20200822:今、できる限りのことを

【第127回 二代目フリーワンライ企画】

<お題>

 刺激臭

 目の錯覚だ

 根に持つタイプ

 未来からやってきた

 ご遠慮ください


<ジャンル>

 現代・外国/オリジナル


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「あんたが百田健吾?」

「あ゛ぁ?」

「さえないおっさんじゃないの」

 包帯を巻いておけ、しっかりな。現地の言葉で指示を出す。助手が頷き取りかかったのを確認し、久々の母国語だったとようやく気づいた。

「百田は俺だが」

 容赦の無い日射しに目を眇めながら振り返り見上げてみる。逆光にずいぶん見慣れないシルエットが浮かび上がった。

 無駄の多い、ひらひらとした軽く薄そうな半袖で、スカートだった。思わずさらに目つきが悪いと言われるほどに眇めてしまう。

『先生!』

 声は治療が終わっても居着いてしまった女性だった。濃い色合いだの長袖の上着を着込み、大判のショールを被っている。ショールの端が僅かにひらひらそよぐほかは、動きやすく手足に合わせて絞られている。腕の中には綺麗になりきらないタオルの山。

『なんだ、コイツ』

 篭を持って近寄ろうとした手伝いの男は足を止めた。直線的な日射しをものともしないターバンを頭に乗せた相貌がいぶかしげに影を眺める。

「やったぁ。当たった。あたしが一番!」

 影は甲高い声で跳ねてみせる。起きた上体に、日が当たる。その容姿があらわになった。

 ――何だコイツは。

 目の錯覚だと思いたかった。思わず目をこすり、二度見した。

 斜めがけの小さな鞄が一つだけの軽装の少女だった。思った通り、砂嵐で一発で破けてしまいそうな薄手のシャツは半袖で、スカートは膝上のひらひらとしたものだった。日焼けなど縁のなさそうな薄く脆そうな肌を二の腕で、ふくらはぎで剥き出しにして、足下はヒールの高く細いサンダルだった。嫁が昔、日本でそんな格好をしていただろうか。

「あたし、未来からやってきたんだ。学校の課題なんだけどね」

 何を言っている?

 見上げた先で少女は言い直すこともなく言葉を続ける。

「あなたのやっていること、もっとずっと効率よく出来ると思うの。あなたが間に合えば、歴史はもっと良くなるはずなのよ」

 何やら鞄から板を引っ張り出してくる。どういう仕組みかはわからないが、チョークを使わず書いて消せる機能を持っているらしい。

「私のプランで動いてみない?」

 板には地名が書かれていた。簡単な地図らしい絵と分数がいくつか。この場所には二重丸。矢印が数字を伴い伸びている。

「……遠慮する」

 俺は少女の後ろで躊躇するように俺と少女を見比べる元患者の女性へ視線を回して頷いて見せる。女性はホッとしたように息を吐くと、タオル置き場へ足を向けた。

「えぇ、遠慮って? 遠慮なんていらないのに。これはあたしの親切というか、課題なの。協力してよ」

『先生、次の患者は』

『こっちに回して。話は終わりだから』

 助手と患者へ振り返る。少女との話は終わったと俺は判断した。

『先生……』

 刺激臭に当たりを付ける。患者を椅子に座らせる。靴を脱がせ、靴下を脱がせ、患部と思しき部位を看る。

「え、ねぇ、あなたのやってることは遅いの。間に合わないの。ねぇ、わたしの話を聞いてよ。課題がかかってるの。ここはあと二週間で戦闘に巻き込まれる。病院はなくなって、診療も治療も出来なくなってしまうの。あなたは無力なの!」

 カチンと、来なかったと言えば嘘になる。が、俺の目の前には患者がいて。あらわになるほど刺激臭が辺りを漂う。

 刺激臭に始まり皮膚の変色が続く。放置すれば細胞が侵され神経が侵され、患部から融けるように変形していく。侵された神経は痛みを脳へ伝えない。変形は徐々に広がっていき、手は融け、足はなくなり、髪が抜け頭部の変形が始まっていく。最終的には人であったとは想像も出来ないような肉塊となり……それでもまだ、脈動が確かにあるという。

 比較的感染力の弱い細菌性であることはわかっている。清潔を保てばまず感染することのない病気であり、抗生物質がありさえすればたちどころに治る病気だ。

「この病気はね、戦争の間人々をじわじわと苦しめて、戦争が終わった途端に世界中に散っていくの。今なら、薬を各地にばらまける。ばらまいたら食い止めることが出来るはずなの。ねぇ。おねがい。私の話を聞いてください!」

『先生、何言ってるんですかね』

『しらん』

 患者は初期の段階だった。刺激臭のある部位の表皮を削り取り、なるべく清潔を保つのが一般的な治療だった。

『処置室へ。次』

 目の前の患者が移動すると次の患者が入ってくる。自主的に来る患者だけでもひっきりなしだが、距離があり来ることが出来ない患者や、発症が知れるのを恐れ隠された患者が、戦闘地域には――国境に近い難民キャンプとキャンプに飲まれた町や村にはいくらでも居るはずだった。

「あなたの堅実な方法では間に合わないの。ねぇ、私の話を聞いて。聞いてください!」

 次の患者は杖を頼りに片足を引きずっていた。汚れた布を幾重にも重ねた服をまくらずとも刺激臭が鼻をつく。

 あらわになった右足は、すでに右足の形をなしてはいなかった。

『残念ですが、切り落とすしか』

 息を呑む音が聞こえた。砂礫の多い地面を引きずるような音も聞こえた。

「く、くすり。薬で進行は止められるはず。ねぇ、あるの。持ってる、の。使って」

 声はうわずり、震えていた。脇から差し出された手には、小瓶が一つ握られていた。

 商品名は知らないが、薬品名には覚えがあった。

 窺うようなすがるような患者の目が瓶と俺を往復する。

 俺は、小瓶に背を向けた。

『患部が広がらないうちに処置します。良いですね』

 患者は不安そうに杖にすがって腰を上げる。助手の案内でゆっくりゆっくり去って行く。

 ――切るしか、ここでは、方法はない。

「ねぇ! これで治……」

『次!』

 入ってきた患者は、去って行く前の患者の背を見送る。『あいつの部族も終わりだな』呟き俺の前に座る。

『先生、あいつより、いい治療をしてくれ』

『どこの部族の出身でも、長でも子供でも一緒だよ』

 捲れ。いえば患者は諦めたように裾を捲った。


 *


「一刻も早く根絶やしにしないと悲劇が起こるの。想像つくでしょ。飢餓と難民の流入。キャンプの衛生状態じゃ広がる一方。そのうちに、放置される人も出てくる。ううん、もう出てるかも。そうやって放置された人はそのうち、極限まで飢えた人たちに発見される。もうあと五年もすれば戦争は終わるわ。難民は母国へ帰っていく。運の良い一部の人は見切りを付けて国を出たりもする。菌を内側に抱えたまま」

 ――手を出すのはご遠慮くださいと言っている!

 あまりにきゃいきゃい耳元で騒ぐので一括したらひとまず手は引っ込めた。しかし、口は止まらない。母国語がわかるのが俺だけだからと思ったからか、『未来』の出来事を蕩々と少女は語る。

 もちろん俺はすべて無視した。

「想像できるでしょ。これだけ看てきたんだから。そのうち菌は抗生物質への耐性も手に入れた。感染経路が限られるのがせめてもの救いだけど、逆を言えば、感染してしまったら終わり。そんな未来を変えないといけないの。ねぇ、お願い。私の提案を聞いて」

 ランプの炎は風がなくとも不安定に揺れ動く。書類とのにらめっこを続ける俺の後ろで、少女はひたすら言葉を重ねる。

「特効薬があるの。全員にって訳にはいかないけれど、主だった場所で効果的に使えば、撲滅も夢じゃない。計算もしてきたのよ。北部と中部と東部が肝で」

 俺はつい、盛大にため息を吐いた。

「俺は単なるおっさんで、医者だけど万能じゃない。全員に行き渡る量もなしに、頭ごなしの提案は飲めん」

 振り返った先で少女は、きょとんと、俺を見返してきた。

「あんた、根に持つタイプ?」

「なんでそう思う」

「さえないおっさんって言ったの、気にしてる?」

「どうでも良い」

「じゃあなんで、薬があるのに使わないの。頭悪いの?」

 ため息が漏れる。

 そういう問題ではない。

「頭は良くないがね。あんたの言ってることは机上の空論て言うんだ」

「実行できるわよ。それだけの計画を練ってきたもの」

 幾度目かのため息が盛大に漏れた。

 問題は多分、知らないってことなのだ。

「アンタの言うことはわかるが、患者の選別をしている余裕はない。町や村に移動するにも、戦時下で俺たちは『余所者』だ。伝手を頼って、実績をみせ、信頼を勝ち取り、そうやって初めて、十分な調査と治療が出来る。薬がある、ばらまけば終わりじゃない」

 少女はきょとんと首を傾げた。やがて理解したのか視線をあちらこちらに彷徨わせる。

「でも、薬があれば。封じ込めが出来れば。そう思って、わたしはこの時代を選んで」

「アンタがどっから来たかは知らないが……俺たちは、今出来る最善を尽くしている。それだけだ」

 少女が何を思ったのかはついに俺にはわからなかった。

 制止のまもなく少女は俺の小屋を飛び出した。女子供が出歩いて安全と言える場所でも時間でも無かったけれど、悲鳴も何も聞こえなかった。

 彼女は以降現れず、死体の噂も何もきかなかった。


 *


 ――ただ空論でも彼女の言うことはもっともで。

 俺は新たな計画を立案する。

 今、できる限りのことをするために。




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