20210327:幻の桜の下で

【第157回 二代目フリーワンライ企画】

 かんしょう(変換自由):干渉

 レイニーブルーのざわめき

 嘘でも怒らないから

 オプション料金

 正体を見せろ


<ジャンル>

 オリジナル/現代FT


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 フード付きのレインコートをしっかりと着込んで、レンズだけを出したカメラを首から下げる。足元はビニール製の長靴で固め、傘は持たずにマンションを出る。

 風もなくしとしとと降りしきる雨に、道行く人はみな傘を深く差して俯き足早に歩を進める。傘を差さない私はまるで異邦人で、人々の目には映ってもいないかのようだ。

 私は傘の合間を縫って歩く。細道を行き、大通りを行き、溜まり始めた水たまりを踏み、縁石の淵に溜まった雨水を蹴る。

 車の踏みぬく水音を聞きながら橋を目指し、水かさを増し始めた川面を見ながら川岸へ折れる。

 車の音が遠くなる。雨水をはじく傘音があっという間に聞こえなくなる。

 それでも、しとしとと音が聞こえ続ける。川面の水音、草葉に雨が落ちる音、私自身が立てる靴音、レインコートが立てる音。

 数多の音が織りなすレイニーブルーのざわめきを聞きつつ、そして、ざわめきを深めるため息を零す。

 川面がある。川岸がある。フェンスがあり、重機の一部が見えている。川岸の歩道はフェンスで途切れ、その向こうには行けそうもない。

 私はそこで、カメラを構えた。


 光は波である。光は干渉する。

 干渉した光は、小さな点を通り過ぎ、なかったはずの模様を先に描き出す。


 レンズの中では白く霞が揺蕩っていた。雨粒でさざめき波立つ川面には霞がおぼろに映っている。

 違う音が聞こえてきた。川からではなく、地面ではなく、硬質なフェンスの音でもなく、重機の立てる低音でもない。

 ざわめきだ。頭上からだ。

 カメラとともに上を向く。薄紅が目に飛び込んできた。


 ――オプション料金はこのくらいになっています。お得ですよ。

 中古レンズ屋の正体を見せろと言いたくなるような店主は、形ばかりの表情を貼りつかせて笑んだ。

 ――あなたは逢いたいと願っている。毎年の約束で、もちろん毎年続けている。それは儀式にも近いものでしょう。

 ――先方も同じように思っているなら、きっとカメラに映ってくれます。


 満開の桜がささやかにレンズの中で揺れっていた。

 フェンスはなかった。重機はどこにも映っていない。岸辺から川面へ大きく枝を張り出した桜の古木が、雨を受けつつ静かに花を咲かせている。

 私は手近な枝へとレンズを向ける。

 重さなどなさそうに開いた花弁は、雨に透け、数多の雫を滴らせ、俯き加減でありながらも、誇らしげに咲いている。

 去年と同じように。一昨年と同じように。記憶と違わず、記録とは違い。

 嘘でも怒らないから。

 過った言葉は、叶わないはずの願いだった。


 桜の寿命は五十年程度と言われている。

 接ぎ木による若木の植樹を繰り替えれば、植物の『寿命』は半永久的なものではあったが、樹木そのものの寿命はさほど長くはない。

 戦後の高度経済成長期にあちらこちらで植えられたソメイヨシノは、巨大化、樹木の老化により、樹木内部に空洞を作り、樹重を支えられなくなり、倒木の危険をはらんでいる。


 レンズを回す。

 天上を覆う大木の枝を。手が届く高さでも構わずに伸ばす大きな枝を。若芽を、若草の合間に落ちる小鳥の仕業を。映していく。シャッターを切る。 

 レンズの中にしか現れない、雨にも関わらず濡れたところがどこにもない、貴女を。

 留めるように。


 ――嘘でも怒らないから。嘘でも構わないから。

 ――切られる前のあなたに、もう一度。


 笑んだ貴女はふと空へと目を向け。

 射し込んだ光はレンズの中で干渉を起こし、幽霊(ゴースト)を産み。

 瞬きファインダーから目を離した現実で。

 重機が重い音を立てながら広く張った根を切り裂いていた。


「撮れたら、いいのに」

 カメラに向けて一人呟く。

 対岸の桜ははらはらと、白い涙を降らせている。




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