けよう。
「申し訳ございません、差し出がましいことを……ですが、お姿が……何といいますか、その、少々小さくなられたような……」
少々どころではない、サイズは半減してしまっている。
しかし、鈴木さんは言葉を慎重に選びながら、消え入るような声でククリさまに心配の原因を伝えた。
「あぁ、これか……火を滅するのに思いのほか力を使ってしまっただけのこと。あれはただの火にあらず、人を焼き尽くそうという怨念が込められておった……全く何という下らぬものを作るのか」
ミニククリさまの表情に影が差す。
顔はモモさんそのものなので、その悲しげな表情を見ると胸が締め付けられた。
「あ、あの、ありがとうございます」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「助けていただいてありがとうございます、ククリさま」
「ククリさま」
身体が半分になるのも顧みず、自分たちを助けてくれた神さま。
その五十パーセント減のククリさまが見せた、沈んだ表情に居たたまれなくなったのだろう。皆が口々にお礼を言いはじめた。
「よいよい、土地の者達を守るのは土地の神の務め。もう大丈夫だぞ、この境内は我が守る。安心して休め、事後の復旧に備えるのだ」
ミニモモククリさまは、さっきまでの表情が嘘のように破顔し、上機嫌で小さな手を振っている。
これは……照れている?
モモさん、可愛い……あ、今はククリさまだっけ。
その時、突然声が上がった。
「おい、お梅? しっかりしろ!」
声の方に目をやると、屈む女性を夫らしき人が抱きかかえている。
「う、産まれるぅ~」
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