見習い

森谷市の南西に鎮座する渕上神社の神職兼、もりや不動産の事務員

渕上育子29歳には、八犬神社神主の孫である島津鶴子の凄まじい霊力が見えていた。そして、鶴子の御法神の姿もはっきりと見えていた。


導かれるようにして「もりや不動産」にやって来た鶴子を見た時から共に闘える同志となる事を予感していた。しかし驚いた事に、この新人は霊界と人霊の関わりを避けるあまりに、その目を閉じている。

何がその目を背けさせているのかを知りたいとは思ったが、あえて聞かなかったのは鶴子の護法神の姿が美しかったからだ。そして、その美しい護法神は何も語り掛けてこなかったからだ。ただ鶴子に寄り金襴の装束に包まれ蘭綾王の面を被っていた。


「仕方ないなぁ」

渕上は肩をすくめて見せて立ち上がった。

「鶴ちゃん今日からはもりや不動産の仕事の幅を広げてもらいます。物件案内に加えて物件確認にも挑戦してもらいます。いいですね?」

鶴子はまばたきで応えた。

渕上もまた何も言わずに瞬きで念押しし、八犬神社の清史郎と清に頭をさげて出て行った。


そしてぽかんとしていね鶴子に清史郎が言った。

「鶴子、明日からは出勤前に神社の仕事もやってもらうぞ」

「へ?ここで働くの・・・。また、ここで」

鶴子は自分の胸に小さな明かりが灯った気がした。

子供の頃から神社の仕事は好きだった。しかし就職が決まった時に社会人になる決心をした。同時に神社の仕事はあきらめたと言うのが本音だった。


鶴子は黙ってうなずいた。


翌日から鶴子は母に断って八犬神社に住みはじめた。

徒歩10分の距離だが、しばらくは住み込みで働くと決めた。

神社には鶴子の部屋が昔から用意されていたから、着替えだけを大きなバックパックに詰め込んで移動すれば、すぐに生活できる。


その日の夜には父の正輝まさきが心配をして電話を掛けて来たが鶴子はヘラヘラと笑いながら会社勤めと神社の仕事の両立を誓った。

正輝は鶴子がヘラヘラと笑いながら決意を述べる時ほど本気だと知っていた。

子供の頃も夏休みになると八犬神社に住み着いて神職の仕事に没頭していたし、学生時代は巫女の姿で社務所のアイドルだったから家に帰って来るのは毎年8月30日の夜だった。父親としては夏休みになると娘が居なくなるのが淋しかったから、なんだかんだと電話をしては戻ってくる様に言いつけたものだったが、いつもヘラヘラと笑いながら言い訳をして自宅に戻る事はなかった。

今回も、さっさと身支度をして妻の実家へ引っ越していった娘の部屋を見て正輝はため息をついた。

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