20210410:三つの願い
【第159回 二代目フリーワンライ企画】
なんだかめんどくさくなってきた
三つの願い
その話はしないで
ぼろぼろになったクッション
痛そうな転び方
天国から地獄
<ジャンル>
オリジナル/気持ちはSF
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×●商事人事部採用担当、太田和子。
ありふれた姓名と、社名部署名の書かれた名刺を出して深々と頭を下げる。
「おおたかずこさん」
「はい」
慣れ切った曇りのない笑顔を見せる。
名刺を受け取った側のスーツの男も慣れた様子で名刺をしまった。
「この度は当社にお声がけ下さり、ありがとうございます――」
流暢に言い、頭を下げる。下げられた向こうも慌てて頭を下げ返す。
どこでも見られる社交辞令を繰り返してようやく本題に入るころ、相手はふと目を瞬いた。
「なんでしょう?」
「あ、いえ、その。すみません不躾でした」
和子は肩までの闇色の髪をふわりと揺らして僅かに首をかしげて見せる。
相手はほんのり頬を染め、落ち着かなげに視線を逸らした。
「目の色が、綺麗だな、と」
「あぁ」
和子は柔らかい笑顔を見せた。ビジネス用に作ったものとは少しばかり違う笑顔を。
「母が日本国籍ではないので」
一見黒に見える和子の瞳は、よく見ると深い碧をしていると、親しい人は口をそろえた。
父、父方の祖父母、数少ない友人、そして、母。――瞳の色は母親と同じものだった。
「そうですか。ステキな色ですね」
「ありがとうございます」
「では、本題に。こちらへどうぞ」
和子は社交辞令に戻りながら、ビジネス用に戻った笑顔の裏でふと、気付いた。
男は、どこの国、と聞くことはなく。
和子はその時、単なる仕事相手だった。
*
仕事を重ねるうちに、個人的に合うようになった今でも。
*
見上げた夜空に光の筋が過っていく。
一本、二本、三本、四本……十数本。
あちらこちらから歓声が上がる。
和子もまた息を呑み、思わず小さく声を漏らした。
「凄い」
「だろ?」
高軌道で人工衛星から特殊な金属球を打ち出すと、金属球は落下しつつ、摩擦で体積を減らしつつ、火の玉になり、やがて大気中で消滅する。いわゆる人工流れ星である。
時間と場所を制御することが可能なそれは、最初は単なる流れ星として。やがて『願い』を中に封じ込めるという『ロマン』を売り子ものにした商売として定着した。
その中に願いを封じ込めるための球の開発に寄与したのが、田沼光弘の努める大学だった。
付き合っているといえるほど深くもなく、友達というよりは親密に和子と光弘は親交を重ね、光弘の提案で和子は流れ星を購入した。
和子は三つ。光弘は一つ。
和子と光弘の流れ星は、同じような購入された十数の流れ星とともに流れて大気に解けた。
「人の思いは三次元の物理現象には影響しない」
「なに、突然」
「けれど確かに『現象』には寄与する。うちの先生がそんなこと言いだしたんだ」
光弘は事務員である。夢を追い求め研鑽を重ねる学生ではない。
しかし時折、世間離れしていることがあると、和子は思う。
「三次元に影響しないなら、何に影響するの?」
三次元とは縦横高さの空間そのものであるとは、和子の知る一般的な常識だ。数学では三次元では表せない次元も扱うというが、それは和子の知る世界ではない。
「隠れた七次元だってね」
「隠れた?」
光弘は頷く。言葉を続ける。
「計算上、十一次元ないと上手く宇宙が作れない。けれど観測できるのは三次元と、時間の軸の四次元だ。ならば七次元がどこかにあるはず。そのどこかにある七次元に思いは記録されるんじゃないかって」
そして夢見るように光弘は続けた。
思いを乗せた鉄球は空中で溶ける。
解けた屑は大気に溶け、地上へと降り注ぐ。
思いは地上へ降り注ぐ。
そんなロマンを信じられたらいいのに。和子は思う。
*
「天国というものを想像する。地獄というものを想像する。太古の昔から人は宗教の中で、天国と地獄を規定する。天国は大抵『上』にあり、地獄は大体『下』にある」
駅へと向かう道で。電車の中で揺られるうちに。一人で済ます昼食の最中に。湯船で一息つく時間に。
いつの頃からか、そんな言葉を和子は思い浮かべるようになっていた。
「西洋ではこの世は地獄であり、修業の場であり、死して天国へ行くとも信じられて来た」
それは一神教の話ではないか。多神教ではもっと別の世界があるのではなかったか。思うのに、言葉は止まらない。まるで聞こえているかのように、だ。
「だから、天国から地獄へ『使者』が下りても不思議じゃない。そうは思わないか?」
思わないかといわれても。
湯船で目を閉じていた和子は、のぼせ始めて目を開く。
そこで思わず、瞬いた。
「願いが形になればいいと願っただろう!?」
二頭身の『天使』は元気よく笑顔を作った。
和子が願ったのは、母に会うこと、自由になること、そして、もう一つ。
形になることをもちろん希求している。しているのだが。
*
風呂から上がった和子は寝室のクッションを抱え上げた。硬いフェルトで編まれた縫いぐるみのようなぼろぼろになったクッションは、エキゾチックな色と模様が伺えた。
「お母さんとの思い出だな!」
キンキンと通る声で『天使』は評する。
和子は顔をしかめつつ、そうよ、と小声で天使に応じた。
隠された七次元に人の思いが影響を及ぼすのであれば、隠された七次元が人の思いに影響を及ぼすこともある。『天使』はそうしたり顔で和子へと説明した。つまり、『声』を聴いているのは和子一人であり、姿を見ているのもまた、和子だけである、と。
そう分かっていて、『天使』はキンキンとまくし立てる。
「お母さんはパスポートのために国に帰らなければならなかった。そしてお母さんは帰らなかった。和子はその時二重国籍状態であり、この国にとどまることが出来ていた。成人してこの国の国籍を選んだから、名実ともに和子はこの国の人間だ。和子は本名を捨てて日本名を名乗るようになり、名実ともに日本人になることを選んだ」
全て本当だった。和子は『天使』を無視して寝室を出ると冷蔵庫を開ける。思考を乱す手段で『天使』は消える。それは幾つも行った実験のうち、効果を上げた一つだった。
『天使』は和子の願いを当てた。和子の知っていること、知らないことを言い当てた。最初は興味半分気味悪さ半分で付き合っていた和子だったが、数日のうちに適当に流すことを覚えだした。
なんだかめんどうくさくなってきたのだ。
「また酒か。酒はいかん。酒は冷静さを無くさせる。判断力を鈍らせる。判断力が無い人間の集団は容易に差別と虐殺を生む。それを身に染みて……」
「その話はしないで!」
和子は日本酒を一息に煽る。すきっ腹に染みていく酒は腹を焼き、思考を淡く鈍らせていく。
不意に手から瓶が抜けた。急激な酔いに膝から力が抜ける。
ごつりと音を立てて和子は床に膝をつく。ぼんやりとした頭のどこかで痛そうな転び方だと思いながら、瓶を起こし、さらに呷る。
――和子さん、呑みすぎですよ。
『天使』の声より淡く、けれど声が聞こえるように思い出される。
光弘さん。和子の口は名を紡ぐ。
――僕は、和子さんといつか、結婚できますようにと、願いを書きました。
溶けていく思考の中で、顔を赤くして笑う光弘が浮かぶ。
私は。和子は思う。思い、消えた七次元が凝ったように涙が生まれ頬を伝う。
――私は、本当の私のことをあなたに伝えることができないでいる。
いにしえから人々が思い、願い、想像し、見えない天国を作ったように。
平和を願い、平和を信じ、行動する人々が、国と境と悲劇と押し付けと思い込みと。
そんなものをすべてなくしてしまえたら。
私は自由になれるだろうか。
*
お母さんに会いたい。
自由になりたい。
光弘さんと対等になり結婚したい。
*
和子にしか見えない『天使』は、三つの願いを見守っている。
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