第8話 オカルティック電波娘?

 彼女はベンチに座らずにこちらを見ている。

 そして、まだ少し離れていたが、待ちきれない様子で声をかけてきた。


「お礼は済みましたか」


「お待たせしました。えぇ、しっかりとお礼してきました」


「何だか嬉しいです」


「えっ、何がですか」


「サカキさんも神社に祈願とかお礼参りとかされるんだなって」


「そうですね、たまにですけど」


「よかった……」


 タチバナさんは意識していないのだろうが、私からしてみればとんでもなく破壊力のある笑顔でそう答え、そして続けた。


「では、お話ししますね、昨日お約束した変な話。少し話しやすくなりました」


「話しやすくなった? それはなにより。では伺いましょう、私があなたの視界に入りだした心当たりについてですね。えっと、その前に座りましょうか」


「あっ、そうですね、座りましょう」


 やわらかな春の陽を吸って、ほんのりと温もりのこもる木製のベンチに腰を下ろす。二人の間に現れた微妙な隔たりが、我ながら何とも初々しい。


 彼女はこちらに身体を向け、意を決した様子で真っ直ぐに私の目を見て言った。


「わたし……がんをかけたんです」


 私は、自分の中でボンヤリと靄のように漂っていた考えが、彼女の言葉でひとつの形にまとまり始めたのを感じ、話しの続きを目で促した。その形を早く見たいと思ったのだ。


一月ひとつきほど前のことでした。わたしは祖母と一緒に住んでいるのですが、その祖母が、突然訊いてきまして……」


「なんと?」


「どんな人がいいんだって」


「どんな人?」


「はい、祖母がそういうことを訊くことは今までなかったので、わたしも最初は意味がわかりませんでしたが、どんな男の人といっしょになりたいのかということでした」


「それは唐突ですね」


「ええ、そうなんです。なのでよけいに気になって、自分でもどんな人がいいかなんて真剣に考えたことがなかったのに、その日は朝から考え込んでしまって……それで神社で、えっと、私の家はこの神社の側にありまして、お休みの日の朝は境内の掃除をお手伝いしたりしているのですが、その時に少しお参りをしたのです」


「願掛けですね?」


「はい、そうです。ここからが変な話なのですが、この手の話しが不愉快なら仰ってくださいね」


「この手の話し?」


「宗教? とは違いますね、オカルトとか神がかりとか、その類いの話のことです。自分はそう言う話は嫌いじゃないですが、真面目に語るものじゃないことは分かっているつもりなので」


「それは大丈夫です。私もたまには神社にお参りをしたりしますし、完全に信じている訳ではありませんけど否定もしません。むしろ不思議な出来事を望む気持ちは人並み以上にあるかもしれません」


 自分自身、本気ではないにしても少なからず期待を込めて神社にお参りするような人種だ。どの口で彼女の話を否定することができようか。それよりなにより面白い、これが大切。面白い話はこの世の正義、好物だ。


 私は、オカルティック電波娘の認定を恐れて、幾重にも予防線を張る彼女に援護射撃をしつつ、彼女の味方としての立ち位置を示して次の言葉を待った。


 タチバナさんの笑顔が綻び、桃色の唇が跳ねるように動く。


「そうですよね、世の中、少しくらい不思議がないと面白くないですよね。では、話し半分で気軽に聞いてくださいね」


「どうぞ、どうぞ」

 空気が重たくならないように、努めて軽く話の先を促す。


「わたし、その日の朝、神社の掃除をしながらずっと考えていたんです。一緒に居たいと思う人のことを、自分はどんな人を望んでいるんだろうって。でも、なぜか言葉で整理しようとすればするほどイメージとずれてきてしまって。それで、細かく考えるのはあきらめまして……」


 話の峠に差し掛かったところで彼女の言葉が止まる。

 すぐに後押しをする。

「あきらめて?」


 すると、彼女は少し間を置いて息を吸い込み、言葉にした。


「ここの神様にお願いをしました……で!」


 いわゆる丸投げというやつである。

 彼女にも神様に無茶ぶりしたという自覚があるのだろう、と言うことばを半ば自嘲気味に、敢えて清々しい笑顔で明るく言い放った。


「すると、そのすぐ後にサカキさんがお参りにいらっしゃって、それから毎日お見かけするようになったのです」


 ひょっとしたらと思っていたことが今確信に変わった。ここの神様は私の望みを叶えるというより、彼女の望みを叶えるために私を呼んだのだ。


 それはそうだろう、たまにしか顔を見せない不信心者の戯言たわごとより、常々境内を掃き清めてくれる常連さんの願いが優先だ。


 偶然前を通りかかった男やもめに、これ幸いと即席の信心を持たせ、性根を叩き直し、彼女の前に引っ張り出したと言うことなのだろう。荒唐無稽な話だがつじつまは合う。

 それに、偶然と片付けるにはあまりにも出来すぎている。


 ここは素直に不思議を受け止めよう。

 その相手が私でいいのか? という疑問は残るが、こちらからしてみれば自分好みの、器量よし、気立てよしの女性とお近付きになれたわけで、まさに願ったり叶ったりの状態だ。この棚ぼたの奇跡を否定する程愚かではない。

 私は不思議をまるっと受け止めたうえで、確認の意味を込めて尋ねた。


「それが思い当たるフシというやつですね」


「はい、これが思い当たるフシというやつです」


「それで、お礼参りを済ますまでは話しができなかったと」


「えぇ、願い事は成就するまでは人に話してはいけないと言うことらしいので。信じがたい話なのですが、偶然もこれだけ重なると無視もできなくて。でも、やっぱり変ですよね、こんなことを真に受けるなんて」


 話しているうちにまた自信がなくなってきたのか、彼女は目を伏せて自分の手を見つめている。その小さく、固く握られた手は彼女のひざの上で微かに震えていた。


 冗談のように明るく話してはいるけれど、昨日今日会ったばかりの人間にこんな話をするということは、よほどの勇気がいることだろう。

 何て健気けなげなんだ……その気持ちに応えてあげたい、そう思った。


「いいえ、全く、全然、これっぽっちも変なことなんかないですよ、たしかに不思議な話だけど、私にはとても自然なことのように思えます」


 彼女は暫く俯いたままでいたが、肩で大きく一つ息をするとゆっくりと顔を上げた。


 ドキリとした。

 タチバナさんの大きな目が潤んでいる。


「そう言っていただけると……よかった。スッキリしました。あの、それで、もう少し話をさせて頂いてよろしいですか」


 こちらに向けられた表情は明るさを取り戻していたが、小さな手は握られたままで、まだ緊張は解けていないようだ。


「ええ、もちろん」


「ここからの話は神頼みとかではなく、自分自身の正直な想いです。わたし、きっかけはどうあれ、サカキさんをお見かけするようになってから、毎日が楽しかったんです」


 思わず頬が緩んだので、あわてて気持ちを隠そうとしたが、彼女の真直ぐな様子を見て、自分も気持ちをそのまま見せることにした。


「それは素直に嬉しいです、とても。でも、私の何が楽しかったのでしょうか?」


「初めてお見かけしたのはこの神社でした。真剣にお参りされている姿をみていると、なんだかとても嬉しくて」


 タチバナさんの話は続く。

「翌日はそこのスーパーで、お豆腐とちりめんじゃことミカンを買っていらっしゃいました。全部わたしの好物なんです。あっ、ストーキングしていたわけじゃないですよ、レジで私の前に並ばれていたので。それと、わたしの勤め先の近くで外国の方に押しボタン信号を説明していらっしゃる様子も素敵でした。あのご家族、信号が変わるのをずっと待ち続けていたので、わたしも行って教えてあげようと思ったらサカキさんが走ってきて……」


 過去の遭遇履歴をおさらいしている彼女の表情ときたら、空を見つめて笑顔を浮かべる頬がほんのりと桃色に染まり、眼福というかなんというか、とにかくますます惹きつけられる。


 まだまだ話は続きそうだが、状況は理解できた。さて、次は自分の番だろう。


 タチバナさんの話が少し途切れたところで言葉を挟んだ。


「タチバナさん、もしよろしければ私と付き合っていただけませんか」

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