ここに居たんだね

翌日の13時30分 

紀州の店内に、鶴子と山鹿室長は居た。

もちろん紀夫と麻美も居た。

鶴子は夫婦に誠に申し訳なさそうに詫びた。

「本当にすみません。ご紹介した物件で、こんな事になってしまって」

「前もってお聞きした時は事故物件ではないと聞いていたのに、正直なところ困惑しています。」

麻美に言われて返す言葉が見つからなかった。

「けれど、もりや不動産が管理している15年間に事故は無かったのは本当なんですよね?」

紀夫は山鹿室長に確認をした。

「もちろんです。当社の前に管理されていた方からも特に報告も受けていませんでした。当社の報告に偽りはないのですが、実際に赤ちゃんの泣き声が聞こえるのであれば、真摯に対応させて頂きます。本当に申し訳ありません。」


その言葉と真剣な表情を見た夫婦は、これ以上の追及をしなかった。

しかし鶴子は心苦しさのあまりうつむいてしまった。



店のドアをノックする音と同時に一人の老人が入って来た。

白いポロシャツにチノパンを履き大きな紙袋を持った老人は山鹿室長に軽く手を上げて挨拶をした。

老人が入って来たと同時に山鹿室長は走り寄り荷物を預かった。

「ご無理を言いまして申し訳ありません。すぐに来て頂けて大変助かりました。」

その言葉遣いに、皆が「この人が拝み屋さんだ」と直感できた。

鶴子も顔を上げて老人の事を見た。

そして思わず「えっ?」と言ってしまった。

「おじいちゃん!!」

山鹿室長が慌てた。

「ツルちゃん、おじいちゃんだなんて!こちらは八犬神社の神主さんで八神清史郎さんですよ。」

「おお、鶴子じゃないか」

「はっ?」

「なんじゃ鶴子、ここは友達の店か? 今日は仕事は休みか?」

「おじいちゃん私は今、もりや不動産に勤務してるのよ」

「いつからじゃ?」

「先月から」

「そーか!それじぁ、これからは時々は一緒に仕事ができるのぉ」

全員が、ぽかんとするしかなかった。


鶴子は皆の疑問を切らす為に行言った。

「あの、八犬神社は母の実家です。」

妙な再会のお蔭で緊張感が緩んだのは良かったかもしれない。

ずっと機嫌の悪い態度だった麻美がクスりと笑った。


「ツルちゃん、ウケるし」

わざと砕けた言い方で微笑んでみせてくれた。

鶴子は麻美の優しさに泣きそうなほど感動していた。

「ま、麻美さん。ほんとにスミマセン。」

涙が出そうになったが泣かなかった。

「おじいちゃん!ヨロシクお願いします。」

「わかっておるよ」

清史郎は持参した紙袋から狩衣かりぎぬと言われる衣装を取り出して着替えを始めた。

あえて普段着で入店したのには理由がある。

玄関から神職衣装で来れば、どしたって目立つ。飲食店のオープン前ならともかく、開店後に神社などを呼ぶと、妙な噂で商売の邪魔になる事が予想されるからだ。


着替えを終えると清史郎は店内を歩き回り、ウカンターの前で足を止めた。


カケマクモ カシコキオオキミノ


祝詞を読み始めるやいなや山鹿室長以外の全員に赤ん坊の泣き声が聞こえた。

それは耳にした者は、もらい泣きしてしまわんばかりの悲しい泣き声だった。

声を限りに泣き叫び、呼んでも呼んでも誰にも抱いてもらえない悲しみと怒りの泣き声。

号泣とは、この様な声ではないかと鶴子は思った。

麻美はボロボロと涙をぬぐいもしないで流し続けていた。

女性であれば、その母性に届かないはずのない声。

「母を呼ぶ声」に反応しているに違いなかった。


清史郎はひたすら祝詞をあげ続けながら口元に指をあてて忙しく動かしている。

九字を切る。

「重なれ」と呟いた瞬間に、赤ん坊の姿が見えた。

生後4カ月から5カ月の乳児が小さな手を握りしめて必死で泣いている姿だった。


麻美は思わず、その子に駆け寄ろうとして紀夫に止められた。

「しっかりしろ」

紀夫に肩を抱かれて「はっ」となった。


しばらくの間、清史郎が赤子と対話をしている様だった。

再び九次を切り「ふっ」と息を吹きかけると赤子の声と姿が消えた。


清史郎は大汗を流していたが息を乱す事は無く話し始めた。

「これで声は聞こえないはずじゃ」

「あの子はどうなったんですか?」

麻美のそれは我が子を思う母親の様だった。

「すまないが、まだ、ここに居る。ただ声は聞こえないようにさせてもらった。この子には説明も説得も聞こえないんじゃ。」

全員が息を呑んだ。

清史郎は皆がわかる様に説明してくれた。

生まれて間もない赤子の魂だから言葉が理解できないという訳では無い。

魂の姿に戻った霊体は赤ん坊であっても理屈や道理を理解できるのだと言う。

しかし、この赤子の魂は死した事に気づいていないし呼んでいるのは母親だけなのだと。

「そんな、可哀相です」

麻美が涙を流した。

「おじいちゃん、なんとか出来ないの?」

鶴子も赤子の母の様な気持ちになっていた。

「あの泣き声を聞いたら、女性には沁みて当然じゃが」


清史郎は言葉を切って二人の顔を見た。

「じゃが母ではない」

言いながら指を口元に置き息を吹いた。

「ヒュ」

どっと膝から崩れるように麻美が座り込み、鶴子も足元がふらついた。

紀夫と山鹿室長に支えられた二人は急激に意識がクリアーになる事を感じた。


「少々、霊に影響されただけじゃ。しっかりせい。」

ニコニコと清史郎が近づていて来て、鶴子と麻美の肩を軽く叩いた。


二人は正気に戻った。

「びっくりしました」

麻美は興奮気味に言った。

「もう母親みたいな気分になりました。私は子供を産んだ事がないのに」

「私もです。初めて体験です。赤ちゃんの姿を見た途端に胸がきゅーっとなりました。」

「え、赤ちゃんが見えたの?」

紀夫と山鹿室長が同時にいって顔を見合わせた。

「二人は見えなかったんですか?」

「ぜんぜん」

「全く」

これまた鶴子と麻美が顔を見合わせて呆れ顔になった。

「声が聞こえなくなったら、お店のお客さんや麻美さん達に影響はないの?」

すっかり正気に戻った鶴子が確認する。

「そうじゃのぉ、この子は、ずっとここに居るから、女性の客が増えるぐらいじゃな。ここは飲食店じゃし悪くはない話じゃ」


悪くないと言っても、赤子の幽霊と一緒に暮らす紀夫と麻美の心中を察して一同が夫婦を見た。

「とりあえず、声が聞こえなくなったなら今夜は眠れる気がします。少し怖い気もしますけど」


「私は別に怖くありません。できれば成仏?って言うんですか?赤ちゃんを安心させてあげられたら良かったと思いますけど、、、。今、出来る事が無いのでしたら仕方ありません。」


山鹿室長は感動した様に夫婦に頭を下げた。

清史郎は少し申し訳なさそうに頭をかいた。


私服姿に戻った清史郎は「すまないが今日はこれまでと言う事で」と頭を下げて夫婦に挨拶をした。


そして店を出る前に山鹿室長に耳打ちをした。



「少し相談してみるから、この案件は完了ではなく保留じゃ」


「わかりました。」

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