20210605:ボクらはみんな

【第166回 二代目フリーワンライ企画】

 ぬいぐるみ

 ノーブランドのスーツ

 正視できない

 当然の権利

 あの頃の〇〇は


<ジャンル>

 オリジナル/現代ファンタジー。


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 パステルカラーのノーブランドのスーツケースの中に詰められて、ボクらは今日、捨てられた。

 スーツケースのファスナーにつけられたままの子猫の小さな人形は、振り返りもせず歩いて行くキミの背中を見送った。

 大熊はファスナーをこじ開ける。子供の背丈ほどもある、子熊の古い巨大なぬいぐるみは、マンションを見上げ溜息を吐く。

 大熊に続いてファスナーから零れるように落ちた人形のボクは、大熊とともにスーツケースを押し始めた。

 キミの涙を受け止めた手は、今スーツケースを押している。

 涙で出来た染みをそのままに、ボクらはキミに捨てられた。


 *


 初めはただただ草臥れ果てたキミだった。

 大熊に顔を埋めて、イルカを抱いて、草臥れて眠る日々だった。

 やがて寝付けない日が増えてきた。イルカをまくらにスマートフォンの明かりを見ながら、ぼーっとしていることが増えていった。

 ある日、大切にしていた長く綺麗はウェーブヘアをバッサリショートに切ってしまった。

 ボクらをベッドの隅に追いやって、薬を片手に眠る日が増えていった。

 フリルの可愛いシャツが消えた。

 フレアの柔らかいスカートが消えた。

 クローゼットにノーブランドの飾り気のないスーツがいくつも並んだ。

 鞄も靴もハンカチも。シンプルな物に変わっていった。


 そしてボクらは古いスーツケースに詰められた。


 *


「せんぱいとか言うヤツのせいだろ?」

 イルカは『せんぱい』に言われたという言葉を全て覚えていた。

 ――そんなチャラチャラした無駄なものばかりに金をかけるから、満足に書類も書けないんだろ。

「泣いてたよ。悔しいって。悲しいって」

 ボクは両の手を見つめる。

「だからさぁ、当然の権利だと思うんだぁ?」

 大熊はのんびり不穏な笑顔を浮かべた。

「恩返し?」

 ウサギはファスナーから顔を出した。

「どうせ見つかったらもやされっちまうしな!」

 カエルのフィギュアはぼすぼすとケースの中で暴れ回った。

「せめて、今までの思い出を全部ぶつけてやろうじゃないの」

 通信機能を持った少女の人形は大熊へと指示を出す。


 *


『せんぱい』を探るのは少女の仕事。

 大熊は夜陰に紛れてスーツケースを押し続ける。

 程なく見つかった部屋の前で、全員ケースに隠れて待つ。

 お節介な隣人が『邪魔よ、ちゃんと部屋に入れなさいよ!』と有無も言わせず玄関の中にスーツケースを押し込んだ。


 *


「ぬいぐるみ、が」

 男はこめかみを押さえながら忌々しい物でも口にするかのように言った。

「ぬいぐるみの詰まったスーツケースを押しつけられたんだ」

 自席の椅子に腰を下ろす。長い溜息が口をつく。

「それから夢にぬいぐるみが出てくるようになって」

 チャイムが鳴る。男は再び長い長い溜息をつく。

「夢? 先輩お疲れなんじゃないですか。休んだらどうです」

 隣席のキミは、飾り気も化粧気もなく括っただけの髪を僅かに揺らして、一度男を見るとすぐに画面へ視線を戻した

 男の鞄に忍び込んだカエルのフィギュアは、その様子をプラスチックの瞳に映すと、鞄の奥に戻っていった。

 男は乱暴に鞄を置く。乱れた髪をさらに乱して口の中で呟き続ける。

「気のせい? 違う。事実だ。でも。そんなはずは。ありえない」

 キミは躊躇もせずに立ち上がった。あの頃のキミなら、きっと心配そうに声をかけた。あの頃のキミなら、暖かく優しい部屋に帰ってボクらに一部始終を話してくれた。

 キミは躊躇もせずに上司の下へと歩みを進める。

「課長、先輩が気分が悪いようです。休暇か、もしくは、産業医に」


 ――あの頃のキミは、優しくすることを選択しただろうけれど。


 さよならと、カエルのフィギュアは人に聞こえぬ声で呟く。

 さよなら。ボクらにはもう、出来ることは何もないから。

 男は部屋に帰るだろう。寄り道したとして、結局行ける場所など何カ所もない。

 そうしたら、カエルは仲間の元に戻る。かわいらしいノーブランドのスーツケースの中に戻る。

 大熊はきっと提案する。仲間は誰も否を言わない。


 ――あの子の好きだった川に行こう。


 川に着いたら、ボクらはみんな。

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