第17話 これが使徒……?

「神さまのお使いさまですか……なるほど」

 私は努めて平静を装いながら答えた。

 なるほど、と付け足したのは、自分の気持ちを落ち着けるためで、決して理解できているわけではない。


 ただ、だからと言ってそれ程取り乱しているわけでもない。

 と言うのも、ここ最近頻発する不思議体験に、いい加減免疫が出来てしまっているのだ。


 私は知っている。

 モモさんとの出会いを境に、自分の住む世界が変わったことを。

 神さまのいない世界から、神さまのまします世界に。


 この世界には、確かに神さまが居る。

 二十七の男やもめに、こんなことを真面目に考えさせる存在が……


 その神さまに使いがいる? そりゃ当然いらっしゃるでしょうよ。

 それで取り乱すほど、もう初心ではないのだ。


 しかし、そうだとしても、あのコロコロした仔犬が使徒と言われると……少し、いや、かなり強めの不信感が首をもたげる。


 お腹を見せて転がりまわり尻尾をブンブン振り回していたあれが? 

 いや、さすがに無理があるでしょ、神さまの使いと言のうは。

 ママミに撫でられるのが嬉しすぎて、少しお漏らししていたぞ、あいつ……


「シンさん? どうかしましたか?」

 突然動きが止まった私の顔を、モモさんが心配そうに覗き込む。


「あっ、いえ、少し考え事を……あの、ククリさまというのは……」


「この神社の祭神さまですよ」

 私の問いかけに、キクさんが笑顔で答えてくれる。

 その目は、窓越しに桜吹雪の舞う境内を見つめている。


「そのククリさまの使いが、あの仔犬ではないかと言うことですか?」


「そうかも知れないってことです……ねっ、おばあちゃん」


「そうかも知れない? いいえ、あの子はお使いさまですよ」

 キクさんは、さも当たり前のように言い切った。


 言い訳のように聞こえるかもしれないが、ただ唖然としている自分のアホづらについて釈明させていただきたい。


 私の目の前には、ククリさまの伝承なる古文書が開かれている。

 そして、そこにはククリさまと呼ばれる神さまの眷属、いわゆる使徒の姿が描かれていた。


 それは、激しく燃え上がる炎を思わせるような、逆巻く毛を纏った凛々しい犬、いや、この貫禄はオオカミだろうか、その姿は猛々しくも美しく……


 私の中で、この凛々しいオオカミさまとコロコロ仔犬との共通点は、四つ足歩行という一点のみ、どう見ても同一犬物には見えなかったのだ。


 その疑心に溢れる心中を察したのか、キクさんは私とモモさんにむかって言った。

「ククリさまはね、力を使ってしまわれたのよ」


 私が首を傾げながらモモさんの方を見ると、モモさんも同じように首を傾げながらこちらを見た。

 そして、二人でキクさんの方に向き直り、視線で話の先を促す。


「私もね、両親、モモのひいお爺さんとお婆さんね、から話を聞いただけなのだけど……ちょっと、近いわよ、あなたたち」


 気が付けば私とモモさんは、キクさんの顔のすぐ前まで身を乗り出していた。おっといけない、キクさん少しのけぞってる。


「あなたたち、神社の木を見て何か気が付かない?」

 定位置に戻った二人にキクさんが問いかける。


「ここは大きな木が多いですよね、随分と古い神社なんでしょうね」

 私は前々から思っていたことを、そのまま素直に答えた。

 職場なら捻りのない回答にブーイングを受けるところだが、もちろんキクさんはそんなことは言わず、優しく頷いてくれる。


「そう、この神社は明暦の時代より古いと言われてますからね。境内の木々も、そのずっと前からあるのよ」


「明暦?」

 モモさんが尋ねる。


「明暦の大火って聞いたことはない?」


「「いいえ……」」

 二人そろって首を傾げる。


「じゃあ、振り袖火事は?」


「「聞いたことあります!」」

 きれいにハモった。


「あらあら、本当に息がぴったりね、あなたたち。」

 キクさんは何か眩しいものでも見るように目を細め、言葉を続けた。


「その振袖火事にも遭っているのよ、モモちゃんは何か気付いたことはない?」


「神社の木のはなしですよね? 気付いたこと……周囲を大きな木が囲んでる……あっ! はいっ! はいっ! 神社の内側にだけ枝が伸びている!」


 モモさんの手は、なぜか卓上にはない回答ボタンを連打している。

 可愛い……


「はい、正解」

「やった!」

 モモさんは得意のガッツポーズを決めた。


 私は盛大に拍手をしつつ、神社の様子を思い起こしていた。

 神社を囲む大きな木々は、境内に覆いかぶさるように枝葉を伸ばしている。しかし、言われてみれば確かに神社の外側は、まるで枝が打ち払われたかのように丸裸で、幹がそのまま見えている。


「はい、次はシンさんね。では、なぜ神社の外側には枝がないのでしょうか?」

 キクさんがクイズ番組の司会よろしく、テンポよく質問を振ってくる。


 さっき振り袖火事の話が出たな、あれがヒントかな?

 私は分からないなりに精いっぱい考えて答えた。


「……火事……で焼けた?」

「はい、正解!」

 キクさんとモモさんがぱちぱちと拍手してくれている。

 なんだか嬉しい。


「この辺りはね、昔から何度も大火事に遭っているの。さっきの振り袖火事の時も、江戸中が火の海で、ここの神社も四方を炎で囲まれたそうよ」


 キクさんは、そう口にしながらククリさまの伝書を慎重にめくり、あるページで手を止めた。


 そこには火に包まれた町が描かれていた。

 紙全体を塗りつぶすかのように走る絵筆の勢いそのままに、燃え盛る炎が建ち並ぶ家々を飲み込み、人々を追い立てる。夜空に舞う火の粉が桜吹雪のように見える。


 その絵の中で一か所、炎を描く筆が避けて通る場所があった。

 見慣れた鳥居とやしろ、この神社だ。

 境内を囲むように茂る木々が、炎から神社を守っている。


「でもね、その度重なる災難にもかかわらず、この神社だけは焼け残ってきたの。神社に逃げ込んで生き延びた人たちは、火に囲まれた境内で不思議な光景を目にしたそうよ」


「「不思議な光景?」」

「そう、不思議な光景」


 キクおばあさんがページをめくると、そこには古めかしい衣装を纏った女の人と、凛々しい眷属の姿が描かれていた。


「ククリさまとお使いが現れたそうよ」

「「……」」


「何て顔してるの、二人とも」


 キクさんが笑っている。

 おそらく、鳩豆フェイスを披露していたのだろう。

 モモさんの顔を見る、やはりそうだ。

 モモさんもそれに気が付いたようで、互いに顔を見合わせて照れ笑いをする。


「わたしもね、この伝書だけなら信じられなかったかもしれないわ。でもね、子供の頃から両親の話を聞いて育ったし、それに……まぁ、当たり前のように信じられるのよ」


「ひいお爺ちゃんとお婆ちゃんの話?」


「そうよ、二人ともモモがまだ赤ちゃんの時に亡くなったから、あなたはこの話を聞いたことはないと思うわ」


「うん、聞いたことない……どんなお話なの?」

 モモさんが尋ねる。


「戦争のね、東京大空襲のときの話よ」


 東京大空襲か……詳しくは知らないけれど、一晩で東京が焼け野原にされた日のことは、さすがに地方出身の自分でも聞いたことはある。

 これは重い話になりそうだ。


 モモさんを見やると、彼女もそう思ったのだろう、両手を膝の上に置いて少し身構えている。


「そんなに畏まらないで、私だってよくは知らないのよ、ただ、聞いたことを話すだけだから。そうね、その前にモモちゃん、お茶を入れてくれる?」


「はい」

 モモさんは勢いよく立ち上がると、後ろの棚から急須とお茶碗を取り出し、てきぱきとお茶を入れ始めた。動きに無駄がなく素早い、よほど話の続きが聞きたいのだろう。


 モモさんが入れてくれたお茶を口に含む。

 その温かさに強張った身体がほぐれていく。

 重い話の予感に、知らず知らずのうちに緊張していたのだろう。

 もう一口すする。

 緑茶の香りが鼻の奥いっぱいに広がり、頭がすっきりとする。


 「――モモちゃんが入れてくれるお茶は、本当においしいわね……それじゃあ始めますか」

 キクさんは湯呑をそっとテーブルに置くと、まるでお伽噺を子供たちに聞かせるように、ゆっくりと話を始めた。

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