#No.9

 突然顔を真っ赤にして仲間に飛びつく公哉を目の当たりにして、サッカー部員たちは、驚いて唖然としてしまったという。まさかそんなに興奮するとは思ってもみなかったのだ。公哉の寡黙な人格はよく知っていたし、男子だけのロッカールームで下ネタを話題にするのも当たり前だったから。

 チームメイトに殴りかかった公哉に対しては、反感を抱くというより、反省をしたという。楽しいつもりで嫌がる話をしてしまっていたこと、決定的にまずいからかい方をしてしまったこと、大切な仲間の表情をろくに見ていなかったこと。退部直前には謝罪して慰留する部員もいたという。

 相手が実力のある中心選手だっただけに、チームメイトも紳士的に事件を解決しようとしたのだろう。

 でも、胸の奥に居座るナーバスな自分が、公哉のエピソードを自身に置きかえて考えてしまおうとする。

 トップチームでの居心地が悪くなったら、どうなるだろう? 先輩たちと喧嘩をしてしまったら、どうなるだろう? 自分がこのチームではやっていられないと言い出したら、どうなるだろう?

 それに、公哉が自分のために怒ってくれた理由にも「?」が浮かぶ。その真意がどうしても知りたくて、気が気でない。もう少し我慢の利かない性格だったら、いますぐに電車を降りて、走って公哉の家に押しかけただろう。

 頭の中はもう滅茶苦茶になってしまった。

 浮かれて練習に向かっていた数時間前の気分を、取り戻す方法がわからない。

 気がついたら日が沈んでいて、気がついたらトレーニングが終わっていて、気がついたら帰りの電車をホームで待っていた。

 帰宅時に利用する上りの各駅停車は、金曜日の夜でもさほど混雑しない。時には座席を独占して、ちょっとした王様気分を味わえることもある。クラブハウスから帰宅するときは、学校からクラブハウスに向かったのとは逆の方角へ向かい、学校の最寄り駅を通り過ぎる恰好になる。

 車両の連結部に最も近い座席に身を沈め、何の気なしに隣の車両の様子を見つめていると、自分と同じ制服を身に纏った生徒が乗り込んでくる。部活動はあまり遅くまで活動できないから、この時間に部活帰りということはありえない。カラオケなりファミレスなりで長々と遊んでいた生徒だろうか。

 その生徒に興味があったわけではないが、つい、知っている人ではないかと思って凝視してしまう。

「あ……水崎さんだ」

 ぽつりと名前を呟いてから、はっとして周囲を振り返る。自分の声を聴きとれる範囲に人はいないとわかって、ほっと一息。隣の車両の本人にも、当然聞こえていないはず。自分が乗っていることにも気がつかれていないようだ。

 座席により深く腰掛け、窓枠に身体が隠れるように構える。こそこそする必要はないのだけれど、水崎さんが男子生徒を連れていることに気がついて、そうせずにはいられなかった。

 彼は間違いない、クラスのもうひとりの球技大会実行委員だ。とはいえ、まさか実行委員の仕事がこんなに遅くまで続いていたとは思えない。

 隅に置けない、と評してもいいのだろうか。見た目には穏やかで気弱そうな、奥手な印象のある彼女が、夜遅くの電車に異性と乗り込んでくるとは。しかも、実行委員として特別な日を迎える前の日に。

 ふたりは、ちらちらと周囲を窺っている。当然、隣の車両にも乗客は少ない。身体を縮こませる自分のことも見えていないらしい。警戒が薄れていき、憚るような仕草は、だんだんと見えなくなっていく。公の場の中に、ぽつんと、ふたりの世界が形成される。

 悪意はないのだろう。でも周りは見えていないし、見てもいない。

 そうしてついに、見せつけてくるのだった。


 ああ、もう。

 ちくしょう。

 こっちはこんな気持ちだっていうのに。



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