ここが新しい職場

レトロな照明の下に、接客用のカウンターがあり、ぼんやりと白い物が見える。

気のせい、、、?

あちらも、こちらを見ている気がする。

「ひぇっ」

少し後ろに下がった時だった。


「やぁ、もしかして見えるの?」

カウンターの向こうにあるドアから太った中年の男が顔を出していた。


「いやだなぁ、太った中年って。表現が直だね~」


心で思った事を、いきなり言われてギクッとなった。


「ぇ?なんですか?」


「ああ気にしなくていいよ。君は正直者だね。

え~っと、物件をお探しですか?」


「ち、違います。本日から配属になりました、島津鶴子です。ヨロシクお願いします。」

「ああ、そうか、こんな時間にお客さんなんて珍しいと思ったんだよ。僕は店長の櫻田博です。宜しく。」

言いながら奥のドアを雑に開く。

「山鹿室長(やまがしつちょう)、新入りさん来ましたよ。」

同時に、こちらを振り返ると、手招きをしてドアの中に入って行った。


鶴子に中へ入れと言っているのだ気づくのに少しの時間がかかっが追いかけた。

室内は整理整頓されたオフィスだった。


「紹介します。今日から営業スタッフとなる島津鶴子さん」


聞いてない。

営業だなんて、聞いてない。

私は技師なんだぞ。

図面を描く人なんだぞ。


「これからは、ツルちゃんと呼ばせてもらいまーす」


櫻田店長、出会って1分でツルちゃんって


「ツルちゃん、はじめまして山鹿幸雄です。つるちゃんと同じ営業担当なんで、よろしく。肩書は室長です。僕たち以外に3人、営業がいます。追々、紹介しますね。」


もうツルちゃんで呼び名は・・・決定だ。

山鹿室長がイケメンなのだけが救いだと思った。


「よろしく、お願いします。」


頭を下げて顔を上げると、室長の隣に居た女性がパッグの中からメガネを取り出して虫眼鏡で小さな物を見るように鶴子の顔を覗き込み言った。

「シロちゃん、新入りさんを気に入ったのね。良かった。」

「はい?」

何を言っているのかと、ポカンとした。

「ああ、ごめんなさい。カウンターに猫がいたでしょ。貴方に付いて来たから、珍しいと思って」

見ると、とても綺麗な白い体にピンクの鼻が可愛い猫が足元にいた。

じっと見ると、グリーンの瞳がとても綺麗な猫だ。


「あ、可愛い。あれ? えーと、カウンターにぼんやり見えたのは・・・、この子?」

「その子はカウンターの白ちゃんよ。可愛いでしょ。

私は事務担当の渕上育子ふちがみいくこです。よろしくね。」


こうして新しい職場での仕事が始まった。


余談だが、この白い猫は渕上と鶴子以外には見えていない様だ。毎日、仕事をしている内に鶴子は気がついた。



事務所の入り口から一番近いデスクが鶴子の仕事場になった。


この部署は手放されたると、この部署に戻って来るらしい。

この先、鶴子が設計図を作った物件もあるかもしれない、、、。


「ツルちゃん、物件の情報はファイルのAからEまでに入ってるから隅々まで確認しておいてね。CとEのファイルは売り物件ね。ツルちゃんには貸し物件を担当してもらいます。基本的に条件を入力すればヒットするからね。」


「はい、わかりました。」

「家賃や立地、間取り、ペット可否、いろいろ条件が絞り込めるんですね」


「しばらくは僕と一緒に物件案内に行くよ」


山鹿室長が、ピースサインで微笑んだ。


内心、頼もしい。

この日から2週間ほど、山鹿室長の仕事に張り付いて研修をさせてもらった。

翌日には山鹿室長以外の営業マンにも会えた。

渡辺修平わたなべしゅうへい30歳は中途採用で入社3年目(既婚)

森田康弘もりたやすひろ35歳(既婚)は鶴子と同じく宅建の資格を取った為に不動産部に配属させられた設計部出身だった。

藤田智也ふじたともや28歳(独身)は鶴子に年が近いが無口で人見知りだ。


鶴子の職場は西日本の森谷市八犬町にある。

森谷市の人口は20万人弱で世帯数は7万5千程で地元に車両の製造ラインがあり、鉄鋼団地と呼ばれる地域が存在している。

それに江戸時代の古い町並みも残存していて、観光地としても機能している為、イイ具合に栄えている町なのだ。

最寄りの駅は、八犬町駅(はっけんちょうえき)

駅から真っすぐに伸びる道沿いに商業ビルが立ち並び、枝分かれする路地に入れば繁華街が広がっている。

沢山ある路地には洋服や靴、バッグなどの服飾系の店が集まる「ファッション通り」飲食店の立ち並ぶ「食の通り」事務所や問屋が集まる「問屋街」と言われる通りなど様々で、この繁華街の一角に鶴子の勤務する「もりや不動産」がある。

車で5分も走れば住宅街が広がり、学校もある。

この地域で住宅の建築ナンバーワン売上を上げているのが「もりや不動産」の親会社と言うわけだ。


物件は思った以上に沢山あり、小さな事務所に物件探しに来る来客も多かった。鶴子は膨大なデータの中から、客のニーズに合った物件を検索するのに疾四苦八苦したと言っていい。


そして11月22日

「ぞろ目の日にデビューしたら、記念日になるんじゃないか」

櫻田店長の冗談で、鶴子の接客デビューの日が決まった。




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