第一章 9『光から闇へ』

 先ほどまで騒がしくしていた部屋も時計の針が聞こえるほど静寂が流れていた。 真堂はまたもソファに座って天井を眺めながらボーッとしていた。 


 時計を見ると短針が八を指しており、 長身はちょうど十二を指していた。 

 真堂はソファから立ち上がり、 財布を握りしめコンビニへ行こうと玄関へ向かう。


 母親を早くに亡くし、 父親は海外へ出張をしている。 そのため、 毎月振り込まれるお金でひと月をやりくりしなければいけない。 いつもは冷蔵庫に買い溜めをしているゼリー飲料で腹を満たすのだが、 それも今日で尽きたために夜食の調達が必要なのだ。


 ドアを開けるとまさしくインターホンを押そうとしている田宮が目の前にいた。 突然ドアが開いたものだから田宮は驚きのあまり持っていた鍋を落としそうになりながらもなんとか耐えた。


「びっくりしたー。 どこか出かけるの?」


「別に。 飯買いに行くんだよ。 てかいつ戻ってきたんだよ。 野々山とかと出かけたんじゃなかったのかよ」


「ちょっと前に帰ってきたの」


「あっそ」


 優しく答える田宮にぶっきらぼうに返す真堂。 目線は鍋にしかいっていなかった。 それを察したのか田宮は両手で持っているその鍋をひょいひょいと前に差し出してきて真堂をからかった。


「んでなんか用?」


 咳払いしてから真堂は聞いた。


「なんか用って……わかってるくせにー。 あんたと一緒に食べてあげようと思って持って来たのー。 いらないならいいけどね」


 田宮は片足で立ち、 膝と右手で鍋を持ち上げ、 左手でドアを閉めようとした。


「あああ。 ──わかったよ。 食ってやるよ」


 真堂は閉めかかったドアを開けて、 田宮を家の中へと招き入れる。 ゆっくりとドアを閉め、 田宮の方を見るが慣れたようにリビングへと進んでいき、 そのままキッチンへと曲がっていった。

 真堂もリビングに戻ると、 田宮はキッチンで支度をしている。 真堂はそれを見つめていた。

 田宮は四年前に真堂の父親が単身赴任で出て行ってから定期的に家に訪れるようになった。 それもベストタイミングといった具合に食料が底を尽き、 資金もかつかつになってきた時にだ。

 まるで真堂を加護の魔法で見守っているのかのように。


 ──食卓の机にはいい匂いの湯気が立ちこもる。 田宮が前回、 家に食料を届けに来た時以来使っていなかったホコリを被ったスプーンを少し水で濯いでから持ってきた。 真堂は差し出されたスプーンを受け取ろうとするが田宮はスプーンを取らせないようにスプーンを引いた。


「なにか言う事があるでしょ?」


 田宮は嘘くさい笑みで問いかけてくる。 恒例の流れだ。


「……あぁと」


「なーに? 聞こえなーい」


「あ・り・が・と・う」


 真堂はハキハキと口を開き感謝の言葉を言わされた。


「はーい、 よくできました」


 また嘘くさい笑みを浮かべた田宮は真堂にスプーンを差し出す。 真堂はそれを呆れたように受け取りカレーを食べ始めた。 


 味は美味しかったが絶品まではいかなかった。 じゃがいもは不細工な切り方で大きさはバラバラだし、 肉もちゃんと切りきれてない。 にんじんも田宮の器に比べて多く入れられていた。 田宮がにんじん嫌いだからだろう。 おまけに余り物のタコさんウィンナーまで入れられている。 百点満点中なら三十点が妥当なカレーだった。 


 だが、 それでも美味しかった。 気持ちがこもっているなんて理由ではなく、 ただ単にそれも普段の献立がゼリー飲料だからと真堂は思った。



 ──時計も長針が六の数字と重なりそうになっていた。 真堂はスプーンを置き、 お腹を叩きながら大きく息を吐いた。 田宮も同じように大きく息を吐いた後、 真堂を見つめていた。


「なんだよ」


 あまりに見つめてくるので真堂は仕方なく聞いた。


「美味しかった?」


 田宮は毎度の嘘くさい笑みを浮かべながら聞いてきた。


「まじー」


 瞬時に反応した真堂に田宮は笑みを崩さないまま顔だけ近づけてきた。


「──はあ。 美味かった美味かった」


 そう答えた真堂が適当に遇らっているとも気づかずに田宮は嘘のない満面の笑みで満足気にイスから立ち上がり、 自分と真堂の器を持ってキッチンへと向かっていった。 水の流れる音と食器を洗う音が聞こえてくる。

 しばらくしてから洗い終えた田宮がリビングに戻ってくるとまたイスに座った。

 そして、 机に頬杖をしている田宮はテレビ横に置いてある二人の幼少の頃の写真を見ていた。


「懐かしいね。 小さい頃よく遊んでさ。 公園で花を使って首飾りなんて作ってくれてさ。 嬉しかったなー」


「いつの話してんだよ。 もうとっくに忘れたよ」


「昇飛は昔から虫が嫌いで、 公園で虫が出るたびに私が守ってやってたんだからね」


「それも忘れたよ」


「──恩知らず」


 田宮はあっかんべーをしながら鍋を持ち上げ玄関へと向かい出した。


「もう帰るのか?」


「一応お母さん帰ってくるかもしれないし早めに戻っとこって思って。 それに恩知らずな誰かさんとは一刻も早く離れたいから」


 またも舌を出しながらドアを開ける田宮にさすがの真堂も笑うしかなかった。


「じゃあな佑奏」


「またね昇飛」


 互いに軽くあいさつを済ませ、 音を立てながらドアが閉まった。


 またも静寂が流れる事に若干の孤独感を抱きながらも玄関を後にした。 リビングはほのかにカレーの匂いと田宮の匂いが残っていた。 シャワーでも浴びようかと真堂が着ていた上着を脱ぎ、 シャツも脱ごうとしたその時だ。


「あいつが田宮 佑奏か」


 真後ろから声がした。 聞き覚えのない声。 それも低く、 生気のない声だった。

 なんの前触れもなく現れた声に真堂は勢いよく振り返り、 手のひらから閃光を放ったが声の主はいなかった。 代りに、 少量の灰の様なものが舞っていた。 それが舞っているのを目で追っていると、 またもや背後から声がした。


「さてどうするか」


 次は外すまいと狙いを定めるがやはりいなかった。 同じように灰が舞うだけで、 どこにいるかさっぱりわからなかった。


 すると、 後ろから床板が僅かに軋む音がした。そちらの方向に向かって闇雲に閃弾を浴びせようと腕を持ち上げながら勢いよく振り向く。その刹那。 全身にとてつもない衝撃が走り、 後方へ突き飛ばされた。 

 あまりの威力に玄関のドアを突き破り、 表の道へと吹き飛ばされる程だった。 

 そして、 表の道に停めてあった車と衝突しセキュリティアラームが鳴り響き始めた。

 真堂は感じたことのない痛みと体内から込み上げる血液で膝から崩れ落ち、 吐血した。


 真堂は震える身体で必死に立とうとする。 だが、 骨が何本か折れているのか身体のあちこちで激痛が走る。 たった一発の攻撃でここまで追い込まれるのは真堂も初めての事だった。 

 なんとか痛みに耐え立ち上がった時に家の中から何者かが出てきた。 その男は黒いロングコートに黒いスキニーを履いていた。 

 その男は先ほどの生気のない声が嘘かのように豪快に笑っていた。

 そして、 真堂の目の前まで来て、 顔を覗き込むようにしゃがみ込んだ。


「御宅は本当に『闘乱の』か?」


 不用心に近づいてきた男に真堂は力を振り絞る。 男の真上で光の矢を生成し、 放ったのだ。 しかし、 またも男は灰を残し消えた。

 次は衝突してセキュリティアラームが未だに鳴り響く車の上で立っていた。


 ──瞬間移動


 真堂は直感的にそう思った。


「うーん。 センスはいいけど遅いな」


 男は真堂の髪の毛は引っ張り上げ、 冷たい目で見ている。

 すると、 左側の道から誰かが近づいてきた。 男と同じようなロングコートを身につけている。


「血……血……血だ……」


 近づいてくる男はそんな言葉を発しながらフラフラと歩いてきた。


「レオニード。 こいつは魔法使いだ。 血はお預けだ」


 男の言葉を聞いた途端にピタリと止まりブツブツ呟いていた独り言も言わなくなった。

 そして、 男は思い出したかのように真堂の方に向き直った。 


「ダニール。 この名前に聞き覚えはあるか?」


 男は生気のない声で再び喋り出した。


「ああ。 俺のことをコソコソ追っかけ回してたやつか」


「彼に君を追わせてたのは私だ。 少々、 気になることがあってね。 今夜それを受け取りに来たんだ」


 真堂はさっぱり何を言っているかわからなかった。 しかし、 なにか良からぬ事が起きるのは目に見えていた。 流血は止まらない。 痛みも引かない。 ここから挽回しようにも周りの住宅を巻き添えにしてしまう。 どれだけ思考を巡らせても勝つ手立てがなかった。 


「なにしてるの?」


 次は聞き覚えのある女の声が聞こえた。 田宮だ。 セキュリティアラームが鳴りっ放しになっているので玄関から顔だけを出す形で見てしまったのだ。

 車の上に乗っている男が血だらけの知り合いの髪の毛を持った状態。 普通なら怖気付きそこから動けない。 だが、 彼女は昔から虫から男子を守るほどお節介なのだ。


 それを見るなり田宮は家から飛び出して男の手を叩き、 真堂の髪の毛を手離させた。

 真堂は田宮に家に早く戻るように目配せをするが全く聞かない。


「へぇー。 隣の家だったのか。 運命じゃん」


 男はにたにたと笑っている。

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