20200919:小箱の中身

【第131回 二代目フリーワンライ企画】

<お題>

 眠気が吹き飛ぶ

 とんだ濡れ衣だ

 ぺらぺら

 名前が違う

 アンティークの小箱


<ジャンル>

 ちょっとオカルト


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 ようやく葬儀まで済んで、親族一同は顧問弁護士を私的な場所へと招くことが出来た。

 長年通いで家を見てくれている手伝いが、人数分の茶を置き居間を出ると、弁護士はわざとらしい咳払いをして見せた。

「氏の遺書に関してですが、遺産に関してのものを預かっています」

 後妻であるメアリーに半分。

 長男である公敏に四分の一。

 長女である透子に残りの四分の一。

 家屋敷はメアリーの名義。

 株式などの有価証券は主治医でもあった甥の正輝の名義に変更するように、と遺書にはあった。

「聞いていた通りネ」

 妻のメアリーは呟いた。

「争いのない形で納めてくれたね」

 息子の公敏はぼさぼさ頭を軽く揺らして、面倒がなくて良いとひとりごちる。

「有価証券は結構な額になるけど、構わないのか?」

 甥の正輝の疑問に、

「面倒だわ」

 メアリーは首を振り、

「僕も株価の画面とにらめっこするのはゴメンだね」

 公敏は端的に投げた。

「弁護士さん、僕が死期を早めたんじゃないかなんて、とんだ濡れ衣だったでしょう?」

 遺産配分に親等のやや遠い甥の名前があったのは、甥の仕組んだことでも何でも無く、株に興味の無いものに渡らないよう配慮したそれだけのことだった。

 弁護士は深く頷いた。

「アンティークの小箱」

 ようやく高校生になったばかりの長女、透子は。学生が持つには高額の遺産にはさほど関心が無いらしい。病室で、最期に残した言葉を薄ぼんやりした目をして呟く。

「もう一つ、遺言があるって父様が言ってた」

 財産管理の弁護士は、仕事は終わったと帰っていった。

 通いの手伝いは時間だからと帰っていった。

 広大な骨董屋敷のその中で、四人は呆然と立ち尽くす。


 最も小箱探しに熱心だったのは長女の透子だった。

 どこを見ているのかわからない目をしたまま、足音もさせずに骨董部屋を行き来する。

 次にそれなりにやる気を見せたのは透子の兄である公敏だった。やる気と言っても、ボサボサ頭にヨレヨレのシャツを着込み、金の問題ではなく時間の関係ですり切れたデニムジーンズに包まれた足を引きずるように、すっかり丸まった背で歩く姿からはやる気など感じることは難しかったが、それでも透子の後をついて回り、透子の指示の通りにあちらこちらを探して回った。

 正輝は仕事だからと帰っていった。

 メアリーは明日手伝いにやらせれば良いじゃないのと出かけていった。

 公敏は年の近い義母に興味はなかった。透子はあからさまに安堵の息をついていた。

「透子、あからさますぎるぞ」

「義母さんは好きじゃない。『遺書』を開ける瞬間にいて欲しくなかったから」

 透子が義母を苦手としていることを公敏はよくよく知っていた。だから、ため息一つついただけで、透子へは何も言わなかった。

 ツボや掛け軸の置かれた倉庫をあらかた見終わると、透子は洋室の扉へ手をかけた。昼でも分厚いカーテンが下ろされ薄暗いその部屋は、夜には一層雰囲気が増した。

 年代物のソファの上には生きているかのようなアンティークドールが鎮座して。精巧なテーブルウェアには銀の燭台が乗っている。傍のガラス張りのチェストの上段には、色あせかけたタロットカードが収められ、下段には一抱えもある水晶玉が置かれている。開けてはならないときつく言われている子供が入ってしまいそうな木箱がそのさらに横に埃一つ乗らずに置かれており、その奥の壁には作り付けの暖炉と、銀のナイフが飾られていた。

「オヤジのこの魔術趣味、どうするかね」

「義母がどうにかするんでしょう」

 公敏は無遠慮に棚の引き出しを開けていく。透子は棚を台とを『小箱』が無いかを探し回る。

 物のやたらと多い割に整理された部屋の中からは『小箱』らしき物は見つからなかった。


『大陸』部屋にもそれはなく。『南米部屋』にも見当たらなかった。

 透子はため息と共に部屋ピンを自身の髪から引き抜いた。最後に残った部屋は書斎で、鍵は弁護士と秘書が持っているはずだった。

「明日で良いじゃん」

 公敏は大きくあくびを零す。目尻に涙の玉が浮かんだ。

「嫌。人の多いときに開けたくない」

 きっぱりと言う割には抑揚の乏しい声で透子は言う。鍵穴にピンを差し込み、さほどかからずカチャリと金属の音を響かせた。

 書斎の中は片付いていた。中央に応接セットが鎮座して、奥に大ぶりの執務机が置かれている。部屋の左は一面の本棚で、右には高そうな絵が掛けられている。

「一見普通の書斎なんだけどな」

 公敏は小走りで入っていた透子に続く。本棚には読めない文字の分厚い本が並んでいる。本の合間に『本でない本』も置かれている。羊皮紙とかパピルスだとか、石版だとか。公敏は一瞥して子供の頃の嫌な記憶を思い出し、肩を竦める。

「蒔絵の文箱」

 透子は執務机に吸い寄せられるように近づいていく。机の豪奢な天板の上には、蒔絵の文箱が置かれていた。磨かれた蒔絵はいまいち年代が知れないが、アンティークか、公敏はぼんやり呟いた。

「これよ。間違いない」

 透子は早速手をかける。義母と弁護士に連絡を入れた方がと思いつつ、公敏は文箱をじっと見る。公敏は文箱に見覚えがあった。何度も入った部屋だったから、見覚えがあるのも当たり前でけれど、そういう『見覚え』では無いような気もまたしていた。

 美しい文箱だった。側面から上面へと龍が見事に描かれている。龍のは左手に玉を掴み、玉は上面の中央辺りに位置していた。まるで、箱が玉を表しているようだと、子供心に思ったことを思い出す。

 龍が持つ、龍が守る箱なのだ。

 透子の白く細い指が、そっと蓋を開けていく。


 ペラペラの紙が中に一枚だけ入っていた。背を丸めた姿勢のまま公敏は箱をのぞき込む。

 ペラペラの紙は羊皮紙だろうか、見慣れない質感で、不思議な文様が紙全体に記されている。文様の中、書かれているはずの文章に思わず眉根を寄せて首を傾げた。

「なんだ、これ」

 つまみ上げる。裏を見て表を見る。光に翳す。斜めに見る。

 紙に書かれたその文字は、日本語でも英語でもキリル文字でもアラビア文字でも中国語でももちろんのことハングルでもなさそうだった。

 ははは。透子は脱力したように重厚な椅子へと座り込んだ。

「私は、自由だ」

 何を言っているのだろう? 上目遣いで妹へと視線をやった公敏は、泥のように身体全体にしみこんだかのような眠気が吹き飛ぶ勢いで、背筋を伸ばした。

「とうこ」

「名前が違う。病気というのは生き物を耄碌させるものだな」

 清楚と言われる黒いワンピースを着込んだ年より細く小柄な少女は、茫洋としている表情の中にどこか喜色と呼べる色を浮かべて、焦点の合わない目で公敏の方へと視線を向けた。

 唇の端が上がる。笑んでいるのだと公敏は気づいた。

「十七年前だ。あやつは妻を亡くし、それを認めず、知り得た魔術を駆使して、私をこの世に固定した。あやつは古い文献から私の真名を知ったらしい」

「とうこ?」

「紙には私をさらに縛り付ける言葉が書かれていた。もっとも、名前が一文字違っていた」

 少女の身体はその輪郭を崩していた。白い皮膚は光を帯び、茫洋とした瞳は深淵を覗く色を浮かべる。

「メアリーは魔女を引き継ごうと考えていたようだが、それも無駄に終わる。公敏が科学の世界にどっぷりなのは私にとっては好都合だった。お前は少々しつこいからな」

 もはや少女はどこにもいなかった。黒いワンピースが音も立てずに床に落ちる。公敏の眠気をすべて吹き飛ばすような存在が、そこに現れ、そして。

「お前のことは嫌いじゃなかった。今後の人生の健闘を祈る。さよなら」

 何事もなかったかのように、一瞬で消え去った


 透子は消えた。行方不明ということで処理されたが、警察には届けられなかった。

 気づいていたらしいメアリーは盛大に嘆いたが、もうどうにもならなかった。

 公敏は生活の場へ戻っていき、そして、父親の蔵書を自分の部屋へと移動した。

「透子……」

 公敏の研究テーマは、一八〇度方向を変えた。

 もうその目には眠気などどこにもなかった。


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