20200927:目玉焼きには醤油かソースか

【第132回 二代目フリーワンライ企画】

<お題>

 地獄の3丁目

 静かにしてください

 目玉焼きには醤油かソースか

 あの子が必要

 ガラスのハート


<ジャンル>

 SFに見せかけた幻想


--------------------


 目玉焼きには醤油かソースか。

 これは誰の物語か。


 *


 気づいたときには君は心を決めていた。醤油の瓶を手に取って、思う存分目玉焼きに垂らしている。そんなにかけたらしょっぱくない? 友人の声に君は笑う。しょっぱいくらいでちょうど良い。

 そして君は黄身を切り分けようと箸を伸ばし、目玉焼きにまんまと逃げられてしまうのだ。

「え」

「あ」

「きゃぁあ、ごめんなさい!!」

 皿から逃走した目玉焼きは隣席の女性の胸に飛び込んでいる。大量の醤油を良い目玉焼きとばかりに滴らせ、茶黒い大きなシミを作る。

「あぁやだどうしよう醤油って落ちないですよね早くシミを抜かないとクリーニング。そうだクリーニングを!」

「え、いやそのお構いなくっ」

「そんなわけには参りません!」

 慌てる女性の手首を掴み、君はあっという間に行動する。君の行動にすっかり慣れた友人は、目玉焼きを拾い上げ、テーブルを拭き、食器を返し、君と女性の荷物を持って後を追う。

 君が向かう先など友人にはもちろんお見通しだ。学校の目の前のやたらと高級品を扱うクリーニング店。君たちの先輩のバイト先でもあるそこで慌てる当人を差し置いて君は先輩に泣きついている。

「本当に、大丈夫ですから。クリーニングなんてとんでもない!」

「醤油落ちないんですよ!? ここなら、この店なら、元通りにしてくれますから、だから本当に、本当になんとお詫びをすれば良いか」

「うちは繊細な生地のしみ抜きも請け負ってます。付きたての醤油なんて直ぐとれますから安心して待っていてください」

「そうじゃないんです。あの、その生地は」

 シャツを汚された女性はなんとしても洗わせまいとシャツを握るが、はいはいといなされいつの間にか奪われていた。

 細く白い長い指が宙をかく。銀髪と言えそうな色素の薄い輝かんばかりの髪が、強引にソファへと君に誘われ、落ち着く間もなくふわふわ舞った。紫色に光る瞳は周囲に助けを求めるが、君の目には入らない。先輩の目にも入らない。

 荷物を届けた君の友人に彼女は助けを求めもするが、取り合ってはもらえない。

 そして、運命の時は来る。

 シャツにしみ抜き用の薬剤がタップリじっくりかけられた。


 例えば、天の羽衣の伝説が詳しいだろう。まとえば天を舞うとも言う特別な布のことを昔の人は天を舞うための羽衣と呼んだ。その正体は、重力制御装置を繊維状に加工した品だったことが知られている。天人とは科学を極め空に住まう人を良い、天人の纏う衣服は地上では再現し得ない合成素材だったというわけだ。


 シャツもまたそんな地上には、いや、この世界にはない素材だった。

 しみ抜きの薬剤をかけられた布は繊維状に加工されていたエネルギーを解放した。爆発したといっても良い。とはいえ、熱的・物質エネルギーによる物質的な爆発ではない。その爆発に気づいた『人』はおそらくこの世のどこにも存在しないし、僕も残念ながら『この世』に所属する存在ではあり得なかった。

 起きた爆発は、空間的・反物資的エネルギーの塊で。

 爆発した瞬間その世界は、過去も未来も行き来した軸そのものが音も立てずに崩れて消えた。

 世界が一つ消え去った瞬間だった。


 *


 また消えてしまったその世界と、異なるが非常によく似た世界の君は、消えてしまった世界の君と全く同じく、気づいたときにはすでに心を決めていた。甘酸っぱくうまみの詰まったソースの瓶を手に取って、思う存分目玉焼きに垂らしている。そんなにかけたらソースの味しかしないんじゃない? 友人の声に君は笑う。このソース、ソースだけでも美味しいんだから。

 この世界では君は無事食事にありつくことが出来た。後は片付けてしまうだけ。下膳口に並ぶ列で、あろうことか君はなにもない床に躓いた。食べきれなかった目玉焼きの上のソースは皿一面に付着している。皿は躓いた拍子に目の前に並ぶ長身の青年の見事な二の腕に命中した。

 奇跡的に服にソースは飛ばなかった。食器は音を立てて床に落ちた。ごめんなさい、これで拭いて。食器片付けやりますね。君は謝り落とした皿へ手を伸ばした。


 例えば青色1号アレルギーというものをご存じだろうか。文字通り『青色1号』という着色に使う食品添加物を示す。青色に見える物質である。

 青色1号アレルギーは青色1号の摂取で、じんましんやら呼吸不全やら様々な症状を発生させた。

 しかし、青色1号アレルギーは摂取以外でも発生した。

 青色1号が使われた製品に触れることでも発症することがあった。

 接触により発症する場合『青い色の服』を着れないこともまたあった。


 ソースは数々の野菜や果物から作られる。大抵は煮て、煮崩して、さらに煮詰めて、そうした加工を経たものだ。

 下膳口の君の前にいた彼は健康的な肉体を誇り、非常に健康優良だった。ただ一つ、ソースに含まれていた立った一種の物質にアレルギーを持っていた。

 そして、彼のアレルギーは、蕁麻疹や呼吸不全や、目に見える肉体に作用するようなものではなかった。

 皿が腕にぶつかった瞬間、彼の青い目が見開かれた。青味を帯びた美しい肌色の腕は硬直し、緑の単髪が逆立った。

 彼は直感にも似た感覚から、ことの重大性を理解はしていた。していたが。

 慌てる君をスローモーションのように眺め、拭き取らなくてはと頭の片隅で思いながら、症状は彼の反応を遙かに凌駕して進んだ。

 ソースのついてしまった箇所の青みを帯びた肌が膨れ上がる。膨れ上がり切れ目が生まれ切れて行く。切れた傍から服をひっくり返して表を内に入れるように。世界は気づかぬままに反転した。


 *


 結局のところ、君が目玉焼きに醤油を選んでもソースを選んでも、世界はそれまでとは異なる物に変わってしまった。

 僕はそれをつぶさに見ていたとも言えるし、知っていたとも言えなくもない。いや、見ていたというのは正しくはなく、知っていたというのも正確ではない。

 僕は世界の切れ目をつなぎ合わせたハートを持って、変わった世界に立っていた。君の隣で、君の横で、君の前で、君と笑い、君に呆れ、君と話し、君と行動を共にして。そう、僕は君の隣にしたあの子と同じモノだった。あの子が必要だと君が誰かに言ったかどうかは知らないけれど、あの子のように僕がいて、僕のようにあの子がいた。

 僕は君と何時ものように食事をする。君は大好物の目玉焼きを選ぶだろう。そして醤油かソースか悩み始まる。

 僕はあの子は、記憶ではなく知識でも無く透き通ったハートで思い出す。君が選ぶのは醤油だろうか。それともソースの瓶だろうか。

 君はそのときの気分で手を伸ばす。どちらであっても、どちらでなくとも、僕は、あの子はなすすべもなく思い出す。


 そして今日も世界は有様を変えてしまう。


 *


 輪廻転生の行く末が、抜け出し天国に辿り着くことだとするのであれば、繰り返すこの風景は地獄の3丁目のものなのかも知れないと、あの子は君にぼやいてみる。

 君は地獄も天国も信じないと目玉焼きを前に笑うのだ。


 *


 ところでそんなに世界がくるりくるりと爆発と変化と反転と裏返しとを繰り返したりなどしたらならば、世界に所属する数多の人間動物植物生物流転を重ねる全てのものは、めまぐるしくはないのだろうか。

 君が手を伸ばすその先を見つめながら、君の隣に銀髪の彼女がやってくるのを眺めながら、青みを帯びたガタイの良い彼が向こうの席で食事するのに気づきながら、僕は思い、あの子は思う。

 静かにしてくださいと僕の世界で声が飛び、何度言ったらわかるんだなんてあの子はお箸を止めて聞く。君と僕とあの子以外にももちろん『他人』は数多いる。それでも世界は君を中心に爆発して反転して、僕もあの子もどうしたって君を中心に世界を語らざるを得ない。

 君は醤油に手を伸ばす。君はソースを探し当てる。

 僕が、あの子が止める間もなく。


 *


 これは誰の物語?


 *


『静かにしてください』の文字が映える、音さえ嫌う工房で。

 世界の切れ端を溶かして固めて空気を入れて、七色に光るガラスの球を吹き作る。

 ガラスは全てを透かして抱え、君はやがて産声を上げる。


 *


「じゃぁ今日は、塩!」

 あの子が手を引き、僕は微笑む。

 産まれた君が歩み始める。



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