20201003:夢の広場

【第133回 二代目フリーワンライ企画】

<お題>

 上澄み

 大変長らくお待たせしました!

 支配人のため息

 解釈一致

 眼鏡を外す


<ジャンル>

 SFに見せかけた幻想のような気がしないでもない。


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 その場所を説明しろと言われたら、木々に囲まれた崖の突端に出来た広場、とでも答えるだろうか。

 崖の向こうには青く遠い峰々が連なり、崖の下には樹幹の絨毯が峰々まで続いている。広場の左右もなかなかの樹齢の木々が並び、広場自体は綺麗な芝生に覆われていた。空は高くどこまでも青い。空に雲があることはなく、日射しが強すぎることもない。太陽の位置は時間と共に変わっていき、高度が下がるにつれて夕方らしい黄金の色が辺りを染める。朝も見事な黄金色を見せてくれる。時々、夕方なのか朝なのか、僕一人ではわからないことがある。

 広場を囲った木々の合間には三本の獣道が延びていた。崖にも細く降りる道が続いていて、遙か崖下まで続いているらしかった。伝聞系なのは僕は崖の坂道を降りたことがないからだ。

 僕が使うのは山に向かって左の道で、中央と右にも踏み込んだことは今のところない。もちろん、どこに続いているかも知らない。

 そしてそんな広場の中で、その喫茶室は静かに静かに営まれていた。

 移動販売車のような小さな店でドリンクと軽食を扱っている。テイクアウト専門店で、ただし周囲には揃わないテーブルと椅子がちらりほらりと置かれていた。

 皆、店でなにがしかを頼むと、空いている適当な椅子でそれを頂くというわけだ。

 僕のお気に入りは崖の傍の長いベンチで、遠くの山を眺めながら濃いめのコーヒーを頂くことが日課だった。


 そう、日課だった。


 僕は毎日のようにここに来ていた。何なら住んでいるというレベルでこの広場に居座っていた。移動販売車の支配人兼、たった一人の売り子とは顔なじみを越えていて、僕が近づくだけで濃いめのコーヒーが出てくるほどだ。もちろん僕は顔なじみらしく挨拶して、コーヒーをちゃんと頂いている。

 常連は僕の他に二人いた。しわのないシャツとスーツを着込んださえないおっさんと、一昔前に虎ノ門なんかにいっぱいいたんじゃないかって僕が勝手に思っているこちらもスーツ姿の女性だ。おっさんは何時も仏頂面で、ブラックコーヒーをまずそうに飲み、女性は逆にドロドロに甘いカフェオレを幸せそうに飲んでいた。


 それだけ顔を合わせれば、いつしか会話も始まるというものだ。


 最初はおっさんの愚痴とも小言ともいちゃもんともとれるようなものだったような気がしている。女性は『ほっとけ』と顔に文字を貼り付けながら、甘ったるい匂いを振りまいた。おっさんの注意は次は僕に向かってきた。若者がこんなところにいるんじゃないとか、この国はだから駄目なんだとか、余計なお世話な言葉ばかりを吐き続けた。

 僕と女性は視線を交わす。お互い同じく疎ましいと思っているのは、何も言わなくてもお互い様で直ぐにわかった。

 それを越えて話すようになったのはさらに続けたおっさんのいちゃもんだった。

「で、だ、俺もここにはもう十回来ている。アンタのコーヒーは少々苦いが、マズいというほどでもない。それなりに気に入っている方だと言っても構わない。が、一つ解せないことがある」

 支配人はいつもの通りめがねの奥の目をびた一文動かすことなく、表情一つ変えることなく、おっちゃんの言葉の続きを待った。

「ここはどこかと言うことだ」

 おっちゃんが言い放った瞬間、空気がピリッとしたように僕には感じられた。

「さて、どこかと言われましても」

 支配人は淡々と返す。かちゃりかちゃりと食器が軽い音を立てた。

 女性は常に伸びている背筋をさらに伸ばした。支配人はカップを拭いていた手を止めた。僕は常とは変わらないようよくわからない無駄な細心の注意を払いつつ、耳は一言一句漏らさぬように二人の会話へ向いていた。

 ここはどこか。

 僕は実のところ、毎日通いながらもその答えを知らないでいる。女性も様子を窺う限り、知らないのだろうと推測できた。

 僕は気づくと左の道の中にいる。足の向くまま進んだ先でこの広場が現れる。僕はそのまま飽きるまで山を眺め、そして左の道へ帰っていく。

 多分、おっさんも女性も同じだ。

「あなた方が思っているとおりの場所なのではないですかね」

 支配人は、口元にだけ笑みを浮かべた。


 思っている通りの場所。

 おそらくそれが会話の始まりだったのだ。


 おっさんは普通の商社マンだという。職場は新宿で、家は東京の西の方。毎日電車に揺られて通勤している。少なくとも昨日はした。一昨日もした。一昨昨日は上司に叱られたので思い出したくないとうめいた。ここには気づくと来ているという。電車の中でうたた寝をしたタイミングかも知れないし、うたた寝は職場のデスクの上の昼休みだったかも知れない。

「気づくと現実でうたた寝しているのだから、寝ていることは間違いない。ここは夢だ」

 そう言い切った。

 女性は大きな会社で管理職の一歩手前だと胸を張った。細心の彼女の胸は張られてさらに存在を主張した。その割には揺れてないなとぼんやり思い、咳払いにハッとした。女性は咳払いをした後で、私はゲームねと、告白した。

「今私はVRゲームをやっているはず。だけど、視界はゴーグルのものじゃないし、味覚や嗅覚まである。ゲームなら、そんなことは起こりえない」

 だからゲームを使った生態ハックね。楽しそうに女性は言った。

 僕は単なる大学生だと二人には自己紹介する。授業料は親持ちで、生活費はバイトを掛け持ちして自分でどうにか捻出している。苦学生と言うほど大変さはなかったけれど、ゲームもせず、うたた寝もせず授業とバイトの割り振りで何時もバタバタしているはずだった。

 そう僕は、疲れ切って狭い自宅に戻った辺りで気づくと広場に来ているのだ。そして広場から戻って見ると、僕はバイトへ授業へ向かっている。

「僕は僕の部屋が異空間にあるんじゃないかと疑っています」


 おっさんは夢だと言い張り、女性は生態ハックだと譲らない。どちらも覚えのない僕は、どちらにも頷くことが出来ないでいる。

 支配人は、三つ巴の僕へタオルを投げる役割もまた負っていたかのようだった。

「夢、脳が見させられている光景、部屋の中。三つをつなげる理論で、解釈一致としませんか」

 支配人は僕へ濃いめのコーヒーを。おっさんに熱いブラックを、女性に甘いカフェオレを。差し出しそして口を開く。

「夢という上澄みを越えた先の、深層心理という場所で見る、集合的無意識、というのはどうでしょう?」

 丸め込まれたような気がしなくもなかった。

 けれど、なんとなく、それで全てが説明できてしまうようにも、また、思えた。


「俺も少し疲れているのかも知れないな」

「私はこんな穏やかな時を欲しているのかしら」

 おっさんも女性もそんなふうに良い、遙か彼方の山を眺める。山は雄大で、細かいことを全ての見込み、ただいつまでもそこにあった。

「俺、実はかみさんと別居中でな。深層心理の中でまでスーツがクリーニング仕様なのは笑っちまうが」

「私、管理職手前なんかじゃないの。しがない派遣社員。あと三月で契約が切れる。更新はされないかな」

 おっさんも女性も、なんとなく、そんなふうに告白した。二人で顔を見合わせて、照れたように笑い合った。

 僕はただ二人の会話を聞いていた。

 集合的無意識。そんな便利な言葉で終わらせてしまって良いのだろうか。

「さて、そろそろ仕事に戻ろうかな。しがないサラリーマンでも、仕事って面では必要とされているんだ。しがみついているだけかも知れないけどな」

「私もゲームを終わらせる。まだ三月あるんだもの。どうにかなる」

 二人が少しだけ前向きになったところで、支配人はパンとひとつ手を叩いた。

「大変長らくお待たせいたしました。現実行きの銀河鉄道が到着します。皆様、お乗り忘れのないよう、お気をつけください」

 気づくと辺りは黄金色に染まっていた。見る間に日は地平線へ沈んでいく。

 そして淀み始めた夜空の一点に突如明かりが浮かび上がった。

 明かりは見る間に近づいていく。SLの形に星々の夜空を切り裂いて、汽笛をふかし、煙をなびかせ、そしてついにブレーキと共に広場に着いた。


 女性とおっさんは鉄道に乗って帰っていった。


「君は帰らないのかい」

 すっかり暗く静かになったその広場で、支配人は僕を見た。常には支配人の目を反射でかくしてしまう眼鏡は、今はすっかり素通ししている。

「寝床しかない自分の部屋に、ですか」

「そうかも知れないし、そうじゃないかもしれない。君の表層は私にはうかがい知れない」

 支配人は視線を落とす。カップをしまい、一つ一つスイッチを切っていく。閉店する。

「ここって深層心理なんですかね」

「解釈一致したはずだが?」

「僕は自分が誰でなんであるかもちゃんと覚えていて、おっさんも女の人もそれは同じでした。深層心理、集合的無意識というのは人類だとか動物だとか、意識を持つ者の共通となる無意識でしょう? なんかそんなものじゃない気がするんです」

「君はそう解釈した。それでいいじゃないか」

 支配人は手を止めない。

「確かに追求に意味はないかもしれません。だけど、なんというか。僕は『僕』なんですかね?」

 支配人は顔を上げた。

「君以外の誰だと?」

「それはわかりません。ただ、上澄みの僕は、この僕を知らない気がしているんです。気がつくと僕らはここにいた。ここにいたと気づくのは、ここにいる僕らです。上澄みの『現実』の僕は、ここの広場のことを知りません」

「面白い考えだね。良いだろう。こうも考えることが出来る」


 支配人は眼鏡を外す。鋭い目が僕を捉えた。

 支配人のため息は軽く、本物の笑みさえ含んで見えた。

 本物の。

 僕は少なくとも、そう思った。


「ここにいる君たちは、記憶をコピーした疑似人格の一種である。入眠時、ゲームへのアクセスのタイミングで、部屋に入ったとき、君たちの記憶、経験はコピーされる。デジタルで、だ。コピーという形での出力は可能だが、元の君たちへの入力は出来ない。君たちは、その日の経験を追記された存在。シミュレーションの中の一人格だ、と」

「……え?」

 支配人は笑みを深める。店の最後の明かりが落ちた。

「何のために、という質問には応えられないな。それは目的に関わってくる。そして、この会話の記録は削除させてもらおう。君は明日もそこの道から広場に来る。そしてコーヒーを飲み山を望む。そして現実に帰っていく……少なくとも君はそう認識する」

 SLの音が聞こえてくる。SLは僕の真横に来て、停まった。

「大変長らくお待たせいたしました。どなた様もお乗り忘れのありませんよう」


 そして僕は、現実を生活した後で、左の小道に経っていることに気づくのだ。




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