第16話 思い当たるフシ、再び
「もぐ、このカレー、もぐ、美味しい、とてもぐ」
私は、誘われるがままにタチバナ家に上がり込み、図々しくも二杯目のカレーを頂いている。
なに、このカレー、本当に美味しい。
普段はそんなに量は食べないほうだが、これは際限なく食べられる、スプーンが止まらないぞ。
「よかった、シンさんのお口に合って。いっぱい食べて下さいね」
そんな様子を満足げに眺めながらモモさんがコップに水を継ぎ足してくれる。
タチバナ家のキッチン。ここで食事をごちそうになるのはもう何度目だろう。ここ最近は毎週のようにお邪魔している。
さすがに厚かましいとは思うのだが、料理は美味しいし、その上居心地も良いので、誘われるとついつい上がってしまう。
私の足下で仲良く並んで食事をしている犬のダイダイと猫のカリン、このタチバナ家の住人達と並んで旨い旨いとカレーを頬張る。
私が家に来ると、「まぁ上がりなよ」と言わんばかりに玄関で迎えてくれるこの連中とは、何というか、仲間意識のようなものが芽生えてしまっている。
つまり、私もすっかり餌付けされてしまった感がある。
「まぁまぁ、それにしても、本当に気持ちのいい食べっぷりねぇ」
居間の方に引っ込んで、何やらガサガサと捜し物をしていたモモさんのおばあさんが、笑いながら戻ってきた。
おばあさんとは言ってもまだまだ若々しく、今はモモさんにその地位を譲ったとは言え、モモさんの家が営む甘味処の元祖看板娘の魅力は今もって健在で、常連客をガッチリと惹き付けてやまない。
このキクおばあさんとは、モモさんと出会う前からの知り合いで、庭木の名前を教えて貰ったり柿の実を頂いたりと、その頃からお世話になりっぱなしだ。
「いつもすみません、モモさんとおばあさんの料理が美味しくて、つい……でも、本当にご迷惑じゃ?」
「なに言ってるの、迷惑なわけ無いでしょうに! いつも言っているけど、ここは二人暮らしだから寂しいのよ、それに不用心だし。あなたが来てくれると、本当に助かるのよ」
「ですよぉ」
モモさんが相槌を打つ。
モモさんのご両親は仕事の関係で大阪在住、兄弟は弟さんが一人いるが、こちらは大学で民俗学? とやらの研究をしているそうで、日本全国、時には海外にまで足を伸ばしてフィールドワークをしているらしい。
と言うわけで、ご家族全員健在だが、この家にはモモさんとおばあさんの二人で暮らしている。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
三皿目のカレーを平らげてスプーンを置くと、モモさんが入れてくれた水を口に含む。レモンだろうか、柑橘系の爽やかな香りが口いっぱいに広がった。あぁ、幸せ……
「おそまつさまでした」
笑顔でそう答えるモモさんの後ろには、窓枠を額縁に夜桜の風景が広がる。モモさんの家は神社の横にあり、この台所からは境内の桜を眺めることが出来る。
月の明かりに照らされて、ハラリヒラリと風に舞う花びらを眺めていると、まるで演劇の舞台を見ているようで、これから新たな物語が始まる予感さえしてくる。
その桜を見て思い出した。
「モモさん、あの子犬、どうやって会社のそばまで来たのかな」
「そうなんですよ……ここから地下鉄で五駅、とても子犬が歩ける距離じゃないですし、そもそも、道路に匂いも無いのにどうやって場所が分かったのか不思議です。でも……」
モモさんは少し首を傾げながら話を続けようかどうか迷っている。
「どうしたの? また何か思い当たるフシがあるの?」
「はい、また思い当たるフシが……」
思い当たるフシというのは、二人の間での符丁のようなもので、人に聞かれると白い目で見られるような、電波的および超常現象的な事柄を指す。
モモさんは、不思議話をいつも通り当たり前のように受け止める私の反応に、ほっとした笑顔を見せる。
「ふふふっ、これでしょ」
それまで横で二人の様子を楽しそうに伺っていたキクさんが、二人の符丁に割って入る。
キクさんはテーブルの上をササッと片付け、手に持っていた物をモモさんと私の前に押し出した。先程から隣の部屋で探していたものは、どうやらこれらしい。
それは、いかにも古文書でございます。といった見てくれの、年代物の書物だった。
「おばあちゃん、それって……」
「そうよ、モモちゃん、ククリさまの伝書。シンさん、モモはこれのことを言っているのよ」
話がまったく読めず、ただ首を傾げる私に向かって、キクさんは相変わらずの笑顔で話しかけてくれるのだが、何と答えて良いのやら……
とりあえず精一杯の真顔で、となりのモモさんに縋るような視線を送った。
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