第5話 花の綻ぶ瞬間を見た

 そんなこんなで、いよいよ願掛け最終日。


 この一ヶ月でいろいろと変化があった。

 なにより、周りに気を配ることを覚えたことが大きい。


 思い付きで始めた青信号断ちは、思いの外自分の根っこの部分に作用して、自分自身と周りの世界とのつながりを強めている。


 そのおかげで、今まで見過ごしていた様々なモノやコトに気がつくようになった。


 そして、それをきっかけに、自身の回りの人間関係が急速に好転し始めたのを実感していた自分は、思った以上のご利益があったと満足していた。


 まぁ、自らが設定したルールで得た成果なので、詰まるところは自分の手柄なのかもしれないけれど、それでも、きっかけをくれた神様には御礼参りに行かねばなるまい。


 明日は土曜日なので朝の散歩ついでに神社へ行こう。

 そんなことを考えながら会社からの帰り道、いつものように信号待ちでショーウィンドウを覗いていると、突然後ろから声を掛けられた。


「いまお帰りですか?」


 振り返ると妙齢の女性がほほ笑んでいた。

 どこかで見たような見ていないような……

 いや、自分にこの年頃の女性の知り合いはいないはずだ。


 となると、セールスか宗教の勧誘か……

 こんな時にネガティブな理由しか思い浮かばない自分が悲しい。


 若干のパニックもあり、判然としない記憶の引出を探りながら、まじまじとその女性の顔を凝視してしまった。


 ショーウィンドウのきらびやかな照明を映して、艶々と輝く広めのおでこと大きな目、小さな顔の真ん中にちょこんと納まる可愛らしいハナ。愛嬌あふれる、すこぶる自分好みの顔である。


 透き通った声も心地好く耳に残っている。

 とりあえず真面目な態度で返してみた。


「はい、いまお帰りです」


 一瞬大きく見開いた彼女の目が細まり、小さな口元から白い歯が覗いた。


 彼女の笑顔に一つのイメージが重なる。

 花の蕾がほころぶ瞬間。

 まるでそんな笑顔だった。


 イメージは呪縛である。

 この瞬間、私は悟った。

 恋に落ちたと。


「どこかでお会いしましたか?」

 平静を装いつつ、話を続けるためにとりあえず質問をなげかけた。


「お会いしたといいますか……」

と、つぶやくように言うと彼女は少しうつむいて考え込み、そして私の顔を見上げて言葉を続けた。


「最近あなたをよく見かけるのです」

「よく見かける?」

「ええ、ほとんど毎日」

「ほとんど毎日ですか」


 オウムのように彼女の言葉を繰り返しながら、彼女の輝く瞳に見蕩れていたが、ふと心に浮かんだことがあり、それを確認してみた。


「それはいつ頃からですか?」

「えっと……一月ひとつきほど前からです」

「一月ほど前ですか」


 なるほど、なるほど。

 一月前というと、まさに自分が願掛けを始めたころではないか。


 それまで素通りしていたショーウィンドウや本屋の前で、信号待ちの度にフラフラと時間を潰すようになったのがちょうど一月前、交差点で人の目にとまる確率は格段に上がったはずだ。


 そこがたまたま彼女の通り道だったのであろう。

 このあたりのオフィス街に勤めているなら、朝夕の通勤の時間帯はほぼ同じだ。通勤時に彼女の目に入ったとしても、それほど不思議なことではない。


「ごめんなさい、突然声を掛けてしまい。変ですよね、でも、どうしても気になって……」


 私が一人心の中で納得していると、その様子が難しい表情に見えたのだろうか、彼女が謝りだしてしまった。


 申し訳なさそうな顔で下からこちらの目を覗き込んでいる……

 ダメだ、この表情も可愛い。


「いやいや、そんなことはありませんよ。私だって気になりますから」


 これも御利益の一つだろうか? “神様グッジョブ”と、罰当たりなほど馴れ馴れしく感謝し、心の中でサムズアップしながら答えた。


 すると、いつもの自分では考えられないほど、さらりと続きの言葉が流れ出た。


「私はサカキといいます。もしよろしければ、もう少し詳しく話を聞かせてもらえませんか? その辺りでお茶でもしながら」


「サカキさん……申し遅れました、タチバナです。こちらこそお願いします」


 生まれてこの方、最も自然な流れで女性をお茶に誘うことができた自分に感心しながら、微笑む彼女をいつものカフェへと案内した。

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