第6話 「十時に……」「……鳥居の前で」

 カフェは会社帰りの人達でそこそこ混んではいたが、窓際の、落ち着いて話ができる席に座ることができた。


 紅茶を飲みながら聞いた彼女の話は、私が思っていたような単純なものではなく、一言でいうと、とても不思議な話だった。


 確かに会社付近では信号待ちでの目撃がほとんどだが、彼女は通勤時間以外にも私を見かけていたという。つまり、会社付近限定の現象ではなかったということだ。


 それは、彼女が偶然にも私と同じ町に住んでいたということもあるが、それにしても出現頻度は尋常じゃなかったらしい。


 家の近所では信号待ちはもちろんのこと、スーパーの豆腐売り場で、本屋の小説コーナーで、犬の散歩中に見かけたときなどは、彼女の飼い犬が私について行こうとして、いつものコースを外れてしまったとのことだ。


「それで、最近は毎日のように私を見かけるようになったと」


「ええ、そうなんです。気がつくといつもサカキさんが目の前にいました」


「それはなんだか迷惑な話ですねぇ、申し訳ないような」


「いいえ、迷惑だなんて……違うんです」


 ここ一カ月でスキルアップした私の観察眼は、慌てて否定する彼女の頬がポッと色付くのを見逃さなかった。それと同時に、自分の耳がジンワリと熱くなるのを感じていた。


「迷惑じゃない?」

「はい! 迷惑じゃありません」


 ――間髪入れずの否定がとても心地好い。


 紅茶を一口静かに飲み落とし、私は話を続けた。

「一月前からですよね? それまで私のことを見かけたことはなかったのですか?」


「ええ、ありませんでした」


「なにか心当たりは?」


 タチバナさんは、今度はしばらく考え込んでいたが、意を決したように切り出した。

「変な話なのですが……」


「変な話? ですか」


「はい、本当に変な話です。お話しようかどうしようかと迷ったんですが、これを話しておかないと説明がつかないっていうか、話しても説明がつかないかもしれないんですが……」


 やたらと前置きが長い。

 彼女の話し方や態度からは真面目な人柄が窺える。事実を誤解なく伝えようとするがゆえのことだろう。


 可憐な女性が意を決しての打ち明け話ということであれば、聴く側も心して受け止めなければならない。

 私は姿勢を正して彼女に向き合った。


「では、伺いましょう」


「それが、その……ごめんなさい、今はまだ言えないのです」

 彼女は申し訳なさそうに言い、俯いた。

 

 なんだ、この展開は。

 私は、平々凡々たる日常の中にも、楽しみを見出して生きていく自信がある。


 平穏の中にも物語は存在する、いや、むしろ物語などなくても、のんびりとお茶を飲み、本を読んだり、時々散歩に出かけたりするだけでも十分に楽しいと常々考えている派なのだが、こういう不思議展開もこれはこれで嫌いではない。


 好奇心を募らせつつも、彼女が言い澱んだことをあまり詮索するのもよろしくないだろう。


私は、タチバナさんからの聴き取りを後の楽しみとすることにして、とりあえずは、俯いて沈み込んでしまった彼女のサルベージを開始した。


「甘い物、好き?」

 そう問いかけると、彼女はぱっと顔を上げた。


「はい、大好きです!」


『素直さ』というものは時に強力な武器となる。私は、目の前の女性の、惑星タチバナの『素直さ』という引力にさらに強く惹きつけられるのを感じつつ、沈没船の引き揚げ作業を続ける。


「じゃあ何か食べましょう、何にしますか?」


「わたし、ここの和栗のモンブラン、好きなんですよ」


 タチバナさんはテーブルに置かれた〈おすすめデザートメニュー〉を指さして微笑む、満面の笑みである。


 そこには、てっぺんに形のよい栗が乗せられたケーキの写真が大きく貼り付けられていた。


 しかし、私の目はその写真ではなく、栗のあたりにくるくると踊るように円を描く、薄桃色の小さな爪が輝く指先を追いかけていた。


「サカキさんは何がお好きなのですか?」


おっといけない、見惚れてしまった……

「私もここのモンブランが好きでいつも食べています。じゃあ和栗のモンブラン二つでいいですね」


「はい、一緒で……お願いします」


 沈没船タチバナ丸の引き上げに成功し、その後は当たり障りのない世間話をしながらケーキを食べ終えた頃、彼女は姿勢を正して言った。


「サカキさん、我儘を言って申し訳ないのですが、明日お時間をいただけませんか? 本当に、何だかすみません」

 そう言うと彼女は深く頭を下げた。


 明日までお預け……

 しかし、興味はそがれることなく、むしろそそられるばかりで、すでに私の頭の中には彼女の誘いを断るという選択肢はなかった。


 明日の予定に思いを巡らせてみたが特に決まった用事はなく、神社へのお礼参りを考えていたくらいだ。そのお礼参りも自分の都合なので何とでもなる。


「分かりました、では続きは明日に」


 彼女は頭を上げるとすこし首をかしげながら尋ねた。

「本当にいいんですか?」


「ええ、もちろん。特に予定もありませんし、それに私も気になりますから」


 また花が咲いた。

「ありがとうございます。サカキさんはおうちの近所に神社があるのをご存じですか?」


「ええ、よく前を通りますから」


「では、明日の朝十時に鳥居の前でいかがですか?」


「鳥居の前に朝十時、分かりました。実は私も明日は神社に行こうかと思っていたところですよ。ひょっとして、何かあの神社に関係してるのですか?」


「ええ、もしかしたら……」


「もしかしたら……ですか。では、十時に」


「鳥居の前で」


 彼女はにっこりと笑い、そしてもう一度繰り返した。

「十時に鳥居の前で……」

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