第9話 モモを頂きに

 彼女の動きが止まった。可憐な唇は「えっ」という声を飲み込んだ形で固まっている。


 そりゃそうだろう、我ながらあまりにいきなりだと思う。

 だが、また聞こえた気がしたのだ。


「お前から言いなさい。さっさと気持ちを伝えなさい」という声が。


 まあ、自分でもそう思ったので迷わず告白した。

 そして、そのまま言葉を続ける。


「私も同じです。きっかけはどうあれ、タチバナさんといるととても楽しい……もっと一緒に居たいと思うんです」


 彼女の口は閉じられ、代わりに目が見開かれる。なんて豊かな表情だろう、もっと見てみたい。


「驚かせてすみません。昨日の今日で急すぎますよね、でも正直な気持ちです」


 私はタチバナさんの潤んだ瞳を覗き込み、そして続けた。


「もちろん、物事を慎重に考えることはとても大事だと思います。ただ、考えるまでもなく明らかなことがあるとしたら、すぐに行動に移してもよいのではないでしょうか。とはいっても、タチバナさんは今ここで答えを出す必要はないですよ」


「サカキさん……いいえ、ここでお答えします。お付き合いさせてください、私のことをもっと知ってください。そしてあなたのことをもっと教えてください。よろしくお願いします」


 微笑みながらそう答える彼女の表情は、もうすっかり落ち着いていた。


「こちらこそよろしくお願いします。なんでも聞いてください。そういえば、まだ名前も言っていませんでしたね。シンと言います、サカキ・シン。木のサカキに信じるのシンと書きます」


「榊 信さん……わたしはモモです。タチバナ・モモ、ミカンの木のタチバナにカタカナでモモ。モモって呼んでください」


 モモさんって言うんだ……橘 モモ。

 なんてフルーティー……

 これ以上はないほど彼女にピッタリな名前だと感じた。

 

 そんなことを考えながら早速名前で呼んでみた。

「素敵な名前ですね……モモさん、ここから先は、お茶でも飲みながら話しませんか?」


「はい! そうしましょう。シンさんは甘いものがお好きでしたよね、そこの甘味処はいかがですか」

 モモさんも、すかさず名前で返してくる。

 二人の距離が一気に縮まる。


「いいですねぇ、あそこの甘酒、風味が豊かで味がしっかりしている。それにとても暖まるから大好きなんですよ」


 神社の側にある甘味処は、年末年始やお祭りの際に店先で甘酒を出す。甘いものに目がない自分は和洋の甘味どちらもいけるが、寒い時期に飲む甘酒は堪らなく好きだ。特に、ここの甘酒は麹の風味が感じられてとても美味しい。


 それを聞いた彼女は、なぜか小さく拳を握りしめた。このガッツポーズ、どこかで見たような……


「あっ! ショーウィンドウの……」


「気付かれました? あの時は本当に心臓が止まるかと思いました。振り向くとサカ……シンさんがいらっしゃって……」


「あれ、モモさんだったんだ……あの時は逆光で顔が見えなくて。あのディスプレイ、いいですよねぇ、いつも見てます」


「ありがとうございます! あの時も私のディスプレイを褒めてくださったでしょ? とても嬉しかったんですよ。なんだか自分が褒められたような気がして……それで決心できたんです、シンさんにお会いしようって」


 あの時何かのスイッチが入ったように感じたのは、そういうことだったのか……思わず神様の演出に感心してしまった。


「神様が背中を押してくれた?」


「はい、そう思うことにしています。その方が楽しいですから」


 花もほころぶ笑顔のモモさんと並んで歩く神社の参道は、今までとは、まるで別世界のように輝いて見えた。


 ん? 別世界のよう?

 いや、ようではない、ここは別世界だ。


 同じ時代、同じ場所、同じ自分だが、それでも昨日いた世界とは明らかに違う。


 私は、隣のモモさんに目をやる。

 歩く度に、頷く度に、柔らかく揺れる髪が朝日の中で輝く。


 ここは神さまの在します世界だ。



◇◇◇



 モモさんは甘味処の暖簾をさらりと手の甲でかわし、カラカラと軽やかな音とともに引き戸を開けると、凛としたよく通る声で言った。


「ごめんくださーい」


「はぁーい、いらっしゃい。って、その声はモモちゃん? どうしたのお店の方からなんて」奥から声が聞こえた。


「おばあちゃん、今日はお客さまをお連れしましたー」


「あらあら、そうなの? じゃあ座ってて、すぐに行くわ」


「いいの、ご注文はわかっているから、そっちで手伝いまーす」


 彼女はそう答えると、いたずらっぽく笑いながらこちらを向いて言った。


「驚きました? ここ、私の家なんです。甘酒お持ちしますのでこちらに掛けてお待ちくださいね」


 私は唖然として、間抜けな首振り人形のように二度三度コクコクと頷くと、薦められた席に腰を下ろして店内を見回した。


 中に入ったのは初めてだが、歴史を感じる木造の設えで、時が止まったかのような店内の雰囲気は妙に落ち着く。


 奥の厨房へ向かう途中途中で、彼女は常連さんらしき人達と笑顔で言葉を交わしている。


「モモちゃん、彼氏かい? 男前じゃないか」


「えへへ、素敵でしょ? 会長さんはいつものやつですか?」


「おう、いつものお汁粉だよ。キクさんに頼んだけど出てこねえや、中でつまみ食いしてんじゃねぇか?」


「聞こえてますよ! もうすぐできるから辛抱して、それより喉に詰まらせないでくださいよ、もうあんなのは懲り懲りですからね」


 厨房の方から明るい声が聞こえる。

 モモさんのおばあさん、キクさんて言うのか。


 それにしても、この声どこかで聞いたことがあるような……


「はい、お待ちどうさま」

 モモさんと入れ替わりに現れたのは上品なおばあさんだった。


「あらあらあらあら! あなた!」


 目があったとたんにお互い気がついた。

 どうりで聞き覚えのある声なわけだ。


 なんという偶然か、神様のいたずらか。

 この人がモモさんの関係者である以上、後者なのだろうが、その人は私が通勤途中にマンサクという花の名前を教わり、柿をいただいたおばあさんだった。


「その節は美味しい柿をいただき、ありがとうございました。申し遅れました。サカキといいます」


「あらー、あなたモモちゃんの彼氏だったの? サカキさん? もうびっくりよー」


 キクおばあさんは常連さんの前にお汁粉を優しく置いて言った。

 その柔らかな所作と、楽しそうに話す様子は確かにモモさんに重なる。


「すみません、モモさんのおばあさまとは存じ上げず」


 実際は、柿を貰ったときにはモモさんとの面識はなく、つい先程つきあうことになったばかりなのだが、それについてうまく説明できる自信がないので、流れに任せて当たらず障らずの受け答えをした。


「あらあら、そうなの?」

 おばあさんはそう言うと、少し首を傾げて顎に手を当て、何かを考えているようだった。


 神様のことは二人だけの秘密にしておく方が良さそうな気がする。後でモモさんに相談しよう。そんなことを考えていると、モモさんが甘酒を二つ、お盆に載せて現れた。


「シンさん、お待たせしました。この甘酒、私が作っているんですよ」

 甘酒をそっと机に置くと、モモさんは私の横に座ってこちらの顔を覗き込む。


「えっ! そうなの? あぁ、それでさっきのガッツポーズか……」 

 初詣の時に毎年欠かさず飲んでいるお気に入りの甘酒だ。

 まさか、この甘酒を作っている女性ひとと付き合うことになるなんて……これが縁というやつか。

 神さま、ありがとうございます。


「では、いただきます」

 私はモモさんに恭しく一礼すると、手に馴染むやや厚手の湯呑を両手で頂き、まずは湯気と一緒に立ち上る甘い香りを楽しむ。


 続いて口に含む。麹の風味が口いっぱいに広がり鼻から抜けていく。

 程よい甘みと、とろみの中に浮かぶ米麹の粒粒の食感がたまらなく美味しい、心と身体が芯からあったまる。


「あぁ、おいしい……」

 しみじみと、心の底から声が漏れる。


「よかった……」

 緊張の面持ちで私の反応を見ていたモモさんは、胸に抱えたお盆をぎゅっと抱きしめた。


 モモさん特製甘酒の旨さに呆けていると、彼女が耳元でささやいた。

「神様のことは言わない方が良さそうですね」


「うん、そう思う。とても説明できそうないからね」

 私もモモさんの耳元でささやく。


 この、いかにも恋人同士でございますという振る舞いに、私は胸の高鳴りを覚え、モモさんの頬もほんのりと桃色に染まっている。

 甘酒ってアルコール入ってないよね?


「楽しそうだねぇ、二人で何を話しているんだい?」

 キクさんは、二人の様子を笑顔で眺めている。

 そして、私に向かって悪戯っぽく言った。


「あなた、約束のモモを受け取りに来たのね?」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第一章「モモ」はこれで完です。

 読んでいただきありがとうございました。


第二章「ククリさま」では、いよいよ神さまが本格始動します!

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