20210612:操り人形の言うままに

【第166回 二代目フリーワンライ企画】

 操り人形

 嫌いにならないで

 置き場所がない

 飲みかけのコーヒー

 おそろい


<ジャンル>

 オリジナル/現代・ちょっとホラー?


==================


 自分の荷物よりも大きなトランクを部屋に引き上げて、潮(うしお)は深々と溜息を吐く。小さな三和土から眺める東京の我が家は改めて見ても狭く汚い。

 両親や、祖父母や、村長や、幼なじみの青年団団長や、団長の妻に収まってしまった初恋の君や、先生と呼ばれる村の神社の神主は皆、判っているはずだというのに、持っていけ連れて行けとことあるごとに潮に言った。

 事を荒立てるのを避けたと言うか、流されたというべきか。

 トランクに続き、履きつぶしかけた汚れたスニーカーを脱ぎ捨て上がる。ただいまと誰もいないのに口をつくのは、上京するまでの十八年間に染みてしまった習慣ゆえだ。

 玄関周りのそれでも比較的床の見える場所で巨大なトランクを横たえる。大仰で古めかしい金具を音をわざと音を立てて外していくと、再びのため息と共に蓋を開けた。

 少女の人形が目を閉じ静かにトランクの中に収まっている。

 潮は人形の首の後ろに手を回す。背中を探り人形を起こす。手を添え、そっとまぶたを持ち上げる。つぶらな瞳が静かに潮を見返してきた。

 切りそろえられた前髪は黒くどこまでもまっすぐで。腰まで届く後ろ髪も癖一つなくつややかで美しい。丁寧に作られた胡粉の顔は上品で、姫というにはやや簡素な、町人というには品のある、赤と藤の着物を着ている。

 潮は背中に回した手で探る。芯を持ち上げ、正面から相対する。片手で力なく垂れ下がる人形の片手を持ち上げる。

 操り人形だ。本来の形は三人で一体を操作する、文楽人形によく似ている。

 文楽人形より二回りほど小さくて、一人で操作できるように紐やら板やら着いてはいらが。

 じっと人形の、シミ一つない顔を見つめた潮は、ふっと淡い笑みを漏らした。

「仕方ないなぁ」

 呟くと潮は部屋を見渡す。確認するまでもなく、狭い部屋には置き場所がない。

「どうすっかなぁ」

 片手で人形を支えつつ、空いた片手で頭を掻きつつ、ベッドの脇にそっと置いた。


 ――置いていかないで。


 人形は名を「静」と言った。

 潮の出身である山奥の小さな村は、郷土芸能として素人文楽が伝えられていた。

 村の子供は十を数えると人形を与えられる。男児には娘人形を。女児には若衆人形を。

 人形を与えられた子供は人形を操る術を学び出す。遊びは学びに変わり、学校以外のあらゆる場に人形は持ち込まれた。中学に上がる頃には、秋の祭りで素人文楽を上演するのが習わしだった。

 進学で就職で村外に出た物も、秋祭りには帰って来た。そして文楽を村の氏神へと捧げるのだ。


 ――私と居て。


 潮の毎日は忙しい大学生としては標準的なものだった。

 朝はコンビニバイト。日中は講義に出席し、午後は講義か、家庭教師バイトか、三コマぶち抜きの実験に費やされた。土日はもっぱらコンビニである。

 サークルも一応所属はしていた。テニスサークル、と言いつつ、もっぱら飲み歩いていると有名なサークルである。珍しくバイトも講義もない夕方は、サークルに合流し安い酎ハイを傾けることもしばしばだった。

『彼女』という存在は残念ながらいたことがない。しかし、可愛いと思う後輩はいて、その子が実家通いだと知ると、そろそろ考え始めなければならない就職の選択肢に『この町に残る』が入ってきた。

 校内ですれ違うと、後輩は笑顔を漏らし会釈をしてきた。

 校外でわりにしょっちゅう『たまたま』会うと、こんにちはと挨拶してきた。

 潮のバイト先のコンビニの常連で、潮が呑みに参加する日は後輩も参加していることが多かった。

 だから。

 少しばかりお互い飲みすぎてしまった日。後輩が帰るための電車を逃した日。

 潮は後輩の手を引き歩き出し。後輩も否を言わなかった。


 ――私を見て。


「面白いんですね、先輩の田舎って」

 最初、驚いた後輩は、すぐに気にしなくなった。潮の故郷の伝統を聞くと、興味を示してさえ、みせた。

 いいですかと断ると、人形へとそっと手を伸ばす。壊れ物を扱うように、そっと持ち上げ、髪を撫でた。

「気持ち悪くない?」

「どうしてですか? 可愛いです」

 酔い覚ましの飲みかけのコーヒーが冷めるのも気に留めない。

 後輩は見入ったように人形をなで続ける。

「すごく、かわいい、です」

 なで続ける。

「町田?」

 びくりと肩を揺らした後輩は、何でもないと人形を置いた。


 ――見つけた。


 就職活動に向けた動きが始まると、潮は日々の暮らしに忙殺された。

 朝のバイト、日中の講義に、研究室での活動が加わり、就職説明会への出席などもぼちぼちと入ってきた。

 実験は時間ばかり喰って必修のくせに単位効率はよろしくなく、けれど手を抜くわけにもいかない。

 バイトを減らし金銭的な余裕も減り、呑みに行く頻度も自ずと減った。

 だから、気付かなかったのだ。

「先輩!」

 知った声を久々に耳にし、潮は缶コーヒーを呷った姿勢で振り返った。

 お嬢さん風の箱入り娘な姿を探し、思わず三度瞬いた。

 お嬢さん風、というところは変わらなかった。ただ、方向が違っていた。

 ふわりと柔らかくウェーブのかかった肩までの髪は、黒い直毛に変わっていた。

 額に薄く落としてた前髪は、まぶたの辺りで量も多めに切りそろえられている。

 西洋人形を思わせていた雰囲気は、日本人形のそれに――文楽人形の雰囲気に変わっていた。

「最近、サークルに来てくれないですね」

「あぁ、その、忙しくて、なかなか」

 後輩は潮を見上げると、はにかんだ笑みを見せた。そっと手を伸ばしてくる。潮の腕をつつき、触れる。潮の腕を顔を埋めるように取る。

 ほんの少し背伸びをする。耳元で声を落としてそっとささやく。

「先輩の故郷に行ってみたいです。秋のお祭に」

『静』とおそろいの髪型で、『静』のように静かな顔で、潮が操る『静』のようにしとやかに、どこに行くにも一緒だった『静』のように。

 潮は無意識に後輩の背に手を回した。『静』の芯を探すように背を撫で、びくりと揺れた後輩に、慌てて気付いて手を離した。

「ごめ、ん、行かないと」

 潮は慌てて次の講義へと足を向ける。


 ――私はあの子。あの子は私。


 深夜よ呼ばれる時間帯に帰宅し、小さな部屋を見渡してみる。

『静』はいつもの通り、ベッドの上で潮の帰りを待っていた。

 潮は『静』に構う間もなくベッドに入る起きればそのままバイトへ行く。


 ――嫌いにならないで。


「先輩」

『静』が現れたかのように、今まで以上に後輩はコンビニへ通ってきた。時には、潮の上がりを待って、一緒に登校することもある。

「先輩もあの人形を操るんでしょう? 見てみたいです」

 潮の手を取り、後輩は声を弾ませる。

「すごいですよね、村全体で伝統芸能を守ってるって」

『静』のような髪をいじり、潮を促すように見上げてくる。

「私と一緒じゃ、駄目ですか?」

 潮に背中を探られながら、瞳を潤ませ、訴えてくる。


「お前が、言うなら」

 帰らないつもりだった祭に帰ることになり。

 地元の企業を探す話が何故か進み。

 後輩の希望が、院からIターンに変化していき。


 気味の悪さは、諸手を挙げる両親、祖父母、村長、団長、団長の妻、そして神主たちに押し流された。


 ――帰りましょう。


 潮は地元で就職する。

 後輩は潮を追って、Iターンすることがいつの間にか決まっていた。


 ――ずっと一緒よ。私の操り人形と一緒に。


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