#No.8

 クラブハウスへ向かうのと同じバスで、果音が通学しているとは知らなかった。三年もクラスメイトをやってきたのに、シークレットにされている部分がまだまだ多いようだ。全部を知っているとしたら、きょう「話したいことがある」なんて事件は起きなかったのだろう。

 エナメルバッグを抱えながら、狭い座席にふたりで並ぶのは窮屈だった。

 話は何かと切り出すと、果音はじっとこちらを見つめてきた。

「島倉が辞めた理由、わかった」

「…………」

 あいつが退部届を提出したのは、もう一か月も前のことだ。

 わざわざ調べてくれたのか、と訊きかけてやめた。どうせ、果音の新しい彼氏がサッカー部の人間か、それと仲の良い誰かなのだろう。公哉以外の。

 果音には、話すのを躊躇う様子があった。髪をいじるとか、指先を見つめるとか、常ではない彼女の仕草を見ていると、理由を聞くのはきょうでないといけないのかと感じてしまう。おそらく彼女のほうは、球技大会直前に話すのが良いと思っているのだろう。

 面白がって焚きつけてしまったから。


「どうやら、島倉がほかの部員を殴りかけたらしいんだ」


 果音は努めて目を合わせないようにしながら、ゆっくりと語りはじめた。

「実際に殴ったわけではなくて、もう少しのところで止めてもらったらしいけれどね。とにかく、それくらい腹を立てて、諍いを起こしちゃったらしいの」

 彼は以前から、チームメイトに不満があると言っていた。ロッカールームが気に入らなかった、と。

 しかし、部活動で組まれるチームなら、一年ごとに卒業生と新入生とが入れ替わる。相性の悪い部員がいても、それが先輩であれば、いつかはいなくなる。三年も積もり積もった感情があったとなると、同級生に反りの合わない相手がいたのだろうか。

 それにしたって、彼が怒り狂うことがあるとは思えない。

「いったい何があったの? あいつはプレーで熱くなる奴ではないし、グラウンドの外でも感情的になるとは考えにくい」

「それが……話していいのかな」

「教えてよ。いまさら本人の口から聞き出そうなんて思わない」

 ふう、と彼女は息を吐いた。

「男だらけのロッカールームって、どういう話題になるか想像つくでしょ? 島倉は、それがどうしても受け入れられなかったみたい。『気持ち悪い』って言って」

「エロい話が耐えられなかったってこと?」

「……あんたも遠慮がないね」

「だって」

 理解できないわけではない。

 相容れないという直感は、自分も共通して持っているはずだ。視線の向かう先とか、親身に感じる相手とか、無意識のうちに処理されてしまい自力ではどうにもならないところに、核心的な差異が隠れていることもある。

 しかし、やり過ごすことも不可能ではないと感じてしまう。「気持ち悪い」感覚は確かに普通ではないけれど、防衛本能らしきものがはたらきそうなものだ。自分がそうしてきたように、己に麻酔をかけてやり過ごす方法を選べなかったものか。

 少なくとも、あの公哉の話だ。人に殴りかかるほど頭に血が上るなんて、よっぽどのことである。「気持ち悪い」対象からは逃げ出すこともできるのに、向かっていった。何か直接のきっかけがあったと考えるほうが自然だ。

「何か許せないことを言われたの?」

 果音はこくりと頷いた。

 そのとき、バスが停留所に到着し、ブレーキのために身体を揺さぶられる。乗り降りする人々が気になったのか、一時、果音は口を閉ざす。乗降が終わってバスが再び発車してから、眉を歪める悲壮な表情で、耳打ちしてきた。


「『汐入ともヤれるか?』ってちょっかいをかけられたんだって」



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