ここで商売をする

店には「創作料理 紀州‐きしゅう-」と付けた。

店主は九州出身で、山内紀夫(やまうちのりお)と言う。妻は麻美(まみ)。

二人は最初のうち、家賃の安さに不安を覚えたが、店の立地や設備が整っている事で経費が掛からない事が嬉しくて満足していた。


物件の引き渡し後、急ピッチで内装工事を進めて2週間でOPENする事を目標に働いた。


まずは2階の居住スペースの畳を張り替えて、きしむ階段の二段目は補強した。

店内は壁紙の貼り変えとエントランスに置かれた生簀を撤去しテーブルを買い替えた。

レジやウォータークーラーなどはリースで新品を用意した。

少し高さのあるカウンターには新しい椅子を用意した。

床掃除の時は、カウンターに椅子を乗せられる様に背もたれの無い物を選んだ。

妻の麻美は、このカウンターを気に入っていて休憩時間になると一番端っこで食事をし、食べ終わると丁寧に拭き掃除をしていた。


2階のリフォームが終わると同時に二人は引っ越しをした。


「今日から、ここが我が家だね」

麻美が4畳半の部屋に布団を敷きながら言った。

「OPENまで忙しいけど、よろしくな」

紀夫が頭をペコりと下げてみせた。


仲の良い二人は狭い4畳半に布団を敷き並んで寝むった。




引っ越しの疲れで、朝は7時を過ぎて起き上がった。

朝食を作る物音で紀夫は目を覚まし、二人分の布団を押し入れに押し込み8畳のダイニングキッチンに置かれた二人用のテーブルに座った。


「ご飯出来たよ。紀くん、眠れた?」


麻美がトーストと目玉焼き、夕食の残りの唐揚げが乗ったワンプレートを運んできた。

「うん、眠れたけど、何度か目が覚めたよ」

「あ~、私も何回か目が覚めたよ」

「狭いけど、やっぱりベッドが欲しいよな」

「そーだね」

言いながら麻美はコーヒーとカップを取りに小さなキッチンへ向かう。

片手にコーヒーカップを2個、片手にコーヒーポットを持って戻って来た。

「布団のせいかな?」

トーストにジャムを塗りながら麻美が考えている。

「やっぱりベッドが無いと背中痛いし」

「そうだね。耳栓もいるよね」

「やっぱり夜中までやってる飲食店が多いからな」

「アパートみたいに静かに眠れないよね。」


コーヒーを継ぎ足しながらあくびをした。


二人は、ずっと自分達の店を持ちたくて共働きをしてきた。

紀夫は19歳の時から料理人の修行に入り10年間、腕を磨いてきた。

麻美は大学を卒業時に栄養士の資格を取り病院に就職したが自分の店を持ちたくて、すぐに退職してしまった。

両親には、がっかりされたが食堂、カフェ、パン屋、ラーメン屋などの飲食店で片っ端からアルバイトをして「自分がどんな店を作りたいのか」を模索していた。

そんな時に二人は出会った。

当時、互いに25歳。

紀夫は修行歴6年、麻美のアルバイト生活2年目の夏だった。

1年半の交際を経て結婚した。

プロポーズの言葉は「30歳で一緒に開業しよう」だった。

「はい」と返事をする代わりにキスをした。


目標を持って結婚し共働きしてきた二人は、とにかく働き者だ。

そして食べるのも早い。

麻美は、さっさと食器を重ねると食卓を片付けた。


「今日は午後から一緒に、ご近所に挨拶に行こうね」


「ああ、今日は食器を買いに行くから15時には戻るよ。」


「了解。食器の柄とか迷ったら電話してね。いってらっしゃい」





二人の店のご近所さんを紹介しておく

駅を背に南に伸びる商店街の中間に紀夫と麻美の店はある。

朝のうちに用意した菓子折りを持ってオープン前の挨拶に行く。

とにかく沢山、立ち並んでいる店を何処まで挨拶するかを悩んだが、

二人の店を挟んで、北側の三軒と南側の3軒に挨拶することにした。


駅に近い北側の3軒は

カクテルバー「ON-オフ」

店のオープンは19時からで、さまざまなカクテルを振舞ってくれるお洒落店で開業2年目らしい。

その隣は「イタリアンのLaura-ローラ」

イタリアで料理修行した時に世話になった女性の名を店名にしたと言う。開業5年目の人気店だ。

続いて「居酒屋 元気さん」

若い夫婦と元気なアルバイトが大声で接客する居酒屋でオープンして3カ月の新しい店だ。


北側の3件は経営者が紀夫夫婦と同じ年代で若々しい。

15時過ぎて挨拶に行くと仕込みの真っ最中でバタバタしながらも対応してくれた。


さて、二人の店を挟み南側の3謙軒は

「うなぎ 浜浜」

創業38年で一番古い。

60代後半の夫婦と無口な職人を数人抱えた人気店だ。


「お好み焼き 瀬尾」

これまた50代の女性が姉妹で切り盛りしている店だ。

3年前からの営業で「開業当初は旦那がいたのよ」と切り出されて、返事に困った。


「焼き鳥 一超」

先月オープンしたばかりで、綺麗な店内がお洒落だった。

焼き殿はもちろん、バリエーション豊かな焼酎と日本酒が自慢らしい。

この店以外にも数件の居酒屋を経営しているベテラン社長で、二人が挨拶に行くと忙しそうに対応してくれた。



挨拶も終わり、明日からは店のオープンに向けて仕込みが始まった。

仕込みとは、料理の下ごしらえと言う意味だ。

改装工事や備品の調達といった仕事よりも本業の料理が始まり夫婦は、より集中して働いた。朝から八百屋、肉屋、魚屋が食材を納品にやって来る。

あっと言う間に1日が過ぎる。


隣近所の店が開店時間になり、客の入る音や声が聞こえるころ

紀夫はタッパーに自家製の漬物を詰め込み前掛け(エプロン)をほどいた。

「この辺りで夕飯にしようか」

「そうだね。親子丼でいいかな?」

手に持っていた鶏肉を摘み上げて紀夫に見せた。

「おう。」

一度、密閉したタッパーからキュウリの漬物を取り出した。

「まだ、浅いけどいいよな?」


麻美は軽くうなずいて鶏肉をカットする。

同時進行でアルミの丼鍋に、だし汁をそそぎ火にかけた。

小さめにカットした鶏肉を、だし汁に放り込むと食器棚へ行き親子丼を入れるどんぶり2個と小鉢を3つ取り出す。

調子よく小鉢と、どんぶりを並べる。

紀夫がキュウリを薄切りにして、並べられた1つの小鉢に乗せた。

続いて玉葱を薄切りにして麻美に渡した。

麻美はその玉葱を8割がた火のとおった鶏肉の鍋へ入れて軽く混ぜて蓋をする。

冷蔵庫から豆腐を取り出し切り分けて2つの小鉢へ盛り付けた。

薬味はショウガと小葱。

グラスに冷えた水を注ぎ、冷奴と漬物、箸を、お盆に乗せて2階のキッチンへ運ぶ頃に、紀夫は溶き卵を作った。

蓋を取ると、鶏も玉葱もイイ感じだ。

さっと溶き卵をそそぎ3秒で出来上がりだ。


仕上がった親子丼を両手に持って二階に上がって来た。

「あちち」

急いでテーブルに置いた。


「今日も、お疲れ様」

麻美が箸を手渡す。

「お疲れ」

言いながら熱々の親子丼を、ふーふー言いながら食べはじめた。

「仕込み、どのくらい?」

麻美が聞いた。

「6割ってとこかな。麻美は?」

「こっちは8割かな。明日は仕込みを終わらせて釣銭を用意しないと」

「両替も手数料、かかるのかな?」

「多分ね」と言い「ん?」麻美が聞き耳をたてた。


「あかちゃんが泣いてる」


漬物を口に入れた紀夫は噛むのを止めて聞き耳をたてた。


「ほんとだ」


おんぎゃー おんぎゃー 


二人で赤ん坊の声を聞いた。

「一生懸命、泣いてるね」

紀夫は「うん」と、うなずくとキュウリの漬物をボリボリ食べた。


食事を終えて紀夫は二人分の食器を洗いながら言った。


「麻美は、少しゆっくりしてて。もうちょっと仕込みをしてくるから」


麻美は親指を立ててニッと笑って見せた。

これで、ありがとうの気持ちが伝わる。


麻美は珍しく疲れが押し寄せてくるのがわかった。

コロっと畳に横になった。

そのまま手を伸ばして畳に置かれたバックの中から手帳を引っ張り出し

手を上げてヒラヒラと掲げた。


「プレオープンの招待客リスト、これでいいかな?」


プレオープンとは、お店を開店する前に

お客を招待して、実際に食べたい物や飲みたい物をを注文しもらう予行演習の様な物だ。


紀夫は、どれどれとリストを覗き込み、さっと読み取る。

「あと4人座れるから、えーっと、不動産屋のつるちゃんに声かけようか」


「あ、それイイね。後で電話を入れておくね」


「おう、頼んだ。」

紀夫は、すっと立ち上がって店内へ降りて行った。


同時に、赤ちゃんの泣き声が止んだ。

「やっと泣き止んだ。良かった。」

麻美は独り言をいって、うたたねをした。


目が覚めたのは22時だった。

「あっ、もうこんな時間!!」

下の店からは、煮豚の茹で上がる匂いが漂ってくる。


「お風呂を沸かさなくっちゃ」


慌てて風呂にお湯を張った。


「ヨンジュウ ニ ド デ オユヲ ワカシマス」


10分ほどでお湯が沸くタイミングで紀夫が部屋に戻って来た。

この日は早めに風呂に入り24時には消灯したが、深夜も赤ん坊の泣き声で何度か目が覚めた。





朝、一番に麻美は「もりや不動産」へ電話をした。


電話を取ったのは事務員の渕上育子だった

「お待たせいたしました。もりや不動産、渕上で御座います」


「お忙しい所すみません。入居者の山内麻美と申します。島津さんをお願いします。」


「承りました。少々お待ち下さいませ。」

「島津さん、お客さんから電話です。内線5番です」

電話を保留にしながら、鶴子を呼ぶ。


「はい、お電話変わりました。島津です。」

「ああ、山内さん。お世話になっています。なにか御座いましたか?」


「いえ、お店のオープン日時が決まったのでお知らせと、プレオープンに来て頂きたいと思いまして、お電話させて頂きました。

4人テーブルをご用意するので、いらして下さい」


「私達がお邪魔していいんですか?」

一応、遠慮している感じで言ってみるが、声は喜々としている。


「もちろんです。素敵な物件を紹介頂きましたから。」


「そんな、、、」

鶴子は感動してしまった。

「あ、有難う御座います。そんな風に言って頂けるなんて、嬉しいです。

ぜひ、伺います。」


「日時は12月6日金曜日、友引です。お友達や同僚の皆さんをつれて来て下さい。

18時~20時の間に、ご来店ください。ラストオーダーは22時です」


「はい、ヨロシクお願い。お腹、ペコペコで伺います!」


麻美が、ぷっと噴出した。

鶴子は受話器をもったまま「えへっ」と舌を出した。

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