#No.6
夕方からトップチームに加わるという日でも、学校には行かないといけないし、昼休みもやってくる。お腹も空く。
果音は自分とではなく、イケてるグループと一緒にお昼をしていた。球技大会ではバスケットボールにエントリーした集まりだ。一方でフットサルのほうに団結の気配は少ない。何度か集まったけれど、試合の勝敗はクラブチームに所属するサッカープレイヤーに一任する気でいるらしい。水崎さんも特段呼びかけようとはしない。
果音と一緒のお昼が気楽なのだけれど、それができないとなれば適当な場所を探すことになる。教室でも学食でも、他人の目のあるところで弁当を開くのは好きではない。
「あ」
ピロティを通り抜けようというとき、物陰に人の気配を感じた。シューズの色を見るに、三年生。自分と同じように人目を憚って学校生活を送っている同級生といえば、実力があるくせにサッカー部を辞めた不届きな輩しか考えられない。
「公哉、あんた、まだ教室が気まずいの? 退部してから二週間も経つのに」
見上げて睨みつける視線は、「そっちこそ」と訴えていた。
勝手に隣に腰を下ろして、弁当を開く。アスリート仕様だ。考えもなく教室でこれを開いた高校一年生当時の自分を叱ってやりたい。気にしないでくれるのは、いま思いつく限り、果音と公哉だけである。
いつも最初に手を付けるのは卵焼きだ。柔らかい食感から口にすることで、なんとなく、食事を始める気分になる。ただ、きょうばかりはどうにも重たい。
たぶん、溜まったものがあるからだ。
「ねえ、ひとつ報告」
「何」
「きょうからトップの練習に参加する」
彼は黙っていた。意味はわかっているはずだ。
もとより言葉はくれないだろうと予感していたので、表情を伺おうと顔を覗きこむ。すると彼は警戒したらしく「ふうん」と言って表情を誤魔化した。内心ちゃんと祝福している、とは正直な心理だったのか。疑わしく思わざるを得ない。
こいつにしてみれば、あまり聞きたくない話なのだろうか。
そうだとしたら、ちょっとだけ嬉しい気もしてしまう。
話してみても箸が進む気はしなかった。話題を間違えていたらしい。
「ねえ、そろそろ教えてくれない?」本当に話したいことといえば、このことだろう。「あんたが急にサッカー部を辞めた理由」
もう半月も知らないままだ。
幼き日に同じピッチでプレーした仲間として、知りたい気持ちに応えてくれてもいい気がする。それだけの友情がすでに賞味期限切れなのは重々承知しているけれど、それに縋ってでも教えてほしいのだ。さもないと、再びグラウンドで出会う日が来たとしても、ともにプレーできないような気がしている。
でも、許しは得られなかった。
「言っただろ、ロッカールームが気に入らなかっただけ」
以前聞いたときとは表現が変わっている。
「三年生になっても?」
「嫌なものは嫌なの。お前もわかっているだろう?」
そんなふうに同意を求めるなんて卑怯だ。
お前のことなら何でも知っている――あんたにそんな態度を取られたら、言い返す言葉を見失う。
でも、ひとつも納得はしていない。全部を知られているはずがないのだ。公哉が上手にカマをかけているだけだし、自分も麻酔に慣れ過ぎていただけのこと。あんたに比べてこっちは大変なんだ、と否定してやればいい。
「お前はさ」
反論が口をついて出るより早く、彼が問うてきた。
「いつから一人称を避けるようになった?」
「…………」
全部は知らないはず。
全部は知らないはず。
全部は知らないはず。
「バレていたの?」
「気がつかないわけがない。結構、不自然な話し方をしていると思う」
不自然か。
そうだよね。
「いつからだろうね、高一の二学期くらいかな? ほら、国語の授業。性格に合わせて言葉が選ばれるんじゃなくて、言葉が性格を規定するなんて話があったでしょ? 一人称がいい例だって聞いて、変に気にしちゃって」
ごめん、全部は知られたくないんだ。
「『わたし』と言わないほうが、自由だったか?」
「……ほら、わたし、男っぽいキャラで通ってきたから」
嘘を吐いた。
言葉を変えたくらいでは自由になれなかった。
本当に自由を感じられるのは、ゴールマウスの守護神でいるときだけだ。
「男っぽいキャラって、お前にとってそんなに大切だったか?」
悟られていたのか。
だんだんと疎遠になっていく中でも、彼は見抜いていた。そう思うと、自分のほうこそ、彼の変化に鈍感だった――サッカー部を去った理由を、未だに察することができずに本人に訊いてしまうのだから。
全部を知られることはなくても、隠していられる相手ではなかった。
「中三のときから、言わなくなったかな」
不用意に他人に「?」を抱かせてはいけないと、そのとき学んだ。
友達と話題にしていたのは、前日の夜に放送されていた連続ドラマ。甘ったるい恋愛もので、ストーリーよりもキャストが目立つような作品だった。内容の割に人気が高く、翌日の教室では、お気に入りのシーンについて語らわれていた。
でも、自分はあまりに鈍感だった。気に入ったシーンを素直に話せばいいと勘違いしていた。必要だったのは、恰好いい主演の俳優を称えること。誰も、相手役を務めたアイドルの話など求めていない。
それ以前から、自分がテレビを見る視点は女の子に向いている場合が多かった。あのとき、冷え切った痛々しい「?」を浴びせられたのは、偶然の事故ではない。それ以来、「男っぽい」という評価の本当の意味を理解した。
「そういえば、アイドルが好きだったな。いまはそれほどでもないようだけど」
彼の何気ない言葉に、肩を竦める。その肩の内側に、にやにやと笑ってしまう表情を隠していた。
話をしなくなっただけで、いまでも好きなんだよ。
ふと見上げると、眼前のグラウンドで男子生徒の集団がボールを蹴って遊びはじめていた。わずかな昼休みの時間にスポーツを楽しもうと、大急ぎで昼食を済ませる生徒は少なくない。自分に言わせれば足元の技術がまだまだ甘いものの、本当に楽しそうだ。
教室で誰かの机の周りにたむろするより、ずっと。
「悪かったな、無理に話させて」
いつの間に食べ終えたのか、公哉は弁当箱を片づけだした。他人のことを言えたクチではないが、普段からひとりで食事していると、食べるのが早くなる。
「ちょっと、まだ半分も食べてないのに行っちゃうの? というか、こっちは正直に話したのに、あんたは何も話してくれないわけ?」
立ち上がりかけていた彼は、「ああ」と言葉を選んだ。
「だから、悪かった。お前が相手だと話せそうにない」
「ええ、そんなの不平等だ!」
訴えは届かず、彼は背を向けた。
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