第18話 神さま登場

「その夜は寒くてね、風が強く吹いていたそうよ」

 キクさんは窓の外の桜吹雪に目をやる。


「普通は空襲警報のすぐ後に来るんだって、飛行機がね、爆弾をいっぱい積んで……でも、その日は警報が鳴ったんだけど、なかなか来なかったって。だから、みんな誤報だと思って寝てしまったのね……そんな中で寝られるなんて、ちょっと信じられないけど、慣れてしまっていたのね」


「空襲に慣れるって、そんな……」


「ただの聞いた話よ」

 キクさんは硬い表情のモモさんに優しく微笑みかける。


 でも、それは実際にあったことだ。

 モモさんもそれがショックなんだろう、もちろんキクさんにもそれが分かっている。だから、少しだけ話と自分の間に距離を置くようにと言うことだ。


 モモさんが頷く。

 けれどそれは、ただ俯いただけのようにも見えた。


「それでね、後は二人も知っているとおり、やっぱり爆撃機が来てね、空を覆いつくすほどいっぱい……東京中火の海になったのよ。ひいおじいちゃん達も気が付いたときにはこの辺りも炎に囲まれて、防空壕にも入れず、もう神社に逃げ込むのがやっとだったって」


 聞いたことがある。焼夷弾というやつだ。

 日本の木造家屋を燃やすためだけに研究開発された兵器。高温で燃える薬品やら油やらをまき散らす爆弾だ。

 そんな物を落とされたら溜まったもんじゃ無い、ただの火事でさえ大変なのに……


「ひいおじいちゃんはいつも言ってたわ、神社もすぐに焼けてしまうと思ったって。まるでコンロの中に放り込まれたようだったって。その中で少しばかり空き地があっても……だめよねぇ」


 モモさんの方を見る、まだ俯いている。


「何とか神社まで逃げてこられた人たちは、少しでも熱を避けようと、おやしろの中で身を寄せ合っていたらしいわ」


「何人くらいいたんですかね……あっ……」

 重い話をキクさんだけに担がせておくのも居心地が悪かったので、つい口を挟んでしまい……後悔した。生き残りの人数を訊くなんて、悲惨さの強調にしかならない。


「二十八人いたそうよ。はね……皆ご近所さんだからはっきり覚えているんだって」


 二十八人……やはり微妙な人数だったな。

 しかもはだって……

 うなだれる自分に向かってキクさんが言う。


「まだまだ話はこれからよ。それでね、お社の中からでもね、町が燃える音が聞こえたんですって。ゴウゴウと空気が震えるようなうなりと、バチバチと木のはぜる音が。それでね、みんなもうすっかりあきらめちゃって、どうせあの世に行くなら極楽がいいねって、みんなで念仏を唱えだしたんだって。他に出来ることもないからねぇ、それはもう一心に。そうしたらね……」


 そうしたら? 私は思わず俯いていた顔を上げる。

 モモさんは……まだ俯いている。


「そうしたらね、声が聞こえたんですって。その声はみんなの頭の中に響いたそうよ」


 話が山場に差し掛かる。

 しかし、私は話よりもモモさんの様子が気になって仕方ない。

 モモさんは俯いたまま、ゆっくりと揺れている。

 さっきから、何といったらいいのだろうか、モモさんらしくない。

 キクさんもそれに気がついて話を止めた。


神社ここで念仏はおかしいとは思わぬか?」


「えっ……何? モモさん?」


神社ここで念仏はない! ないわぁ~」


 モモさんはそう言うと顔を上げた。

 その途端、部屋が急に真っ暗になる。かと思うと、ゆっくりと仄かな明かりが戻り、それとともに辺りの様子がボンヤリと見えてきた。


 そこはさっきまで団欒の場であったタチバナ家のダイニングキッチンではなく、見慣れない部屋の中だった。


 板張りの床と壁、広さは十メートル四方ほどだろうか、剣道の道場のような感じで、そこそこ広い。その真ん中に人が身を寄せ合って何やら口々に唱えている。


 その様子を天井から眺めている自分がいる。

 慌てて周りを見るが、キクさんもモモさんも、自分の体さえ見えない。

 空気になって浮かんでいるような感じと言えばよいだろうか。


 女性はモンペに防空頭巾、男性は国民服と言っただろうか、よれよれの上着にズボン姿、頭にはくたびれた帽子をかぶっている。

 テレビドラマや映画で見たことがある姿だ。


 部屋の奥には五、六段の階段があり、段上は奥の部屋に続いているようだが、下げられた御簾で中は窺えない。

 どうやらここは神社の拝殿のようだ。


 灯りは階段の両端に置かれている燭台のみで、ふと、その揺れる蝋燭の火に目をやった途端、全身が轟々とうなる空気の振動と熱に包まれた。

 身体は無いが、不思議と感覚だけはある。


 熱い! 息ができない……


 燃えているわけではない、その部屋の空気が焼けるように熱いのだ。

 その熱は肌にちりちりと突き刺さり、目が一瞬で乾く、吸い込む息で鼻孔と喉がひりつく、胸の中から身体を焼かれてしまいそうだ。


 私は、思わず目をつむり、身を丸めて息をひそめるが、焼けた空気は身体に纏わりついて、露出した肌を焼こうとする。


 ダメだ、ダメだ、ダメだ、これは絶対に助からない。


 次の瞬間、視界が変わる。

 身体が部屋の中から屋根を通り抜けて、お社の上に出た。

 神社は四方を火に囲まれ、その燃え盛る炎を神社の木々がかろうじて防いでいるが、外側に向いた枝葉はすでに焼け落ち、炎が境内に燃え移るのも時間の問題かと思われた。


 本能が鳴らす警鐘が頭の中で響き渡る。

 聞いていた話とぜんぜん違う、いや、話の通りなのだが、見ると聞くでは大違い、実際の状況がこれほど酷いなんて思ってもいなかった……


 轟々と響く音に、身体を包む熱気が振動し、木の焼ける匂いが熱い空気の中に充満している。


 私は、身に迫る強烈な死の気配に一瞬気が遠くなり、気がつけばまた部屋の中で、身を寄せる人たちの中に混じって念仏を唱えていた。


神社ここで念仏はおかしいとは思わぬか?」


 その時突然、頭の中で声が響いた。

 呆れたような声色を隠すことも無く、その声は言葉を続けた。


神社ここで念仏はない! ないわぁ~」

 さっきモモさんが言ってたセリフだ……


 身を寄せ合っていた皆が顔を上げて、一斉に祭壇の方を見る。

 そこには手のひらサイズの女神様が陽炎のように揺れていた。


 みんなは念仏を唱えるのを止め、呆然とした表情でその小さな神さまを見つめていたが、年配の男性がぽつりと言った。

菊理媛ククリヒメさま? ……」


 その言葉で我に返った人達は、今度は慌てて神さまの名前を合唱しだす。


「ククリさま、ククリさま、ククリさま……」

 取り繕った感がハンパないが仕方ない。

 自分もその一員だ。


「ククリさま、ククリさま! クックリさま! クックリさま!」

 みんな、なんだか調子に乗ってきた。


「クックリさま! クックリさま! クックリさま! クックリさま!」

「そうそう、その調子!」

 神さまが可愛らしい声で合いの手を入れ始める。


「クックリさま!! クックリさま!! クックリさま!! クックリさま!!」

「あ、よいしょ!」


 みんなが手をたたきながらリズムよく合唱し始め、神さまが合の手を入れる。

 この時、気がついたのだが……熱くない?! さっきまで息をすることもできないほどの焼けた空気が、少し暑いかなといった程度まで温度が下がっている。


 合唱の勢いがさらに増し、みんな立ち上がって手拍子を合わせる。中には手拍子に合わせて飛び跳ねている者もいる。


 そこにはもう、縮こまって肩を寄せ合い念仏を唱える姿はなかった。


 みんなの声が高まるにつれて神さまの姿は大きく、そして形が確かなものになっていく。


 そして、人並みの大きさになったところで、それまでフォログラムのようにフワフワとしていた姿が、ビシッ! と音が聞こえそうな勢いで実体化した。


「待たせたな、もう安心してよいぞ」

 その姿は伝書にあった通りのいにしえの着物姿で、額の上には金色に輝く髪飾りが太陽のように輝いていた。


 その艶やかなおでこには見覚えがある。

 モモさんだ……

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