第11話 まじめ課長の金属バット磨き
約束の十分前にいつものカフェに着いた。
店内を見回すが、モモさんの姿は見えない。まだ来ていないようだ。
とりあえずいつもの席に腰を下ろして一息つく。
今日は、ママミの作ったプレゼン資料がよくできていたので、仕事を早く切り上げることができた。
課長のチェックは厳しい。
特にプレゼン資料を見る目は鋭く、大抵の場合、原稿案は盛大に加筆修正され、オリジナルの文言は跡形もなく消え失せる。
その赤ペン祭りを切り抜けてきた。
あまり、いや、全くと言っていいほど名が通っていない、弱小広告代理店の我が社にとって、クライアントへのプレゼン資料は、仕事を勝ち取るための唯一の武器と言っていい。
大手広告代理店の分厚くゴージャスな提案書と比べれば、うちの提案書は吹けば飛ぶようなぺらっぺらの紙きれで、その戦闘力には超電磁砲と金属バットほどの差があるのは事実だ。それは認める。
だが、それでも武器には違いない。
いや、そもそも金属バットは武器ですらないのだが、まぁ、そんなことはどうだっていい。
その金属バットを磨き上げる大切な作業と言うこともあり、プレゼン資料の確認に、我が課はそれ相当の気を遣っている。
しかし、それにしても課長のチェックは、なんというか、いささか常軌を逸するレベルで執拗なのだ。
一言一句を指でなぞりながらぶつぶつと声に出して確かめる。それを五回繰り返す。
まず最初に一般の生活者目線で読み通し、その広告企画が世の中で受け入れられるものか、十分に魅力的なものであるかを再度確認する。
二回目はクライアントの利益が明確に伝わるように表現されているかを、プレゼンの受け手側の立場で確かめる。
三回目は自社の立場でリソース配分と収入のバランスを確認、つまり過剰サービスになっていないかをチェックする。
四回目は文学部出身の自称文学中年としての作文能力を全開にして、課長の主観で文章表現と体裁を吟味する。まぁ、これは趣味のような物だろう。
そして五回目、最後にまっさらな気持ちで今一度眼を通す。
課長曰く、事前の会議で十分に検討した内容が、洩れなく、かつ効果的にプレゼン資料の中に表現されていなければ、それまでの時間が全て無駄になる。とのことでの五度読みだそうだ。
ごもっともなことだとは思う。とはいえ、既にかなりのレベルにまで仕上がっているものを、さらに時間と労力を掛けて磨き上げるという作業は言うほど簡単なことではなく、強い意志と高いモチベーション、そして、皆は思っていても口には出さないが、粘着性の執念深さを必要とする。
課の誰もがその難しさを理解しているため、皆は課長をスーパーチェックマンと称して一目置いているのだが、そんな課長の凄さを分かっているのかいないのか、ママミは只単に「まじめ課長」と呼んでいる。
その「まじめ」な確認作業をすんなりと一度で通ったのだ。
これはなかなかに稀なことで、重箱の隅をつつき回すような厳密なチェックの後、課長が眼鏡を中指で押し上げて一言「いいよ」と言ったときには、様子をうかがっていた課の一同から「おーっ」と声が上がったほどだ。
もちろん課長に見せる前に自分もチェックをしたが、ほとんど直すところはなかったので、これはママミのお手柄だ。
今度何かおごってやろう。
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