第2話 青信号……だが渡らない

 私の考えた「青信号断ち」のルールは単純だ。

 道路を歩いて移動するとき、信号の前では必ず一度、青信号をやり過ごす。ただそれだけ。


 つまり、普段なら「もっけの幸い……」と心の中でつぶやきながら気分よく横断歩道を渡ることができる、信号サイクルの良き巡りあわせに遭遇したとしても、渡らない。


 その場で立ち止まり、わざわざ青信号を一度やり過ごす。

 そして、次の青まで待つことを自身に強いるのだ。


 これを一ヵ月間続ける。


 そう、苦行とまでは言えないものの「何か好いことが起こりますように」といった、まことにぼんやりとした祈願の内容を考えると、まあ妥当な線であろう。


 あまりに重い願掛けで神様に引かれても困るし、これなら気楽に受け入れてもらえそうな気がする。我ながら悪くないアイデアである。


 もちろん歩いているときだけだ。

 車に乗ってこんなことをした日には、よくてクラクションの嵐、大抵は衝突事故につながるだろう。事故はもちろんご免だし、人に迷惑をかけるのは避けたいので、徒歩の場合のみとする。


 また、当然のことながら、電車の信号など自分の意志ではどうしようもないものも対象外だ。


 このように、軽い思いつきとゆるゆるの設定で私の願掛けは始まった。



◇◇◇



 しかし、この願掛け、実際にやってみると思いの外きつかった……


 情けない話だけれど、実のところ開始当日に断念しかけたほどだ。


 思っていたのとは大違い、自分の想像と現実の間には大きなギャップが横たわっていた。軽度だが確実にストレスが蓄積されていく……青信号をただやり過ごすだけという、その微妙な地味さ加減にも気が滅入る。


 人通りの多い都心の交差点では、突然立ち止まると後ろから追突されるわけで、常に前方の信号と背後の人の動きを意識しながら、ひょっこりひょっこりと時々おかしなステップを交えつつ歩くことになる。


 青信号で渡れてしまいそうなときは、前もって人の流れから外れるようにコースを修正し、わざと信号に引っかかるように歩くペースを調整する。


 なぜ信号機の青色を見て手に汗を握らなきゃならないのか?

 まったく訳が分からない。


 前方の信号が赤だったとしても油断はできない。

 信号の数歩手前で減速し始めたとたん、突然青に変わった時ほど始末の悪いことはない。


 今更ながらに気がついたが、サラリーマンの通勤時間において歩行者信号の青は「進んでよし」というより「進め」の意のようだ。


 そんなとき、自然な振舞いで青の時間をやり過ごすことがいかに困難なことか……


 人の目など気にしなければよいのだろうが、目立つのは好きではないので、つい外からの目線で自分の振舞いを意識してしまう。


 最近のセキュリティー技術では、防犯カメラで記録した膨大な映像の中から、特異おかしな動きをする人物のみを抽出することができるそうだ。


 その技術を使えば、横断歩道の手前で立ち止まり、突然忘れ物を思い出したような小芝居を演じながらその場から引き返そうとする、または、交差点で不自然に九十度横方向に進路を変えて、目の前の赤信号に安堵する自分の姿が特異行動者として抽出されるに違いない。


 良からぬことを企む、テロリスト的な曲者くせものに間違われるのだけは勘弁してほしい……


 そんなこんなもあり、普段は流されるままに歩いている自分にとって、人と異なる動きをするということが、存外大変なことなのだと思い知らされることになった。


 それともう一つ、やってみて気がついたことがある。

 自分には思っていたほど、心の余裕がないということだ。


 自分は、職場の人たちからは、なぜか勤勉な仕事人間のように思われているふしがあるが、それは誤解だ。


 他にすることがないから仕事が捗るだけで、基本的には暢気でマイペースな性格だと自覚している。


 なので、たかが信号待ちの時間など、余裕で消費できるとたかをくくっていたのだが、そうではなかったのだ。これには我ながら驚いた。


 会社の机の前ではあっという間に消えてしまう数分が、信号の前ではとてつもなく長く、暢気な自分をもってしても、時間を無駄に過ごしているという罪悪感に近い焦りさえ感じてしまうのだ。


 気がつくと、交差点で歩行者信号を気にしながら奥歯を噛みしめている自分がいる。


 気を緩めると足元が貧乏ゆすりを始めようとするので、力を込めて両の足の裏を歩道に押しつける。


 時の流れは一様ではない。

 自分的相対性理論の発見である。


 願掛け初日の夕方、いつものカフェで、その日に被ったストレスを分析してみた。


 まず、何はともあれ、和栗のモンブランをひと口頂く。


 アァ、この甘さ……頭の芯が痺れるような感じに身体中の力が抜けて、知らず知らずのうちに強張っていた肩が、溶けるかのようにほぐれていく。


 ここのモンブランはマロンクリームが違う。

 香ばしさをまとった栗の風味そのままのマロンペーストと、その風味を消してしまわぬよう甘さを極力抑えた生クリームとが、柔らかく、しかし、モンブランのアイデンティティーたる山頂のクルクルがしっかりと表現できるギリギリの固さを保った、絶妙の煉り具合で混ぜ合わされている。


 春に栗を食す……そこは少し無粋な気もするが、旨いものはうまいので仕方ない。


 そんなことを考えながら、しみじみとスウィーツ絶ちにしないで良かったと安堵する自分を外側から眺める。


 わずか一日でかなりのストレスがたまっているな……


 この時、いっそ願掛けをやめてしまおうかという考えが頭をよぎった。


 しかし、その一方で、いやちょっと待てよと継続を主張する自分がいる。これだけストレス値が高ければ、願掛けの効果も上がるのではないだろうか。そんな、何の根拠もないスケベ心がむくむくと鎌首をもたげる。


 そして、ストレスからの逃避と、欲をかくスケベ心とを天秤にかけた結果、もう少し「青信号断ち」を続けてみることにした。

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