20201010:王子様でも姫様でもなく

【第134回 二代目フリーワンライ企画】

<お題>

 煮えたぎる感情

 甘口のロゼ

 あの人になりたい

 「ここにはもう来るな」

 おとぎ話の王子様


<ジャンル>

 近未来だがSFではない。


-----------------------------------


「この本は絶版ですね」

 店員に言われてためらった。

 思い立って立ち寄った。気まぐれ程度に尋ねてみた。答えは絶望を示していた。

「そうですか。ありがとうございました」

 頭を下げて踵を返す。帰ろうと向いた先で男はこちらの方を見ていた。目が合った。

 細いリムの眼鏡をかけた文学青年と言えなくもない、細い体つきの男だった。

 見覚えがあると首を傾げかけ、図書館の絵本コーナーをつぶさに見て回ったときに、そこにいた人だとふと気づいた。

 気味が悪い。率直に思う。

 私はわざと男の脇を抜けた。男は何も言いも動きもしなかった。


 三度目の邂逅は新古書店。

 四度目は絵本専門の古本屋だった。

 私の探す本にはいつの間にやらプレミアなんてものが付いていて、手に取り捲ってため息と共に棚に戻した。

 それへと男は手を伸ばした。

「戻すなら僕が買います」

「……いえ、待って!」


 それを運命の出会いとでも言うのだろうか。


 *


 女が戻そうとした本に手をかけてきた。僕が取ろうとしたのだから、僕らの手は重なったことになる。

 要らなさそうだから僕が買おうと思ったのだ。

 横取りしないで。頬に書かれているように思えた。

 ひとまず僕は手を引いた。僕は王子様でも痴漢でもないが、何かがあれば非難されるのは男の方だ。それを逆差別と言うかどうか、僕にはなんとも言いがたいが。『ここにはもう来るな』気に入りの古書店から、そう言われるのだけは勘弁だった。

「いえ、ごめんなさい。やっぱりやめる。あなたに譲る」

 きっぱり言って手を引いた。僕に場所ごと譲るように踵を返した。

 図書館も、大型書店も、新古書店でも。

 気持ちの良い、足運びだと思っていた。

「あの、この後お時間あったら、お茶でもいかがですか? この本は僕が買いますが、そこでゆっくり読むのなら」

 見開かれた目が笑顔になった。その笑顔を僕は良いなと思ったのだ。

 女性だから男性だから。そういう枠では多分なかった。


 気持ちの良い歩き方も、周りを華やかにする笑顔も。

 あんな人になれたら良い――あの人になりたい。

 思った気持ちにはどんな名前が付くのだろう。


 *


 お茶の時間は思ったよりもずいぶん長くなってしまった。

 男は読み続ける私を今日はこの後ヒマだから。言ってじっと待っていてくれた。

 喫茶店が閉店を迎え、名残惜しむ私を静かなバーに誘ってくれた。下心を疑わなかったワケじゃないけど、もう少しだけこの本を眺めていたかった。


 何でもない醜い女の子が、お姫様になって王子様に見初められ、初めて幸せになる話だ。


 幼い頃、買ってもらったおとぎ話を私は夢中になって読んだ。

 王子様に憧れた。お姫様を羨んだ。いつか私もお姫様に。そう言っていたことも確かにあった。


 けれど小学校に入学して直ぐの頃。絵本は捨てられ、父のいなくなった家で母に目を見て言われたのだ。

『王子様を待つなんて、古い考えはやめなさい』


 私の憧れは、時代遅れの、差別主義者の、イケないものへと変わっていた。


 *


 女は絵本を飽きることなく眺めていた。その姿があまりに熱心で、僕は場所を変えようと提案する。

 女の家がどこだかなんて僕は知らない。僕の家は電車で数駅移動した先で、終電までは間があった。付き合ってみようと思ったのは気まぐれで、けれど、一挙手一投足、見惚れそうな女を見ながら待っているのはそんなに嫌な気はしなかった。

 女がページを一つめくる。僕は逆さまのままそれを読む。

 綺麗になったお姫様に一目惚れ。ストーカーの本気のように探し出し、自分好みに仕立て上げて妻に迎える。

 王子様は、お姫様の全てを背負い込んで物語はめでたしめでたしの結末となる。

 幼い僕は、その物語が怖かった。父も母もそうあれと僕へ言い続け、僕もそうあらねばと思っていた。思っていながら、僕は確かに怖かった。


 高校で初めて出来た彼女に『幸せにしてね』と言われて気づいた。

 僕は背負うことが怖かった。


 僕は絵本を読んでみようと思い立った。

 思い立って探し始め、いつの間にやら消えていることに気づいたのだ。


『こんな古い価値観を子供に与えるなんて。悪書は全て撤去しましょう』


 *


 後ろめたさとか、恐怖とか、好奇心とか、憧れとか。

 るつぼの中で飛び交い行き交い混じり合い続ける煮えたぎる感情を、甘口のロゼがなだめ納めて溶かしていく。


 *


「「何でこの絵本を探したの?」」

 目が合った。思わず頬が緩んでいた。

 ワイングラスを持ち上げる。

 チン、と小さな音が鳴った。


 *


「そして、王子様とお姫様は末永く暮らしましたとさ」

 古い古い絵本を閉じる。かつてどこにも溢れていて、いつか悪書と呼ばれるようになっていた、おとぎ話の古い絵本。王子様もお姫様もない『正しい絵本』の横に立てかける。

 二人の間に挟まれた王子様とお姫様は、静かな寝息を立てている。


 彼らは一体どんな夢を見るのだろう。


 王子様でもお姫様でもなかった二人は、リビングへ戻り、甘口のロゼの蓋を切る。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る